薄桜記によせて

 私はマタタビものは嫌いで雷様の出演の時は「なればこそ」の気持ちで見に行きますが、雷様はやはり、持前の気品高い王朝もの、武士・侍ものといっても殺伐なものでなく、情こまやかなもの、ヒューマニスティックな、内心の悲しみ憂いを押し包んでの演出は、最もふさわしく、又私の一番好むところのものです。

 こんどの『薄桜記』は、掉尾を飾るにふさわしいものと、感銘深く、興味深く拝見しました。館内も常になく超満員で、入れ替わりを廊下で待って見た始末。でもその事すらも心嬉しく、最後まで退屈せずに劇中の典膳千春のロマンチックな夫婦間に胸せまる思いで、印象深く見終りました。

 雷様と新人・真城千都世との初々しいコンビもこの劇で私の心を、かくまで強く捉えさせたのかも知れません。帰りましてから、何とはなしにこんなものを綴ってみました。お笑い下さいませ。(寒椿)

 「丹下典膳について」

 『薄桜記』を観て数日を経た今日迄の感動の冷めやらぬは、雷蔵様の名演技と美しさも然る事ながら、典膳夫婦の余りにも悲惨な宿命に、胸の塞ぐ思いが未だ余韻を残している所以である。そこで映画に描かれた典膳夫婦の在り方を、今一度探ってみたいと思った。

 典膳が妻を離別するに当ってもらした二つのセリフが、私の脳裡に此の夫婦に対する疑惑を抱く原因になっているのである。一つは“町人の場合なら見過される事はあっても、武士の道ではそれが許されぬ”、もう一つは、“自分の頭で許していても肉体が許さぬのだ”という沈痛なセリフが。

 先ずは武士道の高貴さを称えたい。それは武技を生死に賭ける武士その階級への名誉心、又自己の誇りが武士道の威厳を崩さなかったからだ。故に、これほど窮屈なものもなかったのであろう。前者のセリフでは武士道の厳しさを物語り、以って典膳の苦衷も察するに余りある。

 だから、右腕を失うと云う自己を犠牲にして迄、妻には思慮分別ある態度を取った典膳の優れた人間性は生きて来るのである。ところが、後者のセリフでは全く相反した男性のエゴイズムを暴露した格好で、隻腕となる事自体何とだらしのなく思えて来る。二十路に達して、若年を経た未婚の私には、夫婦間の肉体の微妙さは理解出来ない。然し、腕を失い、一縷の愛も捨てねばならぬ程、肉体とは隔絶した物だろうか。典膳が生存した時代を支配するモラルと、現代のそれとは相違しているから一概には云えないが、現代にもそのセリフが生きるとしたら、女性にもそのセリフが生きるとしたら、女性への侮蔑も甚だしいと云いたい。

 いずれにしろ、典膳は妻を愛して居た事は事実である。逆境にひたすら愛一筋に生きた男性の、時代を超越した哀しくも美しい生涯が、観客の感動を呼んだのだと思う。愛すると云う崇高な感情が、あらゆる時代を通じてさまざまな人生模様を繰り返すものだとの、感慨がひとしは深く身にしみる。(鳥取 S M)

 凄惨と坊ちゃん典膳

 シナリオを読みスチールを見ての典膳は、妻を寝取られる弱々しさと、孤影隻手の陰気さを想像しておりましたが、映画は案に相違していました。旗本典膳としている時は、思慮も分別もあり頼もしく、夫妻の最後の墓参にもいささか沈んでいても貫禄十分な硬骨漢にみえました。

 長尾に行ってから以後の典膳は、矛盾と悲哀に満ちた凄惨な美しさをただよわせます。話の運びは盛り沢山で複雑。その上、画面がモダンとオーソドックスでうっかりするとついて行けません。義兄に腕を切られる件は、突発的で、後から物も言わずに切りつけるなど、武士の作法にあるのでしょうか。上杉家門前での問答、狐の一件等、尤もらしく事件がおきて、トントン拍子に劇が進行して行くのに、一寸抵抗を感じます。それはともあれ、血の色も不気味でグロテスクでした。

 腕を失ってからは、とげとげしい言葉をつかってもお行儀よく端正で、口元から顎にかけて柔らかく陰気に力んでも、坊ちゃん坊ちゃんしています。袴をつけた時は武張った感じが、零落して復讐を口にする時丸みが出て、坊ちゃんに見えるのは、典膳の育ちの良さを現わしているのでしょうか、それとも雷蔵さんの善良という個性なのでしょうか。この坊ちゃん典膳が口では人は斬れぬこの半ちくな体でと、隻手で紙を切るクローズアップの目!これでもか、これでもかと切る時、今までに見慣れない悲しい悲しい目でした。

 同じ激しい若者でも、信長の慟哭には自信があり、菊之助の悲しみには哀愁がありましたが、典膳の目には、しみ通る様な切々とした悲しみが湧いてきました。この目を見ただけで『薄桜記』を見た価値があると思います。理屈なしに人間の悲しみを表現した目でした。

 それが言葉が消え、体がうつると・・・。千春院での危機が迫り、足まで失った身の典膳と千春の心は固く結ばれたと言う、悲恋の最高潮でしょうに・・・盛り上がりません。瀕死の病人にしては力があり、浅手には見えず、『人肌牡丹』の鉄傷にくらべればずっと上手ですけれど、あまりに典膳の悲しみが切実なものですから、ここはもっと盛り上がってもよいと思いました。

 殺陣は安兵衛は滅法強く、あたるを幸い、バッタバッタと斬りまくる勢いのよいものですが、橋の上の典膳の働きは誰をどう斬ったかわかり易く、最後の修羅場も数を少なく、一人一人の斬り合いにウエイトをもたせる質で行くほうが納得出来る様に思えます。せっかくひねった面白さがあるのですから、千春に不満をちょっぴり。美人で結構でございますが、泣くのか、笑うのか、表情を理解するのに苦しみました。又安兵衛や女友達と話す時の蓮っ葉な感じは、深窓の令嬢とは受けとれかねました。新人でよくやっていますが、嵯峨三智子さんだったらと思いました。(足利 S T)