濡れ髪牡丹

1961年2月8日(水)公開/1時間30分大映京都/カラーシネマスコープ

併映:「唄は峠を越えて」(西山正輝阿井美千子・根上淳)

製作 武田一義
企画 八尋大和
監督 田中徳三
脚本 八尋不二
撮影 相坂操一
美術 内藤昭
照明 加藤博也
録音 海原幸夫
音楽 塚原哲夫
助監督 土井茂
スチール 西地正満
出演 京マチ子(清見潟のおもん)、小林勝彦(岩吉)、小桜純子(おたき)、井上明子(お勝)、山本弘子(おかん)、大辻司郎(にょろ松)、千葉敏郎(女木原兵馬)、阿部徹(孔明の伊三郎)、須賀不二男(曲平十郎)、真塩洋一(弁慶辰五郎)
惹句 『腕っ節なら度胸なら男勝りの大姉御と、なんでもござれの旅鴉が、剣と色との果たし合い』『剣も喧嘩も型破り恋も笑いも濡れ髪調アッと驚く新趣向で爆笑の嵐を呼ぶ』『勝って来るぞと勇ましく誓ってのぞんだ婿選び姐御よあなたは強かった悩殺剣法大いに暴れる』『恐れ入った悩ましさあきれかえった痛快さあんまり笑わせて失礼さんにござんす』『三千人の子分を尻にして海道一の大姐御となんでもござれの旅鴉が、剣と色との果たし合い』『武芸百般からお料理まで何でも出来る旅鴉に、剣術しか出来ない女親分が惚れたから大変です

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 3千人の子分を持つ美しい女親分が婿探しを始めた。色と欲にかられた志願者たちが殺到する中。口八丁、手八丁の男が彼女の心をとらえる。

★ 作 品 解 説 ★

▽.....この映画、大映スコープ総天然色「濡れ髪牡丹」は、明るく楽しい現代調の時代劇として、すでに定評のある市川雷蔵・田中徳三監督お得意の“濡れ髪もの”の第五作で、いまや大映京都の名物シリーズともいうべき魅力溢れる黄金時代劇であります。

▽.....こんどの主人公の八八の瓢太郎は、剣道、柔道、鉄砲、弓、槍薙刀という武芸百般はもとより、料理、裁縫、算盤、生花、茶の湯、書道という教養一般についても免許皆伝という腕前のほか、お経も読めれば忍術の心得もあるという文字通りの万能選手で、三千人の子分を持つ女親分のおもんが、婿探しのために、跡目試験のテスト実施中ときいて飛込む風来坊やくざです。雷蔵と初めてやくざコンビを組む京マチ子の個性ある演技と市川雷蔵得意の軽妙なタッチのかみ合せ興味の焦点を合せようというものです。

▽.....配役は、市川雷蔵、京マチ子の珍しい顔合せに加え、おもんの弟に小林勝彦、その恋人に六一年のホープ小桜純子、三ン下にょろ松に時代劇初出演の大辻司郎のほか、井上昭子、山本弘子、千葉敏郎、阿部徹、須賀不二男、真塩洋一、小堀阿吉雄といった異色多彩な豪華キャストを揃えています。

▽.....なおスタッフは、製作武田一義、企画、八尋大和、脚本はベテラン八尋不二に監督は“濡れ髪もの”で時代劇に新機軸をひらいた新鋭田中徳三監督が野心のメガホンをとり、名手相坂操一がカメラを担当するという粒選りの精鋭が顔を揃えています。(公開当時のプレスシート:DAIEI PRESS SHEET No.970より)

おいらは万能選手

三人の主役がおどけて笑って切りまくる作品

 
◆すっとぼけた無宿者が、女親分の家にワラジをぬぐが、この無宿者は口八丁手八丁という大変なおっちょこちょい。
 ところが、女親分の家になぐりこみがあることになって、喧嘩仕度におおわらわ。のんびり構えている無宿者に女親分はどなりつけた。
 やくざの仁義で、無宿者が喧嘩の先に立たなくてはいけない。しかし、今まで腰抜けやくざとばかり思っていたのがなんと強いのなんの・・・彼が、自分で云うように喧嘩ばかりじゃなく、読み書きソロバンまで出来るという。女親分はほんのりホの字になるのだった。
 出演は市川雷蔵の他、京マチ子小林勝彦小桜純子。演出は田中徳三監督

(近代映画61年3月号より)

 『花くらべ狸道中』の脚本・八尋不二、監督・田中徳三、主演・市川雷蔵の黄金トリオによる“濡れ髪”シリーズ第5作だ。『花くらべ狸道中』は、この年の正月映画だが『濡れ髪牡丹』は、そのわずか1カ月後に公開されている。当時、雷蔵主演作は毎月1本のペースで公開されていたが、これほど楽しい傑作を連打できたのは、スタッフ・キャストの才能とチームワークのたまもの。

 子分3千人の女親分。男まさりで料理もできない。おまけに理想が高すぎて婿が決まらない。そこへ口八丁手八丁の瓢太郎という旅鴉が現れる。親分の弟は、この旅鴉が姉の婿にふさわしいかテストをする。瓢太郎は剣術、忍術、算術、砲術、華道、書道、俳諧などあらゆる免許皆伝。歌舞伎は団十郎の直弟子で成田屋免許皆伝。「西暦1603年・・・以来、民衆とともに・・・」などと歌舞伎の来歴も講釈する。が、ヤクザのくせに瓢太郎は博打と女に弱かった。わざと憎まれ口をきいたりしながらも、この水と油のような女親分と旅鴉が結ばれるまで。

 親分に京マチ子、その子分を演じている大辻司郎もおかしい。(藤田真男「昭和30年代のヒットシリーズ上」ネコパブリッシング1999年刊より)

★ 梗 概 ★

 清見潟のおもんは、三千人の子分を引きつれた名代の女親分さんで、おまけに生まれついての有名な器量よしであった。しかも最近、彼女が自分のメガネにかなった男があれば婿にして、そっくり縄張りを譲り渡そうといい出したため、色と欲とのふた道かけた志願者が一気に殺到したが、厳重な跡目試験に合格したものは一人もなく、テストにはずれたものは、何れも褌一つぶざまな姿で、約束の鞭の罰をうけて放り出されるのが関の山であった。おもんには岩吉という生意気盛りの弟があるが、おもんは弟だけはやくざにしたくないばっかりに婿探しということになったのである。しかし岩吉は恋人のおたきには、やがて自分が跡目を継いで大親分になるのだと大いにいばり散らしていた。

 そんなところへ飄然と現われたのが八八の瓢太郎である。応対に出た岩吉が、まず最初の関門である相手の隙をみて、いきなり髷をつかんで顔を畳にゴシゴシ擦りつけようとすると、ひょいと体をかわし、反対に岩吉がやられる結果となった。次いで力自慢の弁慶辰五郎のテストも難なく通り抜け風変り算盤の試験も二挺の算盤を両手ではじき、入金と出費が同時に計算出来るという鮮かさで見事にパスしたが、聞けば彼は直指流免許皆伝の腕前だという。最後の剣術のテストにも打勝った瓢太郎は、いよいよ親分のおもんと手合せすることになったが、さすがに柳生神陰流の使い手も、彼女のお色気の前にあえなく木刀を取落し、ついに負けてしまった。

 例によって瓢太郎は裸にされしたたか鞭で打たれたが、一向に痛そうな様子もなく平然として外に現われたのである。これも甲賀流忍術を十年も修行した賜物だとうそぶく彼は、最後にはついにフラフラ敗れたものの、まさに口八丁、手八丁の文字通り八八の瓢太郎の名にふさわしい万能選手であった。

 瓢太郎は、 甲州流の得意の早駈けでどこかへ消えてしまったが、忽然として三河に現われたとき、清見潟一家の三ン下にょろ松が何処からか後をつけているのに気がついた。彼はどこへでもニョロニョロと首を出すからにょろ松である。岩吉ボンのいいつけで“一年経てばもう一度二人で帰ってこいというので見失わないように尾行してきた”のだということだが、実はおもんの命令である。二人はこれから一年、弥次喜多道中よろしく、男ばかりの色気のない旅に出るのだが、源兵エ一家にワラジを脱ごうとしたとき、親分が流れ三星という三人連れの浪人に殺されて、一家は大騒ぎの最中だった。ところが、瓢太郎は“かっては僧籍にあった身じゃ、私が読経しましょう”と俄か坊主に早変りして一同を唖然とさせた。

 それから一年−岩吉がおたきと二人で瓢太郎たちの帰りを待ちわびているとき、清見潟一家が招いた歌舞伎の一座にまぎれこんで瓢太郎とにょろ松が帰ってきた。舞台で仁木弾正を演じる名優成田屋が、瓢太郎であることを知ったおもんはあっと驚いた。おもんは内心の嬉しさとは反対に、河原乞食風情になり下ったと激怒したが瓢太郎は、歌舞伎の由来をトオトオと説き、学のあるところを披露しておもん達を煙にまいた。ところがおもん対瓢太郎の再試合は、双肌ぬいだおもんのお色気に圧迫され瓢太郎がまたも不覚をとったが、約束の鞭の刑を受けるとき、つい忍術をかけるの忘れて、こんどは足腰の立たないほど打ちのめされ、裸で放されてしまった。

 びっこを引いた瓢太郎は、にょろ松の介抱をうけながらまたも次の旅に出たが、二人とも財布は全くのオケラだった。止むなく一と稼ぎというのでバクチに手を出したが、さすがの瓢太郎もこの方はからきしダメで、すってんてんにされて途方にくれているところへおもん親分が現われ、ようやく裸だけはまぬがれた。

 そしてまた一年がたった。そのころ、無法者の流れ三つ星たちは極悪非道をきわめ、手におえなくなった役人たちは、おもん親分に手助けを求めてきたが、一方おもんに横恋慕した孔明の伊三郎は、親分を裏切って流れ三つ星とグルになり、いよいよおもんを騙し討ちしようとはかった。そんなとき瓢太郎・にょろ松の二人がまたもフラフラと舞い戻ってきたのだが・・・・・・。(公開当時のプレスシート:DAIEI PRESS SHEET No.970より)

 ロケともなれば底冷えで有名な京都で淀川の河原と聞いただけでゾッとするような吹きさらし場所。ここを大井川に見立てて蓮台で川を渡るシーン、雲助になる俳優部諸氏はまさにお気の毒という所。

 雷蔵さんの相棒になる大辻さんは「何だか悪いみたいですね、乗っていいんですか、すみませんね、後で交代しますから」ともっぱら低姿勢。

 雷蔵さんはすましたもので「これも仕事や、気の毒やけど台本にそうなっとるから仕方ないね」と悠々たるもの。

 これを聞いた田中監督「ここは一つ本を書き換えてお二人にかついでもらいましょうか」に、二人は「とんでもない、そんな事をしたら明日から40度の熱出しますよ」のおどかしが聞いたかどうか・・・。(よ志哉より)

 

濡れ髪牡丹寸評

 所謂、濡れ髪シリーズの第五作ですが、数を増す度に内容が、落ちて行くようです。フザケた映画であろうとは想像致して居りましたが、悪フザケが過ぎます。娯楽映画は大いに結構ですが、ドタバタ喜劇では凡そナンセンスです。珠算の場面で、手がアップになりますが、あれが雷蔵さんの手で無い事は、雷蔵さんの映画を見慣れて居れば誰でもわかりますし、読経のシーンで、アフレコの拙さからか、口と音声が合わないのは見苦しいものです。又、焼けヒバシに当てるシーンで、手の甲に何かを入れるのが見えました。注意して下さい。

 他、雷蔵さんの表情の事ですが、キマリキマリの表情が何時も同じのように思えました。しかし殺陣は『大菩薩峠』以来、一段と進歩して居り、京さんとのコンビも心楽しいものでした。このシリーズも、段々新鮮さとスマートさが無くなって行くように思えます。今度は、脚本者なり、演出者なりを変えて見てはいかがでしょうか。余談ですが、お正月の入場料金がそのまま据え置きになっているはどうした訳なのでしょう。税込二百円の入場料は、余りに高いという巷説があります。新潟 忍

濡れ髪牡丹 即席評

 「風来坊待ってました。雷さん十八番、久々の濡れ髪もの」

 武芸百般、教養一般、何でも来いの瓢太郎、彼の奇抜な活躍はスクリーンと客席をいとも軽妙な笑いで結ばせる。インスタント時代と云われる当今、瓢太郎のような男が現実にいるかも知れない。彼を単なる夢想像と見るより、現代的モラルに富んだ即席処世術の趣向を高く評価したいものである。

 ストーリーは別段珍しくない。悪が滅びて善が栄えるハッピーエンドだが、時に応じ機に即し、瓢太郎があの手この手で免許皆伝の腕前を見せるところに此の映画の面白さがあると思う。瓢太郎をバクチと女にからっきし弱い旅烏に仕立てた演出は、神通力を失った仙人のようでユーモア味を一段と加えている。

 雷さんは濡れ髪シリーズがすっかり板につき、瓢太郎の持味をうまく出している。しかし、セリフにナマリが所々あったのがいささか気になる。江戸弁のアクセントをよく研究願いたい。脇役は、京マチ子の女親分おもんは好演。小林勝彦の弟岩吉は平凡。その他も同様。瓢太郎が、西部劇調の口笛を吹くのはフレッシュ感を持たせるが、ムードにあわぬ場面もある。洋画応用のセンスを時代劇では、尚再考してほしい。風来坊

(よ志や 22号より)

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詳細はシリーズ映画、その他のシリーズの『濡れ髪シリーズ』参照

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