いろは囃子

1955年11月1日(火)公開/1時間20分大映京都/白黒スタンダード

併映:「珠はくだけず」(田中重雄/根上淳・若尾文子)

製作 酒井箴
企画 浅井昭三郎
監督 加戸敏
原作 額田六福
脚本 依田義賢・犬塚稔
撮影 竹村康和
美術 太田誠一
照明 岡本健一
録音 海原幸夫
音楽 西悟郎
スチール 浅田延之助
出演 山根寿子(矢場の女お仙)、峰幸子(お菊)、三井弘次(柾目の半次郎)、羅門光三郎(蠍の源九郎)、沢村貞子(お政)、荒木忍(大和屋利右衛門)、東良之助(相模屋太兵衛)、五代千太郎(山田屋清三郎)、尾上栄五郎(辰五郎)
惹句 『やくざから若旦那、若旦那からやくざへ!人気絶頂の雷蔵が、恋と喧嘩の江戸ッ子タンカ!』『すっきりと水も滴る若旦那姿と小気味よい啖呵で、あなたをウットリさせる、お待ちかね雷ちゃんの、恋と喧嘩の颯爽篇』『お待兼ね、人気絶頂の雷蔵が恋と喧嘩に花咲かす痛快時代劇』『恋は捨てたが男は捨てぬ、江戸っ子やくざ雷蔵が大暴れ』『女二人が恋に泣く、喧嘩ばやしの月夜の河岸に男あざみの血がおどる』『バクチ、火つけ、はては心中としたい放題をしつくしたおたずねものゝ平太だが、今宵この白刃に賭けた男の意地にうそはねぇ!月の大川を血に染めて凄絶の大決斗!』

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山根貞夫のお楽しみゼミナール

 『いろは囃子』は1955年の大映作品で、有名な舞台劇「冬木心中」の映画化である。額田六福の原作はこれまでに、1924年に市川荒太郎主演で、30年に林長二郎主演で、34年に坂東好太郎主演で、いずれも松竹において映画化されている。

 この『いろは囃子』は、市川雷蔵のデビュー二年目、十三本目の出演作に当たる。巨匠溝口健二の『新・平家物語』に主演したばかりで、評価が一段と上昇中であった。大映としては、その勢いに乗って、市川雷蔵をいよいよ長谷川一夫の本格的な後継者として売り出す作戦であったろう。

 原作が長谷川一夫が林長二郎時代に演じたものであること。脚本がかって林長二郎を一躍人気スターにした衣笠貞之助と犬塚稔であり、先述の坂東好太郎版の脚本・監督が衣笠貞之助であること。監督の加戸敏はこの当時、長谷川のヒット主演作を何本も手掛けていること。これらすべてが一つの方向を指し示している。

 ・・・・・すっきりと水も滴る若旦那姿と小気味よいタンカのやくざ姿で、あなたをウットリさせる、お待ちかね雷ちゃんの、恋と喧嘩の颯爽篇!この映画の惹句だが、はじめて“雷ちゃん”という言い方が使われているところに、当時の俳優市川雷蔵を取り巻く雰囲気がうかがえよう。やくざ姿と若旦那姿の両方を見せるドラマの仕掛けが、そんな雰囲気にぴったりである。やくざ姿の雷蔵はベテラン山根寿子のあばずれ女と懇ろになり、若旦那姿の雷蔵は、前年にデビューしたばかりの宝塚出身の新星・峰幸子と清純な恋を囁く。どちらの場合にも似合いのカップルになってしまうところに、雷蔵の個性がある。

 ところで『いろは囃子』はモノクロ作品で、カラーの『珠はくだけず』と二本立てで封切られた。根上淳、若尾文子、菅原謙二、船越英二など“十二大スター”共演を謳った後者のほうが明らかにメイン番組であり、広告でも大きく扱われている。(キネマ倶楽部・日本映画傑作全集ビデオ解説より)

■ 作 品 解 説 ■

 製作酒井箴、企画浅井昭三郎、原作は額田六福の名作「冬木心中」の映画化で、非常にこくのある舞台劇であるが、映画化に当って、衣笠貞之助、犬塚稔が共同脚色、原作の味を生かしつつ、映画的に仕上げている。

 監督は加戸敏、撮影竹村康和、音楽西悟郎である。配役には、『新・平家物語』で大きく、その真面目を発揮した市川雷蔵が、初めやくざ、後にかたぎ、そして又やくざと、恋に剣戟に魅力的な演技の使い分けもし、又々雷蔵ファンを熱狂させるのを筆頭に、山根寿子、可憐峰幸子、ベテラン菅井一郎、三井弘次、羅門光三郎、沢村貞子、荒木忍、東良之助、天野一郎、尾上栄五郎、石原須磨男、大美輝子の競演である。(公開当時のプレスシートより)

■ 梗 概 ■

 弁慶の伊太郎に頼まれて賭場荒しの見張りに立ったのは薊の平太郎と柾目の半次郎は、弁慶が賭場に火をつけた為に巻きぞえを食って、岡ッ引きに追われるハメとなり半次郎と平太郎は別れ別れになって矢場辰の裏口へ逃げ込んだ。ここの主人の辰五郎は矢場を経営しながらお上の御用を聞いている岡ッ引きで、店の女に泊り客もとらせているという男。これも火事騒ぎに飛出したあとへ平太郎が飛込んだ。恰度客を送り出して裏口へ出て来た矢場女のお仙は、岡ッ引きの家と知って逃出そうとする平太郎に浮気心をおこし、無理矢理自分の部屋にかくまった。

 それから三日、平太郎はお仙の部屋にとじこもったきりで、二人切りの夢のような日を過ごした。「お仙平太郎」と二人仲良く二の腕に名前も彫った。ところが、お仙が客をとらないのを怒った辰五郎がお仙の部屋にやって来て、平太郎を火つけの片割れと見破ってしまった。逃げ出す平太郎−後を追うお仙−。その夜大川端の葦の中で、追手から逃れたお仙と平太郎は、初めてしみじみと互いの身の上を語りあった。平太郎は、此の深川の材木問屋大和屋の一人息子。いとこ同志で許婚の、呉服商但馬屋の一人娘お菊も捨てて家を飛び出し、喧嘩、バクチ、女、したい放題のやくざな生活に身をもちくずしてきた平太郎だった。お仙は信州小諸の生れ、故郷をあとにして今は流れの泥水稼業。どうせ生きていても仕方のない二人、役人に追われるよりは、いっそ心中でもしようじゃないか、と冗談が本気になって、二人は相抱いて大川に身を投げた。

 しかしお仙も平太郎も死ななかった。偶然夜釣りの帰りに大川を漕上って来たばくち打の荷足の藤兵衛がお仙を助け、平太郎も但馬屋出入りの植半の親方に助けられて、但馬屋に養生する身となった。お菊は平太郎の父利右衛門が重態なので、看病の為に大和屋へ手伝いに行っている。但馬屋の女主人お政は、平太郎にかたぎになって大和屋に戻るよう意見するのだった。

 春になって、平太郎は大和屋へ帰った。姿も心も改めて家業に励んだ。自分を慕ってくれるお菊がいじらしく、かたぎになって一緒に暮そうと心を決めた。腕の彫りものも焼火箸で消しすっかり過去を忘れ去った平太郎だった。お菊に執心で、是非嫁にと望んでいた山田屋の清三郎は、平太郎が帰って来た為にお政から断わられ、あきらめ切れずやくざ者の蠍の源九郎に頼んで兵太郎を殺そうとしたが、逆に散々にやっつけられてしまった。源九郎は清三郎に、お菊の誘拐をすすめた。体さえ自由にしてしまえば誰が何と云おうとこっちのものだ。源九郎は但馬屋へ帰る途中のお菊をひっさらうと、清三郎の待つ大川の屋形舟へかつぎこんだ。船頭は柾目の半次郎である。ところがこれを近くの苫舟から見ていたのが、荷足の藤兵衛と、今はその女房になっているお仙だった。かどわかしと見て、藤兵衛は源九郎を川へ蹴込み、半次郎を味方に抱込んで、お菊を救った。が、実はこれは魂胆のあったこと。藤兵衛とグルになったお仙は大和屋へ、お菊をオトリにして五百両をゆすりに行く。

 お仙は大和屋で計らずも平太郎と顔を合せて驚いたが、同時に、むなしく情炎を激しく甦えらせるのだった。平太郎はお仙の案内で、お菊を隠した深川の小舟へ行く、が藤兵衛はお仙が平太郎に心を燃やしているのを見て腹を立て、却ってお菊を渡さない。閃く藤兵衛の匕首!受ける平太郎の手鉤!堀に雪崩れこむ材木の上で、平太郎は激しく争った。「お菊!」「あにさん!」息をつめて二人の争いを見まもるお仙、お菊、半次郎・・・(公開当時のパンフレットより)

 大映京都作品の『いろは囃子』セットをのぞくと、一人で喋っているのはいきな姿の市川雷蔵さん。

 話を熱心にきいているのは、山根寿子さんと加戸敏監督でした。

                                いろは囃子                             吉田智恵男

 最初の方の主人公平太郎とその相棒の柾目の半次郎が逃げまわる場面がくどいので、先はどうなることかと思ったが、その先は割と快的な進み方を示し、ことに平太郎がやくざの足を洗って自家に戻ってからの日常の描写には中々の落着きがあって私は感心した。そういう家庭的な平太郎が、何を好んで身を持ちくずしていたのか、その点の曖昧さが最後迄気になった。

 平太郎は「俺の体にはやくざの血が流れている」という意味のことを度々いうが、それは具体的には少しも示されていない。したがって矢場女お仙と心中を決意する動機も判然として来ないのである。また心中の片割れのお仙が最後に近くいきなり現われるのも唐突で、も少し予備的な描写が必要であろう。

 平太郎の許嫁お菊の母親役をやる沢村貞子がうまい。その会話の調子とともにいかにも下町の内儀らしい様子を演じていた。最後の材木上の格闘はこの作品に正統時代劇らしい風格を与えるものであったが、むしろ伴奏音楽を消して自然音のみした方が効果をあげたろうと思われる。

興行価値: 今、売り出し中の雷蔵主演のやくざもので、まだ一本では興行的に期待できないが、後々のことも考え、売り込んでおくべきだろう。併映作品としてはけっこう生かせる。(キネマ旬報より)

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