二十九人の喧嘩状

1957年6月4日(火)公開/1時間31分大映京都/白黒スタンダード

併映:「永すぎた春」(田中重雄/若尾文子・川口浩)

製作 酒井箴
企画 浅井昭三郎
監督 安田公義
脚本 八尋不二
撮影 牧田行正
美術 上里義三
照明 伊藤貞一
録音 大角正夫
音楽 高橋半
スチール 杉山卯三郎
出演 嵯峨三智子(女房おきく)、勝新太郎(ちょんがれの安)、阿井美千子(おつね)、林成年(神戸長吉)、春風すみれ(妹おふじ)、黒川弥太郎 (清水次郎長)、千葉敏郎(大政)、杉山昌三九(安濃徳次郎)、山路義人(鐘鬼半兵衛)、入江たか子(おまち)、浦辺粂子(おげん)、江島みどり(村娘お花)、潮万太郎(浦島の亀)、光岡龍三郎(提灯政五郎)、東良之助(黒駒勝蔵)
惹句 『花はさくらか男は意地か血の雨降らす荒神山』『股旅映画も数あれど、一番面白くて、一番痛快な殴り込みはこれだ』『海道切っての暴れん坊、鬼よりこわい二十九人が、荒神山に血風まいて、暴れまくる斬りまくる』『命知らずが抜きつれた長脇差は二十と九本群がる敵の真っ只中へ、天下無敵の大暴れ』『喧嘩支度に身を固め、花のやくざが勇み肌血の雨降らす荒神山

kaisetu.gif (3018 バイト)

 

■ 解 説 ■

 『大江戸人気男』の八尋不二のオリジナル・シナリオを、『母白雪』の安田公義が監督、『刃傷未遂』の牧田行正が撮影した股旅もの。

 主演は『源氏物語 浮舟』の市川雷蔵、『折鶴さんど笠』の瑳峨三智子、『刃傷未遂』の勝新太郎、『大江戸人気男』の阿井美千子、『赤胴鈴之助(1957)』の林成年、春風すみれ。

企画から撮影に入るまで - 『二十九人の喧嘩状』スタッフ・リレー -

  

梗 概 ■

 伊勢の国は吉良港の侠客仁吉は、同じ侠客安濃徳次郎の女房おまちの妹おきくを妻として、まだ三月。人も羨む仲のよさ。仁吉は若いに似合ず腕と度胸のよさで街道一の親分になるものと嘱望されていた。子分の、ちょんがれの安が、恋人お花のことで鐘鬼一家の身内と喧嘩、提灯政五郎を心ならずも殺した事件が起ったが、仁吉は槍ブスマで構える鐘鬼一家に乗込み、血を流さずに事件を解決した。

 ところが、この幸せな仁吉夫婦に思わぬ危機が訪れた。仁吉の弟分、神戸の長吉と安濃徳との間に荒神山の高市の盆ゴザ開張をめぐりイザコザが起ったのだ。徳次郎の手紙には、長吉が譲ると云い出したというのだが一方の長吉の言分は、徳次郎が貸元衆の尻押しを力に縄張りを奪ったという。長吉は仁吉に助力を頼んだ。安濃徳を訪ね事情を聞いた仁吉は、非を改めぬ徳次郎に怒って帰った。が長吉を助ければ徳次郎に義理が立たぬ。遂に仁吉は恋女房おきくを離別した。

 仁吉の家には、たまたま暴れすぎて次郎長に大目玉を喰った大政、小政ら二十八人が居候にきていたが、いつの間にか仁吉の苦衷を知って応援を申出た。次郎長の許可を得た二十八人は仁吉と長吉の味方となり、一方の安濃徳も黒駒の勝蔵らを味方にして荒神山で対決することになった。

 荒神山に、じりじりと近づく両軍。忽ち乱戦となるが、仁吉は長吉を助けて安濃徳に迫る。仁吉が安濃徳を斬りたて、あわやというとき、木陰から射った伏兵の弾丸は仁吉の体を貫いた。駈け寄る清水の二十八人衆。心配して駈けつけたおきくもびっくり。安濃徳も思わず近寄った。「おきくを頼む」を最後の一語に仁吉は、今は涙もかれたおきくに笑みを浮べて息を引取った。(キネマ旬報より)

吉良の仁吉はよい男

作詩=西沢爽 作曲=古賀政男 唄=勝新太郎

 神戸の長吉と安濃徳次郎との有名な荒神山の争い、清水次郎長外伝の映画化です。安濃徳(杉山)の女房(入江)の妹きく(嵯峨)を嫁に貰ったばかりの吉良の仁吉(市川)は、長吉(林)の味方をする為に愛する女房に三下り半を書きます。大政、小政他次郎長の子分二十八人を味方に荒神山へ。安濃徳に迫った仁吉は伏兵の銃に倒れますその安濃徳への最後の言葉は「おきくを頼む」でした。

 仁吉の子分、ちょんがれの安に扮した勝新太郎が親分を讃えて歌うのが「吉良の仁吉はいい男」です。恋人お花(江島)とのツー・ショットで歌ったのが、「相惚れ道中」です。

 勝新太郎の父は長唄の杵屋勝東治。勝新太郎も杵屋勝丸を名乗り、吾妻徳穂のアズマカブキが渡米した時の地方の一人を務めました。鍛えた喉には流石と思わせるものがあります。(SP盤復刻による日本映画主題歌集15解説より)

一、
 街道そだちの ひともと桔梗
 仁吉通れば 袖をひく
 せめて濡れたや 情の露に
 一目惚れする
 吉良の仁吉は ササ よい男
二、
 強い許りじゃ やくざは三分
 涙七分で 男伊達
 ほんに見せたや いま売り出しの
 粋でいなせな
 吉良の仁吉は ササ よい男
三、
 意気と意気地の 荒神山に
 ふるは血の雨 槍の雨
 花と散る気か 散らすにゃ惜しい
 ゆかせともなや
 吉良の仁吉は ササ よい男

相惚れ道中

作詩=西沢爽 作曲=古賀政男 唄=勝新太郎・花村菊江

一、
 俺とお前は 振分け荷物
 紐で結んだ 二人連れ
 ねぐらさだめぬ やくざの旅にゃ
 チョイト変だぜ おい どうする気
二、
 眉毛おとして おはぐろつけて
 いっそ他国で 新所帯
 夢に見ました 丸髷すがた
 こんな気持を ねえどうする気
三、
 雨がふるときゃ 旅人合羽
 二人一緒に へえってく
 人が見てるぜ 勝手にしゃがれ
 きょうの泊りは おい どうする気
四、
 風に吹かれる 股旅がらす
 風の吹きよが 悪いのさ
 野暮じゃないかえ お天道様も
 好いた同志を ねえ どうする気

                           二十九人の喧嘩状              飯 田 心 美

 講談や芝居でおなじみの荒神山の一席である。市川雷蔵が、ここでの主人公吉良の仁吉にふんして活躍する。話の本筋からいうと荒神山の賭場争奪事件の直接関係者でありながら、臆病なために仁吉に泣きついてくる神戸の長吉の心理に並行して語らないと、芝居のおもしろさはハッキリしない。この長吉がナグリ込み開始後もケンカ場に現われず、兄貴分の仁吉を見殺しにするというところにヤクザ気質の対照も出るのだが、ここではそれが省かれている。だから仁吉の義侠だけが美しく現われたチャンバラで終っている。その点見ていてもの足りないが、雷蔵の仁吉ぶりを二枚目風に出すのが企画のねらいとあれば詮方ない。その意味では平凡なヤクザ映画というほかはない。

 肩のこらぬヤクザ映画にするための工作は、仁吉と女房おきくとの夫婦愛のあまさに焦点をおいたところに感じられる。嵯峨三智子を雷蔵の相手役に使ったのが成功の因。ついで勝新太郎扮する乾分の三枚目ぶりが、所々で笑わせる。一度わらじを穿いたこの男は出入りときいて駆けつけるなどなかなか義理固い。義理といえば、居候にきた清水の二十八人衆が助っ人に出るなどもその一つだ。かくてこれが題名になっているが、次郎長一家よりもここでの立役者は仁吉なのである。

 八尋不二の脚本、安田公義の演出は、ヤクザ否定をとなえながらヤクザ礼賛になりかねない作り方だ。事件の本筋などにこだわらず、もっぱら敵陣に乗込みタンカを切る仁吉の勇ましさを見せる。長吉役は林成年、適役と見えるのに商業政策で活かされじまいなのが気の毒である。

興行価値:大映若手俳優は最近話題となってきたが、内容は一寸弱い。もうひとおしの宣伝が必要だが、気のきいた映画と二本立もよし。(キネマ旬報より)

book.gif (2631 バイト)

 森の石松と吉良の仁吉は、次郎長を離れて一本立ちする人気者だけに、これまた映画化された作品が多い。結局、二人とも最期に斬り死にすることで一層の同情を集めるのだろう。

 吉良の仁吉(きらのにきち)は本名:太田 仁吉といい、天保十(1839)年〜慶応二(1866)年の実在の人。清水次郎長の兄弟分として幕末期に活躍した侠客。仁吉は荒神山の喧嘩の三ヶ月前に、穴太徳の妹お菊と結婚したばかりという設定。長吉への助太刀のためにお菊を離縁し、出入りに駆けつけたというのは、なかなか涙を誘う話だが、実は本当の仁吉には結婚歴はなく、創作と知れる。
 いずれにしても、義理に厚い上に、若くして義理を通した仁吉の物語は、後世人情物の講談や浪花節(浪曲)、演劇や数々の映画、歌謡曲などの題材として好まれ、よく取り上げられた。

♪・・・時世時節は変ろと、ままよ吉良の仁吉は男じゃないか、おれも生きたや仁吉のように、義理と人情のこの世界・・・

 戦前に歌われて、また戦後は村田英雄が歌ったが「人生劇場」は文句なしに、日本人の心をふるわせたものだ。遠州森の石松は殺伐とした修羅場の世界に”馬鹿でおっちょこちょいのお人好し”という笑いを持ち込むために作られたキャラクター であるが、あまりにも広沢虎三の描く世界が面白く、日本人の心にマッチしたため、史実と作り話が混在して伝えられ、ほんの百五十年前の出来事であるにも拘らず、登場人物について諸説紛々としている。
 清水一家のうち大政、小政をはじめ十八人衆が助太刀に加わり、総勢二十四人が船でやってきて、四日市で下船 したと伝えられている。ついこの間まで見たという人も生きていたというから、大昔の話ではないが、刀を肩にかついで、荒神山まで走ってきたそうだ。喧嘩は清水一家の協力を得た長吉側の勝利となったが、この喧嘩の最中に、仁吉は鉄砲で撃たれた上、刀で斬られて死亡する。慶応二(1866)年4月8日は仁吉の命日で、享年28才の若さだった。

 尚、墓は愛知県吉良町横須賀にある源徳寺にある。仁吉の一周忌に兄貴分の清水次郎長が建立したものだ。この源徳寺は、静岡県清水の梅蔭禅寺(清水次郎長の墓)、袋井の大洞院(森の石松の墓)と並び、彼等の勝負強さにあやかるためのゲン担ぎのスポットとして有名で、ここ1番の勝負の前に訪れる勝負師も少なくないという。毎年六月の第一日曜日には吉良の仁吉を偲んで「仁吉まつり」が行われる。他には、仁吉が使ったと伝えられている三度笠などの遺品も残されている。

 「人生劇場」の作者尾崎士郎には、故郷三州吉良に思いを寄せた「吉良の男」「吉良の仁吉」といった著作がある。

YaL.gif (2580 バイト)

Top page