薄桜記に寄せて

 題名からして気に入っていた此の小説の映画化は、大方の例にもれず小説とは大分異なったストーリーだけれど、映画だけを見ても、随分と心に沁みる作品でした。背景の年代や事件、典膳夫婦の馴れ初め、その他いろいろと映画向きに安易に変えられているが、現代の私達にも通ずる夫婦愛を見事に描いています。

 この映画での典膳の生き方、考え方には、現代の若い男性にもなかなか求められぬ清烈さ、深さがあって写真(うつしん)と知りつつも凄く惹かれて了まった・・・というのも、雷蔵さんの典膳になりきった演技の故でしょう。

 後半、片腕の浪人として初めて登場する湯治場の河原のシーンは、セリフ、表情とともに典膳の心も明確に伝え、併せてその運命をも暗示するかの様で、私には最も印象深いシーンの一つでした。勿論、ラストの凄惨な殺しの場面も、近頃珍しい迫力あるものでしたし、妻の千春に「死んではならぬ」と言うシーンも、深い愛情を示して心打たれるシーンでした。

 メーキャップも、片腕を斬られて駕篭のうちにもたれている場面、ラストの立廻りの時の顔など、すべて良くできていたと思います。ただ斬られて無いはずの腕を時折感じて了って(兄に斬られた直後も)本当には腕があるのにさぞ演りにくいここと思われましたが、とにかく私には云う所のない程、近頃最も魅せられた映画でした。尚、一層の活躍を期待しています。(C M)

 『薄桜記』感

 受賞の年としては、作品的に恵まれなかった三十四年に於いて、遂にその掉尾を飾るにふさわしい「佳品」が現れた。『薄桜記』は正にそう言って差し支えない程、丹下典膳の悲劇は私達の心を打ったのである。

 五味康祐流の、多彩な人物のからみ合いの面白さの中に、元禄快挙の陰に、思慮あり分別もある剣士典膳が、如何に暗く報われない、併し人間として立派な生涯を閉じたという物語が、伊藤大輔の重厚な脚本構成と、森一生監督の忠実な演出に拠って大変見応えのあるものに仕立て上げられた。

 その主軸をなすものは、一種の「姦通劇」と言えるが、近松描く「槍の権三」や「堀川波の鼓」の寝取られ男が、封建武士の社会の掟に「人間性」を無視しなければならなかった悲劇と比べて、ここでは典膳の、妻の不倫に対しての心の在り方、身の処し方に現代にも充分共感出来る「モラル」が見出され、それがこの物語の新しい魅力ともなっている。そして雷蔵さんの演技も。ここが全篇を通じての白眉であり、終始その内面心理を、底深く押えた演技で表現し、台詞の活殺の巧みさと共に勝れていた。

 愛する妻は、頭で理屈では許し乍ら、儂の身体が許そうとはせぬという悲痛な呟きは、冷徹な理智の人典膳にして尚、夫として人間として抱かずにはいられない苦悩の絶叫であり、この所の演技表情の迫真さも秀逸。それに比べ後半、隻手剣の浪人に落魄してからは、想像程虚無感が押し出されていなかった。いきなり山駕篭に舁がれた姿で「修羅妄執の世界じゃ」と述懐するより、その前に山のいで湯の四季の移り変わりの中で、しみじみと典膳の無常感を物語る場面描写でもあれば、或はもっと色濃く出たかも知れない。

 但し、後半に於いても彼の演技はハッタリめいたものも全然使わず、矢張押えて終始したのは、平手造酒や机竜之助式と異なる智的なものであるべきものとの解釈と想像されて、淡々とした中にかかって、惻々と胸うつものがあった。

 ラストの決闘は、戸板に担がれて庭前に運び出されて動きもせず、ジーッと瞑目したままの一瞬の静寂に、不気味な不安を漂わせ乍ら、次の瞬間にはくるくると反転し、雪をけっては一人斬り、地をはっては又斬り、血に染む銃創の片足をさえ支えにしての必殺の剣さばき、誠に凄絶な乱闘が展開され、果ては己れも膾の様に切りさいなまれての最期。それは生命の尊さをいましめた典膳が、自らも陥らねばならなかった皮肉な運命のむごさである。この殺陣、隻手剣に加えて、左足銃創という難しい身体のこなしを、誠に心気迫る力を以って演じられていた。立ち廻りの不得手云々の批判は立派に雪辱されたというべきである。

 典膳の好演が、殆んどものを云ったこの映画に、安兵衛のモノローグによる回想形式は一種の技巧乍ら、それ程効果的でなく、むしろ無い方が、この場合より鮮明な人物像を浮び上らせたと思われる。

 新人真城千都世に千春役は、少々重すぎたが、真っ向からの顔うつりの厭味な所を除けば、動きは人妻らしい風情がよく出ていた。演出上、二三難点も見出されはしたが、今年度雷蔵さんの作品中、第一等のものとして、私は賞讃したい。(一人静)

 『薄桜記』をみて

 期待されていた『薄桜記』!今までとは変った役・丹下典膳。丹下左膳よりうわ手、知心流である。雷蔵さんはささいなことから破門された。

 初演の真城千都世さんもなかなかのうで、最初廊下でのラブシーン、これは少し考えてもらいたい。観客の中に笑い声が出たように思われましたけど・・・千春を実家にもどす時のお兄さんの気短さには少々おそれいった。あんなに、片手をなくする程にもするものかとおどろきました。それも右手が、思い出してもぞーっとする。でも雷蔵さんの我慢強いのに感心しました。あの時の場面は紫色になって、消えたのはよかったと思います。

 それから浪人として旅に出、時は過ぎ、同じく知心流を破門された五人に典膳の消息を感ずかれ。短筒で脚を撃たれた。千春の救助でかくれ家に行ったが、すぐに感ずかれてしまいました。千春は縛られ、典膳は片手片足になっているにもかかわらず、勝負の戦いとなった。外は雪が降っている。そこへ、連れてこられてぐったりとなっているその顔に雪は降りかかる。この画面は何とも云えない心境でした。典膳は立つこと出来ず、時々死人の様にぐったりとなってしまう。下は冷たい雪。上には剣の林、この片手片足で必死になって戦っておられる雷蔵様。丹下典膳さんのあわれさに、涙がでてしまいました。安兵衛がもう少し早く来てくれていればよかったのですが、残念です。

 傷一つおわなかった典膳。千春も短筒で撃たれ、たおれてしまうが、典膳のそばまでどうにか行き、手を取り合って死んでいく、又ここで涙をさそう画面となりました。(T M)