1955年6月28日(日)公開/1時間29分大映京都/白黒スタンダード

併映:「五十円横丁」(佐伯幸三/三益愛子・峰幸子)

製作 酒井箴
企画 高桑義生
監督 安田公義
原作 直木三十五
脚本 西条照太郎・犬塚稔
撮影 武田千吉郎
美術 上里義三
照明 島崎一二
録音 奥村雅弘
音楽 大久保徳次郎
スチール 杉山卯三郎
助監督 小木谷好彦
出演 山本富士子(誰弥)、勝新太郎(武智十郎太)、長谷川裕見子(団七)、黒川弥太郎(水城頼母)、江島みどり(千代)、市川小太夫(大口屋暁雨)、河野秋武(香車玄六)、富田仲次郎(渋川陣十郎)、光岡龍三郎(倉地一馬)、水原浩一(文覚の甚八)、伊達三郎(山梨三五郎)
惹句 『腕も度胸も、男っ振りも、いづれ劣らぬ花の二剣士、雷蔵・勝の顔合せ』『若き二人の美剣士の、つるぎにかけた友情が、今宵最後の月の出に、花とひらいて斬りまくる雷蔵、勝の顔合わせ絶対魅力の剣戟巨篇』『剣を争う二人の美剣士恋を争う二人の踊り子魅力爆発する月下の決闘』『待っていた魅力の顔合せが、恋と友情と、剣の極意を秘めて月の出の丘に血嵐を呼ぶ』『狙う短銃剣の林卑怯未練の浪人団月に散るか花の若侍二人、秘剣一閃剣風を呼ぶ』『待ってましたこの顔合せ力を合せて悪浪人を斬って斬りまくる波瀾万丈の青春時代劇』『剣に生きよか、情に泣こか、花の二剣士が波瀾を呼んで、血の雨降らす月下の決闘

kaisetu.gif (3018 バイト)

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山根貞夫のお楽しみゼミナール

 

 『踊り子行状記』の最大の見どころは、なんといっても市川雷蔵・勝新太郎・山本富士子の共演であろう。むしろ競演と書くべきか。1955年の大映作品で、市川雷蔵と勝新太郎にとっては前年のデビュー作『花の白虎隊』につぎ二度目の顔合わせになる。山本富士子とは初めてである。三人はこの直前『薔薇いくたびか』に出ているが、オールスター作品で、実質的な競演とはいえない。このあと、それぞれ大映スターとして大きくなっていく三人が、同じ1931年生まれであるのも興味深い。

・・・剣を争う二人の美剣士恋を争う二人の踊り子魅力爆発する月下の決闘

 この映画の惹句である。剣と恋、二人と二人、と読み込み、的確にドラマの興趣を盛り上げている。いまの時点から見れば、勝新太郎=美剣士というのがやはり妙だが、当時はそれが不思議でもなんでもなかった。“水もしたたる”という形容にぴったりの美貌の若侍を澄ました表情で演じている。勝新太郎の熱血の若者が正義感からカッとなって人を殺し、親友の市川雷蔵が身代わりに罪を引き受けて姿を隠す。この役柄の違いが面白い。市川雷蔵=悲しい運命、勝新太郎=屈折した心情。この対照は数年後の名作『薄桜記』(1959)における二人の役柄にも当てはまる。むろんそれは現在の感想にすぎないが、そういうことも昔の映画を見る楽しさである。

 この年の出演本数は、市川雷蔵が九本、勝新太郎が十本、そして山本富士子が九本。調べてみて、勝新太郎がいちばん多いことに意外な気がする。大映としては、数のなかで勝新の個性を探っていたのであろう。それは市川雷蔵や山本富士子も同様で、『踊り子行状記』の宣伝チラシには“大映時代劇陣の三大人気スター”とあるが、三人ともまだ決定打がなかった。だからこそ逆に、どこか頼りない姿が初々しい輝きを放っている。(キネマ倶楽部・日本映画傑作全集ビデオ解説より)

 

(スポーツ報知 06/26/55)

★ 作品解説 ★

 大衆小説の雄として、幾多の名作を残した直木三十五の快心の原作で、華やかな彩り、友情、剣と、若々しい時代劇の魅力を盛ったものである。これを西条照太郎、犬塚稔が共同脚色、安田公義が演出、撮影を武田千吉郎、音楽を大久保徳次郎が担当した。

 配役の面では、人気上昇の二人のホープ、市川雷蔵、勝新太郎を同時に出演せしめて、これに山本富士子を絡ませ、長谷川裕見子、江島みどり、黒川弥太郎の魅力競演。市川小太夫、河野秋武、富田仲次郎、光岡龍三郎、水原浩、伊達三郎らベテラン陣の熱演と、強力豪華な顔ぶれである。(公開当時のプレスシートより)

★ 物 語 ★

 兄弟のように仲のよい旗本安堂左馬之助と武智十郎太は軽輩だが剣にかけては抜群の腕前。上役の水城頼母は、番士として破格の抜擢をうけた二人の為、自分の誕生日を兼ねての盛大な祝宴をはってやったが、その席上、据物斬に直新流居合の秘術を見せた左馬之助の水際立った姿に、わけても身も魂も奪われたのは、その席によばれていた今売り出しの花の踊り子誰弥と団七だった。

 左馬之助、十郎太と同輩の香車玄六は、望みをかけた登用の選にもれた鬱憤の余り、僅かの粗相を咎めて、同じ祝宴の席に連なる蔵前の札差大口屋暁雨に口論を吹っかけ、とめる左馬之助の頬を殴り、席を蹴立てて帰ってしまった。しかもその翌日左馬之助の家に暁雨の姿を見た玄六は、又又前夜の鬱憤を持ち出したので、思わず腹に据えかねた十郎太は玄六を叩き斬ってしまった。左馬之助は十郎太の年老いた母の事を思い、自ら彼の身代わりになり、かねて十郎太と相思の妹千代を彼に托して暁雨の許に身を隠した。玄六の義兄の旗本一刀流の首領渋川陣十郎は草の根を分けても玄六の怨みをはらさずには置かぬと誓った。誰弥と団七はその噂を知り、ひとしく左馬之助の身を案じるのだった。陣十郎の厳しい探索に、危険を感じた暁雨は、秘かに左馬之助を誰弥に托した。誰弥の熱い心に、左馬之助も何時しか彼女と激しく結ばれてゆくのだった。

 左馬之助が姿を隠してのち、十郎太の懊悩は日に日に濃くなるばかりだった。意を決した彼は或る夜、大口屋を訪ねたが、忽ち一刀流の眼にとまり、激しく彼等と斬り結んだ。一方団七も、俄かに濃艶さをました誰弥の挙動から、同じ左馬之助を恋する女心として不審を抱き、誰弥の家を訪ねてゆく。しかし誰弥の家も一刀流の厳しい監視の的だ。左馬之助は誰弥とも別れ、囲みをぬけて、秘に旅に出ようとするが、早くも一刀流の察知するところとなり、誰弥は左馬之助の偽手紙におびき出され、料亭井筒屋の一室に監禁されてしまった。折から誰弥の家にやって来た十郎太は、左馬之助の友情に報いるのはこの時とばかり、単身井筒屋へかけつける。待ちかまえた一刀流!忽ち月下の浜町河岸に十郎太との間に凄壮な大殺陣がくりひろげられる!

 井筒屋の一室に誰弥が監禁されているのを知りつつ、いま同じ井筒屋の大広間に華やかに舞うのは団七である!その頃、左馬之助と暁雨は、十郎太の危機を救うべく一散に浜町河岸へ!二つになれと陣十郎の必殺剣が、十郎太の頭上へ!・・・(公開当時のプレスシートより)

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太秦空の下剣戟は始まる

雷蔵・勝の「踊り子行状記」

宵の場面に一番鶏がコケコッコ!

 

 大映京都のオープンは西オープンと東オープンに分かれている。西オープン二千坪は昨年夏に拡張され、奥行き五十間に及ぶ江戸時代の宿場町の大セットが、半永久的に建設されている。『鬼斬り若様』や『つばくろ笠』はもっぱらこのオープンのお世話になった。

 東オープンはこの反対に、昔の江戸市中の町のセットが組まれている。『近松物語』や『月を斬る影法師』などは、このオープンで撮影された。

 どちらが利用される率が多いかと云えば、その時の企画にもよるけれどやはり東の方で、目下製作中の『藤十郎の恋』の芝居町も此所で撮影されるし、市川雷蔵、勝新太郎顔合せの『踊り子行状記』(安田公義監督)は、無論全部江戸市中の話だけに、頻々とこのオープンの厄介になっている。

 此程、「踊り子誰弥の家の表」「札差大口屋の家の表」の両場面がこのオープンで夜間撮影されたが、映画になれば柳橋、浅草と遠く離れてしまうこの場面も、オープンセットでは、僅か十間程離れているばかり。(オープンセットは、一寸キャメラの向きを変えれば、全然別の町に見えるように、建てこみが工夫されているのである)午後六時から撮影開始し、「誰弥の家の表」の方から開始。入口をガラッとあけて雷蔵の左馬之助、市川小太夫の大口屋らが、おっとり刀で駈け出す場面。このワン・カットで雷蔵、小太夫は上り、つづいて七時から「大口屋の表」のセットで、勝新太郎が一刀組相手に大剣戟をやる撮影が始まる。

 こうなるとオープンもなかなか忙しい。夜太秦の空を望むと、あかあかとライトの光芒が見られるが、その空の下では、毎夜、このようなオープン夜間撮影が行われているわけだ。

 ブーンと物凄い音がして、十馬力の大扇風機が廻りだす。勝や一刀組連中のたぶさや、着物の袖、裾がハタハタとなびく。地上を小道具の紙屑がコロコロと転がっていく。撮影は夜通しつづけられ、最後のカットなど、同時録音に一番鶏の鳴き声が入り、NGが何度も出た程だった。

 
五日間ぶっ通しの豪華祝宴
『踊り子行状記』で五大スタア顔合せ
これはビックリ映画料理の種明し
 三千石の旗本頼母に扮する黒川弥太郎、江戸で一、二を争う踊子誰弥と団七に扮する山本富士子と長谷川裕見子、蔵前の札差大口屋に扮する市川小太夫、一刀組の首領渋川陣十郎に扮する富田仲次郎、その義弟香車玄六に扮する河野秋武と、実に多彩な顔ぶれである。

 しかも場面は、ファーストシーンの花やかな宴会の場面なので、庭上に舞台を作り、山本富士子の誰弥が、惚れ惚れとするようなあでやかさで槍おどりを踊れば、これをとりまく踊り子達には、若手女優陣が総出演し、為に平行撮影中の『藤十郎の恋』の方が手不足になってしまったという位。この庭を見下す大広間には、祝宴に招待された旗本達がズラリと居並ぶというわけだが、この為に用意された膳部は全部で五十組。

 見れば二の膳つきで、サシミ、吸物、焼魚、巻ずし、箱ずし、玉子焼、かまぼこ等々、ノドから手の出そうな料理が山の如く並べられている次第。見学する女の子が「お料理だけでも大変ねえ、撮影でホコリをかぶるだろうし、あれみんな捨ててしまうんでしょうね」と心配顔。

 だが心配は御無用。実はこれが最初から全部食べられぬものばかりなんである。一寸種明しをしてみれば、巻ずしは丸木を切って着色したもの。箱ずしも同じく、木を四角に切って上に青い色をぬり、そこへニスを引けば、いかにも水々しい鯖ずしに見える。玉子焼も木。サシミは赤コンニャクを切ったもの。吸物は水、焼魚は焼麩を斜めに切って、両面を焦がしてある。かまぼこと見えたのは大根の皮に泥絵具をぬったものだった。結局、食べられるものは眼の下一尺もある大鯛とカチ栗と結び昆布だけだった。この大鯛も、うまく反って見えるように、尻尾と頭に糸をつけて引っぱったものなのである。

(公開当時のパンフレットより)