次男坊鴉

1955年1月29日(土)公開/1時間15分大映京都/白黒スタンダード

併映:「泣き笑い地獄極楽」(浜野信彦/船越英二・伏見和子)

製作 酒井箴
企画 浅井昭三郎
監督 弘津三男
原作 坂田隆一
脚本 八尋不二
撮影 宮川一夫
美術 中村能久
照明 島崎一二
録音 海原幸夫
音楽 渡辺浦人
スチール 松浦康雄
助監督 西山正輝
出演 嵯峨三智子(お静)、伊井友三郎(松平信濃守)、香川良介(六郷内膳正)、荒木忍(古河の七五郎)、上田寛(子分友市)、南條新太郎(己之助)、大美輝子(女房お勝)、富田仲次郎(土手の甚三)、三岡龍三郎(子分熊造)、水原洋一(子分ブキ竹)、原聖四郎(新藤五左エ門)、大邦一公(関宿仁右エ門)
惹句 『昨日は殿さま、今日はやくざで殴り込みまヽよ三千石サラリと捨てヽ、恋し女と旅笠道中』『あなたのあこがれ雷蔵の水際立った若様やくざ度胸なら、啖呵なら、ふるいつきたいこの魅力』『恋と人情と男の意地に、再びかぶった三度笠、一日やくざのなぐり込み』『渡世人上りの日光奉行が、一日だけのやくざに返って、血の雨降らすなぐり込み新鮮の魅力溢れる市川雷蔵初の股旅時代劇』『祭ばやしに飛ぶ三度笠 颯爽市川雷蔵の旗本やくざ

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山根貞夫のお楽しみゼミナール

 昨日は殿様、今日はやくざで殴り込み颯爽痛快市川雷蔵初の股旅時代劇

 『次男坊鴉』は1955年の大映作品で、市川雷蔵のデビュー六本目の映画、二本目の主演作になる。もう一つ、雷蔵初の股旅ものと記すべきか。ただし本来は旗本の次男坊という役だから、粋な股旅やくざと晴れやかな若様との二役を演じるような映画だといったほうがいい。

 ・・・・あなたのあこがれ雷蔵の水際立った若様やくざ!度胸なら、啖呵なら、ふるいつきたいこの魅力!『次男坊鴉』の惹句である。“あなたのあこがれ雷蔵”とまで書くところに、当時、いかに雷蔵の人気が上昇しつつあったか、少なくとも大映の関係者がそんなふうに盛り上げようとしていたかを見ることができる。

 やくざになった侍が旗本に戻って日光奉行をつとめ、また一日だけ渡世人に戻るなんて、ウソみたいな話である。後半のクライマックス、夜の宿場町の路地で、綿雪の舞い散るなか、主人公とヒロインが再会するシーンも、偶然すぎて、ウソくさい。それはそうなのだが、だからこそ逆に、虚構に徹した面白さがある。つくりものの綿雪がじつに美しいように。

 監督の弘津三男はこれが二本目の新人で、前年のデビュー作『銭形平次捕物控・幽霊大名』にも市川雷蔵が助演で出ていた。脚本の八尋不二は戦前からの時代劇の大ベテランで、市川雷蔵のデビュー作『花の白虎隊』(1954)のシナリオも書いている。そして以後、数多くの映画で雷蔵の魅力を引き出す。この八尋不二が『次男坊鴉』について、回想録「百八人の侍・時代劇と四十五年」で書いている。《勇ましく颯爽としているはずの主人公が、何ともひよわで、肩や腰のあたりがいかにも心細く、覚束なく思われた》と。なるほど、時代劇のベテランからすれば、まだ経験の浅い若者はそのように見えたのであろう。市川雷蔵はこのあと、スターとして成長するとともに堂々たる風格を身につけてゆく。(キネマ倶楽部・日本映画傑作全集ビデオ解説より)

★ 解  説 ★

★1955年度時代劇最大のホープと目されている歌舞伎出の新スタア市川雷蔵が、『潮来出島・美男剣法』の好評で続いて初めて颯爽たるやくざ姿で登場する痛快無類の股旅時代劇です。

★製作は酒井箴、企画は浅井昭三郎、脚本は時代劇シナリオの第一人者八尋不二の力作、監督はデビュー作品『銭形平次捕物控・幽霊大名』で新人らしからぬ堂々の風格を示した弘津三男、今や世界的名手と謳われている宮川一夫が、久し振りに娯楽篇のクランクをとるのも、別な意味で期待が持てるものです。

★キャストは、前作『潮来出島・美男剣法』で絶妙のコンビを示した市川雷蔵と嵯峨三智子が、再び組んで今度はやくざの世界に於ける若々しい悲恋を演ずるのを初め、井伊友三郎、香川良介、南條新太郎、富田仲次郎、大美輝子等のベテランが競演する賑やかな顔触れ。

★物語は−三千石の旗本の次男に生れながら、やくざの世界に身を投じた痛快児が、運命のいたずらによって、大身の旗本に復帰した処、この主人公の留守に乗じた敵方のやくざのために生じた恩人の死、恋人の危難を聞くと、一日だけのやくざに返って、痛快無敵の活躍を展開するという型破りの新鮮な股旅物。

★尚、主題歌がテイチクの人気歌手菅原ツヅ子、白根一男によって吹き込まれ、近々発売されることになっています。(公開当時のパンフレットより)

 

 十一日の京都地方は前夜からの降雪に、白一色の美しい銀世界と化した。愛宕も双が丘も、比叡も、嵐山も、四囲の山々は勿論、みな真っ白である。そしてなお、霏々として降りやまず白い花を降らせている。思いがけぬ大雪に、大映京都もこの日は全部ロケーションを中止して、セットに入った。

 面白いことひ弘津三男監督の『次男坊鴉』は、この日「料亭梅村の表と二階」のシーンで、第五ステージに二階造りの料亭と、ホ塀外の道を含めた大セットが組まれていたが、これが又、雪のシーンなのである。

 凍えた手に三味を弾き乍ら、恋しい礼三(市川雷蔵)を探し求めて、新内を流して歩くお静(嵯峨三智子)と友市(上田寛)、魂に沁み入るような“明烏”の一節。こけつ、まろびつ、助けられつ、ともすればその哀調もとだえる。それを聞いて、料亭梅村の二階の障子をあけて立ち出る、昔の礼三、今は晴れの日光奉行の柳沢豊後守、

 「そこにいるのは友市・・・おゝ、お静ではないか」下から狂気の顔を振り上げる二人。

 めぐり逢ったお静と友市から、自分の留守の間に、再び古河の縄張りが土手の一家に奪い去られたと知った礼三は、遂に日光奉行を返上して、土手の一家へ、痛快一日やくざの殴り込みをかけるという段取りになるわけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 プレイバックと云って、あらかじめ録音をしておいた哀調切々たる新内の曲が、スピーカーで流される。嵯峨と上田寛の演技は、この曲に乗ってつづけられるわけである。

 ステージの外も雪、中も雪。チラチラ、チラチラと舞ってくる。「オーイ、雪の降り方が拙いぞッ。一ぺん表へ行って、本物の降り方を見てきたらどうや」 弘津監督は、十二分にこの情緒の雰囲気を出そうと苦心の演出である。(公開当時のパンフレットより)

連日胸のすく痛快撮影

『次男坊鴉』で雷蔵大暴れ

初の股旅映画に期待高し

 新鋭広津三男監督による市川雷蔵初の股旅颯爽篇『次男坊鴉』(脚本八尋不二、撮影宮川一夫)は、明眸嵯峨三智子の『美男剣法』に次ぐ矢継ぎ早やの顔合せで、第一ステージ「賭場の内部」のセットより猛然クランク開始した。

 スッキリ美男で、メッポウ腕の立つ股旅鴉の礼三が、一年あまり留守の間に古河の七五郎の賭場は、土手の甚三に横どりされてしまった。それを戻って知った礼三が忽ち取りかえすという場面。用心棒が「ヤヤーッ」と斬り込むのを、軽くかわして、盆ござの金を包んだ金包みでポカリ。

礼三 「これからは元通り、うちの一家が盆を敷く、二度とこんな事をしやがったら承知しねえぞ、(と睨んでおいて)では皆さん、お愉しみ中を、まことに失礼」

 と小腰をかがめる所へ、また横から斬りつける別の用心棒を、サッとかわして、前へ流れるところを金包みでドシンと叩いて、

「おやかましう」

 ニッコリ笑って、その度胸に呑まれて思わず道をひらく子分達の間を悠々と引上げる。

 まことに胸のすく明調子だが、この『次男坊鴉』はこういう痛快な場面の連続で、主演の雷蔵も「こんな気持のスーッとする写真は初めてです」と云っているが、そりゃア、毎日こんな調子で、群がるやくざをやっつける場面ばかりなんだから、気持のいい筈だ。

 その代り、相手役の連中は、毎日、殴られたり、斬られたり、滑ったり、転んだりの連続で、名にし負う大河内の『丹下左膳』以上の大痛手ですワと大コボシ。

 右のセットに続いて入った第六セットの「甚三の家」も、兄の死にやむを得ず日光奉行になった礼三が、恋人お静の危救を知って、一日だけのやくざに戻り、豆しぼりの手拭で、盗人かぶりに面をかくして、颯爽土手一家に乗込んで大暴れするという右に劣らぬ痛快場面だった。(公開当時のパンフレットより)

 

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萩原四朗 作詞、倉若晴生 作曲、白根一男 唄

一、
どこへ飛ぶのか 次男坊がらす
笠にみぞれの 散る中を
なまじ小粋に 別れたせいか
日光街道の 日光街道の
灯がうるむ

二、

人が目をむく さむらいやくざ
お奉行様から 賭場あらし
泥溝(どぶ)の世界に 何故身を投げる
わけはあの娘の わけはあの娘の
 瞳に聞きな

三、

恋がせつない 次男坊がらす
  逢うて三年 三度笠
なんの今更 旗本ぐらし
どうせ半目と どうせ半目と
 出たものを

お静新内

萩原四朗 作詞、平川浪竜 作曲、宮脇春夫 編曲、菅原ツヅ子 唄

一、
なんで別れた 紅提灯の
ゆれた祭りの 霧の夜
声をこころに 姿を胸に
抱いてくらした・・・
待つ身せつない 三年目
二、
死ぬがさだめか 二度目の別れ
めぐり逢う日が 来たものを
生きて添えない ふたりの仲は
おもい切れよと・・・
肩につれない 雪が降る
三、
思い切れよか 諦らめらりょか
これが二度ある 恋じゃなし
せめて届けと 粉雪の町に
流す新内・・・
露のいのちの 明がらす

★ ものがたり ★

 祭礼で賑わう日光街道は古河宿、土地の親分七五郎の家へわらじを脱いだ若い旅鴉の礼三、気っぷはよし喧嘩は強しというので、忽ち一家の重要な人物となった。七五郎の一人娘お静も未来の夫は礼三と決めたが、お静には許婚の己之助があった。七五郎もお静の心を尤もとは思ったが、お静を呼んで説いたことには、あの礼三こそは三千石の旗本の次男で、いずれは武家社会へ帰るべき人、やはりやくざはやくざ同士で、己之助と夫婦になってくれというのだった。これを立聞いた礼三、己之助への義理を立てて、飽かぬ仲のお静に置手紙を残して、誰にも告げず旅に出た。

 そして三年−落目になった七五郎一家の縄張を荒らしつくした揚句、中風の七五郎の家へ子分を連れて乗り込んだやくざ仲間の土手の甚三、口惜しがる七五郎やお静、無力な己之助にたった一人残った子分友市等を尻目に、彼等の家まで立退きを迫った。たまりかねて七五郎に反抗した己之助も甚三のために斬られ、絶対絶命になった瞬間勝ち誇った甚三の前へ立ちはだかったのは旅人姿の礼三だった。

 甚三たちが束になってかかっても礼三一人に及ばず、さんざんな目に逢って逃げ帰った土手一家、兄弟分で十手を預かる関宿の仁右衛門の力を借りて、礼三の兇状でもと探らせると、意外大身の旗本の息子と判って、手も足も出ない有様だった。

 古河へ戻った礼三は、単身昔の賭場へ乗り込み、腕と度胸で次々と甚三の手から奪還して、七五郎、お静、友市たちを狂喜させたが、殊にお静は今や己之助亡き後、天下晴れて礼三と夫婦になる日を夢見る有様。しかし、礼三はお静の清純に比べて、自分の汚れた身をはばかり、返事は渋り勝ちだった。

 折柄、礼三の伯父六郷内膳正が礼三を迎えに古河へ来た。父と兄とが相継いで急死し、礼三が復帰して来なければ、家が断絶するし、兄の葬式も出せぬという。家はとにかく、たえず自分を愛してくれた兄のことを思うと、礼三の心も稍々動いたが、心配げなお静を見ると、彼の心は刹那決まった。彼は伯父に、お静という女房があるから帰れぬとはっきり断ったのである。だが、お静はこの一言で満足した。自分の恋を諦めて、礼三に帰る事を必死に説いた。結局、礼三は伯父に、妻の選択は自分に一任してほしいとの条件付で、武家社会へ帰って行った。

 江戸へ帰って柳沢豊後守を襲名した礼三は、席を暖めるいとまもなく、光栄ある日光営繕奉行の大任を仰せつけられ、伯父の内膳正を介添役として日光へ発向した。この役は日光滞在中の一年間、一切私事には触れられぬ禁令がある。日光へ向う途中、一目お静に逢いたい心も抑えて、礼三は使いをお静の許へやって、希望をもたす手紙と小判とを届けさせたが、礼三が当分帰れないと知った土手の甚三は、得たりとばかり再び七五郎の縄張りを荒し始めて、遂には七五郎まで、誤って殺してしまった。

 家もなく、生活を奪われた上に、お静は病気になった。世話をするのは友市一人、甚三の非道を訴えても、関宿の仁右衛門の十手をおそれて、やくざ仲間も関わり合わないし、代官所でも取り合わない。お静から礼三への便りも、礼三からお静への便りも、大任遂行の為に心を鬼にした内膳正が中間で握り潰して、二人の間の消息は絶えた。

 そして一年 −無事役目を終えて江戸へ帰る途中の礼三の眼に映ったものは?(公開当時のパンフレットより)

                                        次男坊鴉                                上野一郎

 正月に小学校一年生の親戚の娘が遊びに来た。東京下町の商家の娘で盛んに映画を見るらしいので、男優スターでは誰が好きか、と試しに訊ねてみると、市川雷蔵、中村錦之助、東千代之介とスラスラと答えた。成る程、とウナった次第だが、その市川雷蔵初の股旅物というのがこの映画である。「美男剣法」では侍物、今度はやくざ物という具合に、手を変え品を変えて、人気者雷蔵を売り出そうという趣向である。

 所で、雷蔵初の股旅物としては、材料が陳腐すぎる。旗本の次男坊が勘当されてやくざになり、或る親分の客人となって対抗の悪親分をやっつけるが、兄の急死で実家へ引戻され侍にかえるが、その留守中に恩のある親分は悪親分にやっつけられる。そこで次男坊は一日だけやくざに戻って悪親分をやっつけ、恋人である親分の娘と結ばれる、という話は、全く型にはまって新味がない。これは戦前松竹下加茂でつくられた「お静礼三」の再映画化だが、近頃の時代劇、なかんずくやくざ物はタネが尽きたと見えて、三十六年の歴史を誇るキネマ旬報のバック・ナンバーをひっくりかえしては、昔の映画のストーリーを借用して知らん顔をきめこむ傾向があるのでやりきれない。それも当世にあてはめて換骨奪胎するならばともかく、これなどはただ無気力に古い構成を踏襲しているだけだから訴える力もないし、ひいては新人売出しのためにもあまり効果がないということになる。

 雷蔵のやくざ姿は初役だけに無理もないが、相当ぎこちない。街道を歩く後姿を見るとワラジ一つキリリッとはけていない。啖呵の切り方、芝居のきまり方、すべてにサッソウたる所がなく、それが興味を削いでおり、同じ大映のベテラン長谷川一夫のうまさが今さらのように思いだされるが、まあ将来に希望をつなぐことにしておこう。嵯峨三智子とのコンビは「美男剣法」そのままだが、このひとも情味に乏しい女優さんなので、ラブ・シーンも甘さが出ない。新人弘津三男監督は題材のせいもあろうが、演出は相当荒っぽい。

興行価値:代わり映えのしないヤクザものだから、雷蔵の人気をもってしても、大した当りは望めまい。(キネマ旬報より)

随談第216回 わが時代劇映画50選(13)『次男坊鴉』1956、大映 弘津三男監督
附・観劇偶談(104) 明治座松井誠公演『江戸情話・さくら吹雪』

 前回の予約通り、雷蔵の『次男坊鴉』のことを書くのだが、偶然、いま明治座で松井誠が『さくら吹雪』をやっている。典型的な往年の時代劇を見るのもなつかしいし、敵役連の弱体に目をつぶることにすれば、松井誠の柄にも合っていて、悪くない。身体に軽味のあるところが長所である。
 ところでその『さくら吹雪』だが、これが実は『次男坊鴉』と異名同作という、ややこしい成立事情を背負っている。

 今度の松井版は、昭和12年に川口松太郎がのちの猿翁の二代目猿之助と、初代水谷八重子のために舞台劇として書いた『花吹雪お静礼三』に基づいているというが、これを原作とすると、若き日の孝夫・玉三郎でやったのも同じものということになる。お静礼三というカップルの名前は、黙阿弥作の本名題『吹雪花小町於静』通称「お静礼三」から出ているのだが、こちらは、部落民というお静の出自の問題から、昭和40年に歌右衛門・梅幸で出したのを最後に大歌舞伎では途絶えてしまっている。川口松太郎版はそこをうまく避けて、お静と礼三郎の身分違いの恋というテーマをうまく偸み出して川口版の「お静礼三」をこしらえたわけだ。

 雷蔵版『次男坊鴉』では、場所を江戸でなく日光街道沿いの古河に移し、それにともなってお静の父親が古河の七五郎となっているほかは、二人をめぐる主な人物の名前も、兄の死去によって家督を継ぎ、日光改修の営繕奉行に任ぜられお静との仲を裂かれるという筋も、つまりテーマもモチーフもまったく同じなのだが、ややこしいことに、なんと原作が川口松太郎ならぬ坂田隆一となっている。坂田隆一、WHO? この間の事情、ご存知の向きがあればご教示願いたい。

 考証ごとに深入りしてしまったが、前回も書いた通り、名家の若様が無職無頼の徒に身をやつして二つの世界を往来するという物語、つまり「江戸の乞食王子」というのが、前期雷蔵映画を貫く主調テーマであり、その総決算が『江戸へ百七十里』であるとすれば、その初期の佳作が『次男坊鴉』だというのが、わが主張するところ。もうひとりの「江戸の乞食王子」遠山金四郎の『怪盗と判官』『次男坊判官』につづく作品である。

 旗本柳澤家の次男坊でありながら、自由を求めて旅鴉となり、古河の七五郎のもとに草鞋をぬいだところが、娘のお静が、頼りない許婚の巳之吉を見限って礼三郎に惚れ込む。その恋を封印、旅に出ている間に七五郎一家は土手の甚三一家に蹂躙される。危難を救った礼三は、兄が急死のため家督を相続、日光営繕奉行として職務の間に、お静が流れの身に零落する・・・。お静が瑳峨三智子の他は、七五郎が荒木忍、叔父六郷内膳正が香川良介など地味目の脇役陣の中に、老中松平伊豆守で新派の伊井友三郎が出ていたりする。

 もうひとつ欠かせないのは白根一男の歌う主題歌で、白根はこれ一曲で歌謡史に名を残した。「どこへ飛ぶのか次男坊鴉」で始まる節と間奏が一度聞けば覚えてしまう名調子。「恋が切ない次男坊鴉、どぶの世界に何故身を投げる、わけはあの娘(こ)の目に訊きな」という、瑳峨三智子がまさしくそういう目をしてみせる。弘津三男監督の叙景も悪くない。(上村以和於の随談より)

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