大江山酒天童子

1960年4月27日(水)公開/1時間54分大映京都/カラーシネマスコープ

併映:「勝利と敗北」(井上梅次/川口浩・若尾文子)

製作 永田雅一
企画 鈴木火召成
監督 田中徳三
原作 川口松太郎
脚本 八尋不二
撮影 今井ひろし
美術 内藤昭
照明 中岡源権
録音 林土太郎
音楽 斎藤一郎
助監督 土井茂
スチール 小牧照
出演 長谷川一夫(橘致忠、後に大江山酒天童子)、山本富士子(渚の前)、勝新太郎(渡辺綱)、本郷功次郎(坂田金時)、左幸子(茨木)、中村玉緒(こつま)、根上淳(平井保昌)、中村鴈治郎(大和守一正)、林成年(卜部季武)、田崎潤(袴垂保輔)、中村豊(菊王丸)、小沢栄太郎(藤原道長)、金田一敦子(桂姫)、浜田ゆう子(救世観音)、阿井美千子(千春)、上田吉二郎(荒熊太郎)、清水元(虎熊次郎)
惹句 『復讐に燃えて巨牛に化け、大蜘蛛に変化する鬼面の妖怪出没藤原一門と悲恋の美女を守る源氏の若武者』『甦える伝説胸うつロマン怪奇妖艶の幻想絵巻』『豪華妖艶怪奇日本映画に未踏の境地を開く奇想天外の時代絵巻

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[解 説]

 “大作主義”の方針を打ち出した大映は、企画の充実とともに力のこもった作品を放っているが、これはゴールデンウィークに封切る時代絵巻である。

 物語はいまさらいうまでもなく、“大江山の鬼退治”で、古くから親しまれて来た伝説をもとに、川口松太郎が書き下ろした原作を、時代劇脚本のベテラン、八尋不二が脚色したものである。

 お話は、平安末期、時の関白・藤原道長に愛妻を横奪された近衛の武士、橘致忠が、みずから“酒天童子”と名乗って大江山に立てこもり、藤原の専横に対抗する−というもので、酒天童子が実は白面の革命児だったというところに新解釈が見られる。

 出演はこの酒天童子に長谷川一夫、その妻、渚の前に山本富士子のほか、おなじみの源氏の大将、源頼光に市川雷蔵、四天王、渡辺綱に勝新太郎、坂田金時に本郷功次郎、碓井貞光に島田竜三、卜部季武に林成年、また根上淳、中村豊、中村玉緒、金田一敦子、左幸子に田崎潤、千葉敏郎、上田吉次郎、清水元、沢村宗之助、阿井美千子、伊沢一郎、舟木洋一、浜田ゆう子、さらに中村鴈治郎、小沢栄太郎がそれぞれ歴史上有名な人物に扮して現われる。演出は新進の田中徳三監督。

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「大江山酒天童子」特殊撮影四方山話

 大映十八番の平安王朝スペクタル巨編として、オールスター総天然色作品『大江山酒天童子』は、昭和35年の黄金週間に公開された。対抗馬は東宝の特撮戦記大作『太平洋の嵐』であった。大映京都は「酒呑童子絵巻」や「土蜘蛛草子」等に描かれた幻想的な絵巻物世界を特撮で映像化し、特撮王国の牙城、東宝へ果敢に挑戦した事になる。

 特撮映画として、やぶにらみ的に評価すれば、『大江山酒店童子』の真の主役は勝新と雷蔵のカツライス・コンビ以上に、妖怪の土蜘蛛や巨牛の方である事は言わずもがな、大スターを喰ってしまう脇役の特撮スターどもであるから。そんな彼らの特撮裏話を順に紹介したい。

 まずは冒頭、源頼光と四天王により首を刎ねられた酒天童子は、首だけで逆襲して頼光の兜に喰らいつく。巻物や木版画で有名な「鬼首頼光を噛む圖」の映像化だ。活劇伝奇ロマン幕開けに相応しい火を吹く鬼の首も、実際はピアノ線で吊られた1メートル弱のゴム製で、プロパンガスの火力が強すぎて首自身が焼けてしまった。すは、鬼のたたりか?生憎、出火騒ぎは起らずに一安心。次なる登場は、鬼童丸が変化する巨牛だ。犀と水牛をミックスしたデザインは秀逸で、大小二体が製作され、まず大の方は、高さ2メートル、全長3メートル、重さ140キロ、人間二人が中で操作した。アップ用の場面では、2本の太いロープで吊り下げた状態で撮影され、重量の所為かほとんど動けないのは、画竜点睛を欠くもの。口から噴出する瘴気の正体は、流動パラフィンを使用。液状のパラフィンを熱すると蒸気化して霧状になり、スモークとは異なった趣が生じる。また小さなサイズの方は雲の中から出現する場面に使用された。

 ここでの雲の特撮は、もちろん水槽に絵の具を使った正統的なトリックであるが、一工夫されている。絵の具とアルコールの混合液を注射器で水槽の底から注入すると、ムクムク盛り上がる雲に成功。これは水より軽いアルコールの性質を利用した応用業だ。

 僅か数秒のカットの為に、この実験に丸三日も費やしたそうだ。さて、しんがりを勤める千両役者は、古墳から出現して蠢動する巨大な土蜘蛛だ。これは、高さ2メートル、全長10メートル、重さ84キロ、足一本の長さ4-5メートルで、8本足全てピアノ線により操作され、天井からの糸で正にクモの巣状態であった。本体は鉄骨を芯に、体表はラテックス製のの外皮に真珠の粉末を散布し、ライトの光に反射して不気味な光沢を発する仕掛けだ。中には人間一人が乗り込み操作する。(画面上で入口のフタを確認!)武器の蜘蛛糸はセロファンではチャチなので、ビニールの紐をゴム糊に浸したものを使って粘着性を高めた。この怪物と頼光一党の決戦は、最大の見せ場である。

 これらの影の主役を約一ヶ月で造型した生みの親は、京都の大橋工芸社社長、大橋史典その人であった。彼は大映や東映などの外注で、ゲテモノ系の大道具から小道具まで専門に製作した。また独自で開発し、特許も取ったコムパウンド・ラテックスを使用したそれらの造型物の皮膚感には、大橋調な特徴が認められる。造型の傍、役者もこなし、京都市会議員の経験もある異色な人物であった。(彼の生涯最大の作品は、大映「鯨神」(62)で製作しかけた鯨で、高さ7メートル、全長26メートル、重さ3トン、製作費は当時で850万円也。製作中に転落して骨折したほど。)

 大映京都には、特撮班が無かったので本多省三カメラマン(「赤胴鈴之助・黒雲谷の雷人」(58)で撮影担当)が、この映画全体の特撮を扱い、特に観世音菩薩の夢の場面は、会心の出来と自負した。輝く星々の幻夢的な光彩は、十三枚のネガをダブらせて撮ったものだった。(村田英樹 1999年12月22日発売「大映特撮スペクタクルBOX」より)

 

 大映京都のゴールデンウィーク作品、川口松太郎原作『大江山酒天童子』(脚本八尋不二、監督田中徳三)は、このほどクランクインした。

 日本三大伝説の一つにかぞえられるこの“大江山の鬼退治”は、いままで伝説や歌舞伎で酒天童子が鬼だといわれていたが、映画では白面の革命児として描かれ、またヨウ術使いの茨木が若い女性であるところが異なっている。このほどのセットでは、長谷川一夫、市川雷蔵、勝新太郎ら主要キャストが、初顔合わせし、きらびやかなふん装で平安時代を再現した。

 酒天童子の長谷川一夫は「伝説とは違った美男子の酒天童子をどうこなすか、まだ綿密な計画をたてていない。しかしロビンフッドに似た一人の革命児という線を強く打ち出したい。まあ、大人のおとぎ話として十分に楽しんでもらうようこなしてみるつもり」と意欲のほどをみせれば、

 源頼光にふんする市川雷蔵は、「時代劇には夢があるといいますが、この映画ほど素材として大きな夢を描かせるものはありません。さいわい、歌舞伎の“戻り橋”“土蜘蛛”などなつかしい場面がたくさん出るので、大いに楽しみにしています」と抱負を語っている。(サンスポ大阪版 03/09/60)

 

[略 筋]

 平安の末期−栄華を誇る時の権力者関白太政大臣藤原道長の恐れるものはただ一つ、寵愛する渚の前を悩ます妖怪の襲来だった。道長は都の治安を司る源氏の大将頼光に渚を払い下げ、妖怪から免れた。

 頼光には渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武の四天王に加えて平井保昌、近習の菊王丸がいあた。綱の妹こつまと頼光は恋仲だった。渚が頼光の舘に来た夜、妖怪茨木童子が現れ、渚は頼光に救われた。その夜、野盗袴垂保輔の一党が池田中納言の舘を襲い桂姫を連れ去った。茨木童子に襲われた綱はその片腕を切り取り妖魔の魂を監視したが、伯母に化けた茨木に奪い返された。怒った道長は頼光に夜盗、妖怪の討伐を命じ、頼光は首領大江山酒天童子討伐を決意した。今までは大江山に鬼退治に出かけて無事帰ったものはいない。

 兄の失敗を償うこつまが金時と二人山に入った。早速襲ったのは妖術使いの鬼童丸、金時を洞窟に閉じ込めると、こつまを酒天童子の舘に導った。都をしのぐ荘厳さに増してこつまを驚かせたのは、白面の貴公子酒天童子の姿である。頼光に知らせるため金時は山を下りた。淋しく待つ頼光に渚は意外な身の上話をした。大江山酒天童子は渚の夫、妻を手篭にし、その上、舘に仕えさえた道長の非道を怒り、野盗の首領になったのである。

 こつまは戻らず、夜盗の悪業はつのるばかり。ついに大江山鬼征伐の勅令が頼光に下った。翌日、出陣を前にして夫と頼光の戦いを悲しみ渚は自害した。頼光の軍勢が攻め入るのを見下ろす酒天童子に、侍女千春がこつまの危険を知らせた。酒天童子は鬼童丸の手からこつまを救ったが本拠では仲間割れや反目がつづき、袴垂も鬼童丸も倒された。

 山伏姿に扮した頼光勢の正体を見破ったのは茨木童子、しかし童子も野盗の矢に当り、酒天童子の胸の中で息絶えた。一騎討をのぞむ頼光と酒天童子の間にこつまが分け入り、頼光に童子の潔白を訴えた。

 頼光から渚が生涯童子を愛して果てたことを聞いた酒天童子は、落日の平原を一人下っていった。( キネマ旬報より )

[撮影こぼればなし]  

★大江山になった秋吉台★

 この映画のクランク前から一番問題になっていたのは“大江山”ロケ地をどこにするかということだった。雄大なスケールと殺バツなふん囲気の条件にかなう土地は、京都周辺には見当たらず、伝説の大江山もいまではすっかり開けて映画化するには不向きというので、大島と秋吉台が候補にのぼった。が、田中監督が秋吉台をすっかり気に入り、映画では“大江山”は秋吉台がとって変ることになった。

 秋吉台は山口県の中央に位置し、海抜400米、石灰岩の無数に展開する面積250平方キロにわたる高原。二月末に山焼きした草原はコゲ茶色にひろがって、その上に点在する石灰層の白い岩ハダが奇妙なコントラストを見せ“大江山”の導入部にはうってつけというわけだ。

 ここで撮ったのは、時の権力者藤原道長に愛妻を奪われ、失意の橘致忠が袴垂保輔や鬼童丸に襲われるが、反対にやっつけてしまうというのと、女でなければ入れないという理由と、兄綱の失敗のつぐないのために自らすすんで大江山偵察を決心したこつまと護衛坂田金時が潜入する場面の二つだ。

 田中監督は「さらっととって雄大なスケールを感じさせたい」といっていた。足場の悪い場面で立廻りする長谷川一夫さんはすっかり疲れた様子だったが、「おとなの楽しめるオトギ話にしたい」と語った。また場面をかえて長者が森付近で行われた玉緒ちゃんと本郷功次郎さんの組は、松の木にぶらさがった三体のミイラの下で、大江山の恐ろしさを出そうとするための、精密な演技を要求されていた。精巧に作られたロウ人形が折からの強風に吹きさらされて、全く気味が悪い。「こわいわ、夢にみそうだわ」と玉緒ちゃんは、演技する前からこわがっていただけあって、演技も迫真的なものがあった。(公開当時のパンフレットより)

四人のこぼればなし

▼長谷川一夫さん・・・・

 この映画で伝説のヒーロー酒天童子になる長谷川一夫さんの許へ、撮影前、全国のファンから可愛いい手紙が殺到。“私たちのイメージをこわさないで”とか、“鬼になるのだけは止めてください”とか、恨みがましい手紙まで混じり、当の長谷川一夫さんは返事をするのに大弱り。「こんどは鬼の童子ではなくて白面の貴公子なんだから」と弁明にこれつとめていた。宣伝部もこの返事の手紙を書く手伝いをしていたが、この名画シリーズをお買いなった方のなかにも、こんな手紙をだした方はおりませんか。

市川雷蔵さん・・・・

 市川崑監督『ぼんち』の撮影とかけもちで出演した市川雷蔵さんは、この映画では源氏の大将源頼光という役。『ぼんち』では大阪の船場の因習に抗しながらも、結局はこれに崩れ去るという一見頼りない三枚目の男性、ところが『大江山酒天童子』では緋おどしの鎧も勇しくりりしい若武者姿。「セットが違えば同じ雷蔵でもこうもちがうもんでしょうかね」と対照的な役の使い分けに本人は一苦労。「でもやっぱりきたないより、きれいな役の方が気持ちがいい」と『大江山酒天童子』の田中組へ来てはもっぱら時代劇礼讃?

本郷功次郎さん・・・・

 彼は大映東京撮影所の『勝利と敗北』とかけ持ち出演。この映画では坂田金時という少年たちにも“金太郎”の名前で知られたおなじみの役。扮装テストの時には鎧姿に身を固め、大きなマサカリをかついでセットに現われたが、「先生、金太郎のハラガケはいらないんでしょうか。あの方が有名だし、僕にも良く似合うとおもうんですけど」と田中監督に申し出た。すると田中監督いわく、「おのぞみならやってもらってもいいんです。しかしよく人形をみてごらんよ、あれは下に何もはいていませんよ。それでも本郷君さえよければ・・・・」には、さすがの本郷功次郎さんもゲンナリ

▼左幸子・・・・

 茨木童子に扮し、鬼に化けたり老婆に化けたりする役をもらって大張り切りの左幸子さん、これは戻り橋で渡辺綱(勝新太郎さん)に腕を切りおとされ、口惜しさのあまり老婆にばけて腕をとり返しにいく撮影のときのこと。猛烈な鬼のメーキャップに苦心しながらいうことがいい。「ともかく娘になったり、お婆さんになったりするでしょう。だから大変忙しいわ。でも鬼のところだけは主人に見せたくないの。だって気が弱いから気絶しちゃうもの」とオノロケをひとくさり。かげの声、鬼の眼にも涙ありだってさ 。誰ですそんなひがみをいう奴は?(公開当時のパンフレットより)

雪の“秋吉台”へロケハン
谷間に高さ十数メートルの山門
『大江山酒天童子』で大オープン建設

 大映京都が新人田中徳三監督を起用し、ゴールデンウイーク大作として製作する『大江山酒天童子』(原作川口松太郎)は、撮影開始を前に長谷川一夫、山本富士子、市川雷蔵、勝新太郎、本郷功次郎ほか四十数名にのぼる全キャストを決定したが、一方、田中監督以下の製作スタッフは、山口県秋吉台のロケハンからこのほど帰所、準備体制もいよいよ最後の大詰めにきた。

 昨年末シナリオ・ハンティングのために訪れた大江山(京都府下大江町)は、電源・光線・宿泊設備などの関係からロケーション条件が悪く、また画面構成上からも不適当なため、これに代るものとして各地の観光地(宿泊設備の収容力の関係から)を物色中であったが、まず、京都に近い屯鶴坊、奈良、有馬、六甲方面に目をつけ、広大な平原シーンには、国定公園秋吉台を使用する模様である。

 田中監督、今井カメラマン、内藤昭美術技師らの一行は、このほど雪に埋れた秋吉台から実地踏査を終えて帰ってきたが、秋吉台はわが国最大の典型的な石灰岩台地だが、山口県の中央部にひろがるカルスト地方の中心で、東西十六粁、南北十二粁の、四四三〇ヘクタールにわたる一大平原に、高さ一米から四米の白い石柱が青空に向かって乱立し、その壮観はアメリカの西部劇を思わせるものがあるといわれているが、折からの積雪にふるえながらも、田中監督は、余程気に入ったものとみえ、ここを大江山の入口辺りの場面に使いたいといっている。

 また大江山の山門は、台本によれば都の朱雀門をはるかにしのぐ大門ということで、これは嵐山上流の落合と呼ばれる渓谷、岩石のけわしい辺りに巾十六米、高さ十二米の大オープンを組むことになったが、交通が不便なところから、柱になる材木は筏をくんで運搬するともいわれ、美術関係者は早くも建込みに頭を悩ませている。このほか都大路の大オープンは、京都上加茂のゴルフ場近くの空地に一ヶ月がかりで建設される予定であるが、京都御所、山科の勧修寺、宇治の平等院や京都の東福寺などもロケ地の候補にあがっている。(大映Newsより)
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