ここから先は、徒然なるままに各作品のポイントを一言二言。

 第五作の『眠狂四郎炎情剣』は、監督三隅研次、脚本星川清司という『勝負』同様の布陣で、狂四郎ガールズに中村玉緒、姿美千子、中原早苗といった面々が並ぶ。当時の宣材にある惹句の一節「犯すもよし、斬るもよし・・・」は言えて妙。

 第六作『眠狂四郎魔性剣』は、監督が安田公義で、脚本が星川清司。これは第三作『円月斬り』のシフトである。兄を殺された怨みで狂四郎を狙う手裏剣の名手おりんをシリーズ初参加の嵯峨三智子、毒蛇使いの女・お艶を長谷川待子、狂四郎を誘惑する尼僧の青華院を若松和子が演じ、色気とギミックに満ちた戦いを繰り広げる。

 第七作『眠狂四郎多情剣』は、『狂四郎』初参加の井上昭が監督を担当。三隅同様、様式美にこだわった色彩が冴える演出。過去に狂四郎によって能面の下に隠した醜貌を晒された将軍家息女・菊姫の復讐が物語の軸。男をとっかえひっかえに淫虐の限りを尽くし、飽きれば殺して捨てるという極悪非道を繰り返す菊姫を、『白蛇小町』『執念の蛇』『青蛇風呂』の主演で蛇女優の異名をとった毛利郁子が好演している。

 第八作『眠狂四郎無頼剣』は、三隅研次が三度目の登板を果たし、脚本はこれまでの星川に変わり映画監督の伊藤大輔が担当した。伊藤独特の小道具を活かした脚本と三隅の様式美の組み合わせは、前年の『座頭市地獄旅』同様シリーズ屈指の呼び声も高い傑作を生んだ。惹句の「恐るべし!鏡に照らした己の如く、刺客の剣も円月殺法!斬ったのは白衣の怪剣士か!倒れたのは黒衣の狂四郎か!」が示す通り、狂四郎のライバルにして円月殺法の使い手・愛染を天知茂が白づくめで演じ、黒づくめの雷蔵とのコントラストで、ラストの対決を飾った。唯一にして最大の欠点はエロチシズムが限りなく希薄なところだろう。

 第九作『眠狂四郎無頼控 魔性の肌』は、監督を池広一夫、脚本を初参加の高岩肇が担当。原作の一編「独歩行」がベースになっている。今回のライバルは、狂四郎と同じ混血で、隠れ切支丹が転じた黒指党の首領・三枝右近。前作とは違った意味で狂四郎のネガともいえるキャラクターを、成田三樹夫が彫りの深い顔で演じている。

 第十作『眠狂四郎女地獄』は、シリーズ生みの親・田中徳三が一作目以来のメガホンを執り、脚本は前作に引き続き高岩肇が務めた。公開時のプレスシートで「これまで以上に剣とセックスの魅力を十二分に盛り込んだ」とストレートに打ち出しているが、これまで以上というのは多少誇張が過ぎる。が、狂四郎を相手に剣と友情を交える二人の剣客を田村高廣と伊藤雄之助が演じており、三者の死闘は見応え十分。物語の中心を担う小夜姫は、高田美和が演じた。

 第十一作『眠狂四郎人肌蜘蛛』の監督は安田公義。久々に脚本を手がけた星川清司が『狂四郎』にボルジア家の兄妹の話を大胆に絡めたシリーズ屈指の異色作。惹句も「狂四郎の生首がほしい!犯せと誘う熱い肌!生きて帰れぬ猟奇の舘!地獄でみせる円月剣」と、これまでになく猟奇色を全開。将軍家斉の妾腹の双子・土門兄妹の兄・家武を川津祐介、妹・紫を緑魔子が怪演した。拷問、虐殺、裸女の十字架磔など、SMテイストも満載。

 そして、最終作となったのは第十二作『眠狂四郎悪女狩り』である。これが三本目となる池広一夫が監督を担当。癌の手術で休養中だった雷蔵の復帰作でもある・・・が、この後『博徒一代血祭り不動』を残し、三隅作品『関の弥太っぺ』も未完のままに、ついに雷蔵はこの世を去った。当然、体調万全と言い難く、全盛期の雷蔵と比べれば確かに生彩を欠く。しかし、最後の一瞬まで役者の道に燃焼しようとした命の輝きが、そこには確実にある。

 雷蔵が健在ならばシリーズは続いていた。事実、ポスト雷蔵として東映から迎えられた松方弘樹を主演に、シリーズ第十三作『眠狂四郎円月殺法』と第十四作『眠狂四郎卍斬り』の二作も製作された。

 今日まで、数多くの俳優が、狂四郎を演じたが、市川雷蔵がガンに冒された晩年の狂四郎に、凄味があったのを、眼裏にとどめている。

 これは、76年6月12日の読売新聞に掲載された原作者・柴田錬三郎の言葉からの抜粋である。

 映画『眠狂四郎』は、市川雷蔵という不世出の俳優の魂と肉体によってのみ銀幕に存在しえた。

 雷蔵の死から二年、映画界の斜陽は歯止めを失い、ついに大映は倒産。その長い歴史にピリオドを打った。(文◎宮地菊夫)

(05/10/04発行 時代劇マガジンVol.7より) 

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