花くらべ狸道中

1961年1月3日(火)公開/1時間20分大映京都/カラーシネマスコープ

併映:「銀座っ子」(井上梅次本郷功次郎・若尾文子)

製作 武田一義
企画 辻久一
監督 田中徳三
脚本 八尋不二
撮影 本多省三
美術 内藤昭
照明 加藤博也
録音 海原幸夫
音楽 浜口庫之助
助監督 土井茂
スチール 藤岡輝夫
出演 若尾文子(たより)、小林勝彦(森の石松)、勝新太郎(新助狸・喜多八)、中田康子(きぬた、お伝)、近藤美恵子(しのぶ)、浦路洋子(ミス狸)、真城千都世(芸妓白雪)、宮川和子、藤原礼子、加茂良子、小町るみ子、毛利郁子、スリーキャッツ、五月みどり、赤坂小梅、清水元、楠トシエ
惹句 『夢でも見られぬこの面白さ人気スタアにごっそり化けて浮かれ狸が総登場』『春だ、狸だ、踊りだ、歌だ、化けて楽しい弥次喜多道中

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[ 解  説 ]

 お正月の銀幕を飾るこの映画はタヌキの世界に材を取った、明るく楽しい時代劇ミュージカルで、脚本・八尋不二、音楽浜口庫之助、監督田中徳三によって描き出されます。市川雷蔵、勝新太郎、若尾文子、中田康子らのトップスタアが、いずれも変幻自在で愉快なタヌキに扮して歌いまくり踊りまくっています。

 物語は、雷吉狸(雷蔵)と新助狸(勝)は、どちらも阿波の狸社会では一向にウダツの上がらない存在でしたが、たまたま狸界に起った大王選挙に、名声を上げるのはこの時とばかり重大任務を買って出ることになり、時の有名人弥次郎兵衛、喜多八に化けて東海道を江戸へ行くことになりました。雷吉狸を恋する美女たより(若尾)は彼を慕って後を追います一方、江戸の狸御殿のきぬた姫(中田)は、一匹一殺主義でこの弥次喜多狸を道中でやっつけようとこれまた仇っぽい女絵師お伝に化けて腹心の部下と共に彼等をつけ狙うのです。まず、女に甘い新助狸は、彼女のグラマー振りに完全に魅惑され、幾度も生命の危機にさらされるが、いつも知恵者の雷吉狸に救われます。

 こうした駆引きが、花やかな歌合戦や踊りくらべとなり、奇想天外な化けくらべとなって展開して行くわけですが、波瀾万丈の末、ついに狸御殿派が政治的な勝利を占めようとした決定的瞬間、たよりの美しい心に打たれたきぬた姫が、折角かち得た勝利を、弥次喜多狸の阿波方にゆずり、結局、雷吉狸とたより狸、新助狸ときぬた姫とが、それぞれめでたく結ばれて、賑やかなフィナーレの幕がおりるというわけです。( キネマ旬報より )

[ 予 備 知 識 ]

大映お正月作品のトップを切って目下撮影中

 大映京都ではこのほど撮影を開始した田中徳三監督作品のお正月映画『花くらべ狸道中』(脚本八尋不二、撮影本多省三、音楽浜口庫之助)は、同社のお家芸ともいうべきタヌキの世界に材を取った、明るく楽しい時代劇ミュージカルだが、市川雷蔵さん、勝新太郎さん、若尾文子さん、中田康子さんらのトップ・スターが、いずれも変幻自在で愉快なタヌキに扮して歌いまくり踊りまくる。

 物語は、雷吉狸(雷蔵)と新助狸(勝)はどちらも阿波の狸社会で一向にウダツの上らない存在だったのが、たまたま狸界に起った大王選挙に、名声を上げるのはこの時とばかり重大任務を買って出、時の有名人弥次郎兵衛喜多八に化けて東海道を江戸へ行くことになる。雷吉狸を恋する美女狸たより(若尾)は彼を慕って旅を追う。一方江戸の狸御殿のきぬた姫(中田)は、一匹一殺主義でこの弥次喜多狸を道中でやっつけようと、これまた仇っぽい女絵師おでんに化けて腹心の部下と共に東海道へと乗り出し、彼等をつけ狙う。まず、女に甘い新助狸は、彼女のグラマー振りに完全に魅惑され、幾度も危うく生命の危機にさらされるが、いつも知恵者の雷吉狸に救われる。

 こうした宿場宿場の虚々実々の駆引きが、あるいは花やかな歌合戦や踊りくらべとなり、奇想天外な化けくらべとなって展開して行くわけだが、波乱万丈の末、ついに狸御殿派が政治的な勝利を占めようとした瞬間、たよりの美しい心に打たれたきぬたが、折角かち得た勝利を弥次喜多狸の阿波方にゆずり、結局、雷吉とたより、新助ときぬたとが、それぞれめでたく結ばれて、賑やかなフィナーレの幕がおりるというあらすじ。

 その間にあって‘美しい幻想シーン’では、雷蔵、若尾のコンビで、最近のヒット作(たとえば『ぼんち』、『安珍清姫』)の扮装が飛び出したり、勝・中田コンビで『森の石松』『不知火検校』が出てくるなど、お正月のお客さんにサービス満点の趣向が凝らされている。

 さて従来「狸映画」と云えば木村恵吾監督ときまっていたが、今回は木村監督からバトンをうけついだ田中徳三監督は次のように語っている。

・・・・・木村(恵吾)さんがはじめた在来の狸御殿映画は、映画界に残る一つの貴重な型だが、ぼくはぼくなりに、それを基調として飛躍を試みたい。また具体的に云えるものはないが、ミュージカルといっても、時代劇の狸物という制約の中で、現代のお客さんにマッチした感覚で、理屈なしに面白く楽しめる、イキなものにしたい。主演者の雷ちゃん、勝ちゃん、若尾ちゃん、中田さんらには、それぞれ個性を存分に発揮してもらうつもりだ。音楽の浜口(庫之助)さんともいろいろ打合せをして、モダン・ジャズ的なアイデアを随所に得た。シュールや突飛なものを狙うのではなく、今の時代にピッタリくるような音楽で行くつもりだ。

 前作の『疵千両』とは勿論スタイルの違うものだし、その以前の『濡れ髪三度笠』や『浮かれ三度笠』とも違った、狸は狸なりのテーマを存分に生かした、楽しいミュージカルに仕立て上げたいと思っている。(市川雷蔵後援会々誌「よ志哉」20号/昭和35年11月26日発行より)

 

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 ♣市川雷蔵さんと若尾文子さんは恒例の狸もの『花くらべ狸道中』で名コンビぶりをみせています。

 「時代劇ミュージカルやがな、張り切ってやろうよ」と雷蔵さん

 「私もこの作品に出るのを楽しみにしていましたのよ」と若尾ちゃん

 お二人は、絢爛豪華に組まれたセットで、意気の合った踊り振りをみせています。

(近代映画61年2月号)

 

 

 

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 大映京都の正月作品『花くらべ狸道中』は、おなじみ雷蔵さんと若尾ちゃんの年に一度の化かし合い。お色気くらべのミュージカルです。

 「雷蔵さんって、ふだんでも冗談ばかりいってるでしょう。なんだか本当に化かされそうで・・・」とアコちゃん狸はおっかなびっくり。

 それでも雷蔵さんといっしょでたのしいわと大ハリキリです。

                    (平凡61年1月号)

 

歌って、踊って、恋をして−大映『狸御殿』シリーズ

 <狸御殿もの>にかんしては、実は以前から気になっていた。昔、私と同世代の友人がチェッカーズのいわゆる仕掛人というのをしていた。「チェッカーズ主演のミュージカル映画というのを考えてるんだ。ほら、昔、なんとか狸御殿っていうミュージカル映画、いろいろあったじゃない?なんか凄く馬鹿馬鹿しくてかわいいの。ああいうのはどうかなあ」と言われて、ほんの少しだけだが調べてみたことがあったのだ。

 その頃は今ほどビデオが充実していなかったから、活字の上のことしかわからなかったが、<狸御殿もの>あるいは<狸もの>の映画が案外と多いことに驚かされた。これが、どうやら、戦前から60年代にかけて、いわゆる和製ミュージカルの一大潮流を成していた様子なのである。スチール写真にも軽佻浮薄の楽しさがあふれている。見たいなあ。映画史的にはきちんとした位置づけを与えられてないようなのが、もったいない−と思っていた(その後、友人の企画は『CHECKERS In TAN TAN たぬき』(85)という映画になった)。

 そして、その後。あるイベントで『花くらべ狸道中』(61)というのを見て、私は、ああ、死ぬほど笑いました。そのあまりのハデさに。でたらめさに。当時三十歳の市川雷蔵と勝新太郎の狸コンビ(ブロンドのパンクなヘアスタイルだ)が弥次さん喜多さんに化けて、江戸へ向かう。市川雷蔵の清純な恋人が若尾文子で、勝新太郎を誘惑する肉体美の女が中田康子だ。

 宝塚あるいはSKDふうの階段ステージで、雷蔵が巨大羽根扇(ジュリアナ東京もまっさお)を揺らめかしながら舞う姿にも笑ったが、カツシンがいきなり「若きウエルテルの悩み」のごとき懊悩ポーズで「僕は孤独だ」という意味の歌を歌い出し、「ウワー、ワワワ」と雄叫びをあげながら、コンガふうのものを叩く。その「ウワー、ワワワ」部分は、かって一世を風靡した奇怪な名曲「イヨマンテの夜」のようであり、いつしかカツシンのいでたちもアイヌの若者ふうに変っている。なんだなんだ、これは。そのカツシンの眼前に突如、フラメンコの踊り子ふうドレス姿の中田康子が出現。なぜか両手にマラカスを持っている。なんなんだ、なんなんだ。わけわかんない。無国籍的な男女の恋のデュエット。カツシンの世にも珍しいモダン・バレエ(?)。終始真面目に歌い、踊っていても、もしかして当時の観客はうっとりしたのかもしれないが、今見ると(とくにその後の勝新太郎のイメージを思うと)おかしくてたまらない。私、頭が爆発しそう・・・。

 と、まあ、そういうわけで<狸御殿もの>は気になっていた。追求してみたい世界ではあった。だから、つい最近出た『狸御殿玉手箱』LD五枚組セットは、すぐに買った。戦前、戦中、戦後にわたって“大映名物”となった狸もの映画の中から、次の五本を選んでセットにしたものである。

●『歌ふ狸御殿』(42)木村恵吾監督、宮城千賀子・高山広子・草笛光子出演。

●『春爛漫狸祭』(48)木村恵吾監督、喜多川千鶴・明日待子・草笛光子出演。

●『花くらべ狸御殿』(49)木村恵吾監督、水の江瀧子・喜多川千鶴・京マチ子出演。

●『初春狸御殿』(59)木村恵吾監督、市川雷蔵・勝新太郎・若尾文子出演。

●『花くらべ狸道中』(61)田中徳三監督、市川雷蔵・勝新太郎・若尾文子・中田康子出演。

 面白かった。買って悔いはなかった。解説パンフレットには、三浦秀一さんが愛情こめて詳細な「“狸御殿”の歴史」という一文を寄せている。

 主要な狸もの映画は、1939年の『阿波狸合戦』から、1985年のチェッカーズの『たぬき』まで二十二本だそうだ。このLDセットに選ばれた五本のうち四本は木村恵吾監督(脚本も)である。映画関係の本では「巨匠への可能性もあったのに御用監督で終ってしまった」というような冷ややかな評価もあるのだが、狸御殿シリーズという珍妙にしてけなげな(どうがんばってもアステア&ロジャースというふうにはいかないところがけなげ)和製ミュージカル映画の一大潮流を生み出した功績は、私は思いのほか大きいのではないかと思う。五本とも、それぞれにいいところがある。それぞれに楽しい。

 幻想美では『歌う狸御殿』が一番だ。シンデレラ物語とシェークスピア「真夏の夜の夢」をミックスした話だが、私は、ドイツのオペレッタ映画『会議は踊る』(31)の匂いも感じた。音楽的には『春爛漫狸祭』がすぐれていると思う。爆発的ジャズ感覚。音楽担当が服部良一に変っているのだ。ダンスがついてゆかないのが辛いが、おつきあい出演らしくちょろっと出てカムカム・ブギを歌い踊る笠置シヅ子が凄い。なりきっている。『花くらべ狸御殿』には伝説的スターを見る楽しさあり。若き日の水の江瀧子の男装のかっこよさ。京マチ子の新鮮な官能美。話は「白雪姫」と「笑わないお姫さま」を加味したものである。特撮は円谷英二だ。

 華やかさでは『初春狸御殿』。多少設定を変えているが『歌う・・・・』のリメイクと言っていい。カラーで、めっきり御陽気に。音楽が吉田正で、私の好みからするとしっとりすぎるが。おかしさでは、やっぱり『花くらべ狸道中』がベスト。この作品だけ、田中徳三監督である。この監督は市川雷蔵とコンビを組んで喜劇の“濡れ髪シリーズ”というのを撮っている。『濡れ髪三度笠』(59)『濡れ髪牡丹』(61)・・・など。解説の三浦氏は「全体的に明朗仕立て過ぎて緊張と迫力に欠ける」と、あんまりお気に召さなかった様子だが、思い切りのいいでたらめさが、私には痛快だ。

 五本続けて見ると、狸って実は偉大だったのね−と唸ってしまう。「カチカチ山」や「文福茶釜」や落語の「狸賽」など、日本人になじみの深い狸関係の話が結集されていて、日本文化における狸の占める位置の大きさにあらためて感心してしまうのだ。こんなにも狸が愛されたのは、やはり「化ける」「化かす」というところが一番のポイントだろう。変身願望と、この世ならぬ世界へのおそれと憧れ。日本ではファンタジーのあるところ、必ず狸が存在するわけである。和製ミュージカルへの希求が狸御殿シリーズを生んだのは必然的なりゆきだったかもしれない。

 シリーズ全体を通じて一番楽しいのは何と言っても、あの衣裳である。キモノ姿にネックレス、イヤリングというアナーキズム。これでもかこれでもか的キンキラ・ファッション。私は子どもの頃の「きいちのぬりえ」を思い出す。『初春狸御殿』の映画のあとに、オマケとしてこの映画の予告編がついているのだが、これがおシャレで、ほほえましい。

 「歌って、踊って、恋をして」「大人はうっとり、子どもはにっこり」という惹句がステキだ。いわば子どもだましの、単純でたあいのない話(でありながら、実は戦後民主主義、安保闘争、高度経済成長など世相を反映していたりもするのだが)に、監督も役者たちも大人の芸を尽くしているところが、気持がいい。そう言えば、アニメで『平成狸合戦ぽんぽこ』もできた。(97年9月20日中野翠「中野シネマ」新潮社発行より)

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[ 略 筋 ]

 狸の国の大王選挙で、江戸文福党の放った刺客、党首文福の娘きぬたと腹心茂十らの刃に重傷を負った阿波徳島党の首領文左衛門に代って雷吉と新助が江戸へ行くことに決った。雷吉の恋人たよりは貧しいが純情娘、雷吉の身を案じて木の実の首飾りを餞別に贈った。雷吉に好意を持つ主人の娘しのぶはそれをみてがっかりする。

 雷吉、新助は弥次郎兵衛、喜多八になりすまし阿波を出発した。京は三条、池田屋へ宿をとった二人を見出したきぬたは、仇っぽい旅絵師お伝に化けて酒と女に甘い喜多八をグラマーで悩殺、あわや一命も危ないところへ弥次郎の化身の術によって救われた。

 無一文で京を逃げだした二人は、桑名の賭場で弥次郎が賽に化けたため喜多八の勝ちっ放し、ゴキゲンなところに現われたお伝ががそれを喋ったため賭場は大騒動。弥次郎とはぐれた喜多八は、お伝や茂十の術策に俵につめられ川に投げこまれた。弥次郎も文福一味に襲われるが、たよりのくれた首飾りが危険信号を発して、危いところを免れ、またそれによって喜多八を救った。

 その頃、雷吉恋しさにたよりは彼を追って江戸へ旅立った。それを知ったしのぶも江戸へ。重なる失敗に文福党は、大挙して箱根で網を張った。そこで展開された虚々実々の化けくらべでは、弥次喜多コンビの化け勝ちとなって難関を突破した。

 次の宿で祝杯をあげる二人にたよりがたずねて来たが、喜多八はお伝と思って追い返した。一人のたよりを捕えた文福党はそれをおとりに弥次喜多を捕まえてしまった。それをみて、たよりは泣き出した。そして、その涙は真珠の玉となって流れ弥次喜多をしばる縄は切れてしまった。さすがのお伝もたよりの美しい心に負けて牢の鍵をあけてやるのだった。

 いよいよ狸御殿で大王選挙が行われようとした時、現われた弥次喜多が激しい乱闘の末文福党をとりおさえるが、彼らの罪を許し、これからは仲良くやっていこうと手をさしのべた。折りから、徳島より傷のいえた文左衛門が到着、大王の地位は彼に決定した。いまや平和の戻った狸御殿では賑やかな狸祭りが始っていた。( キネマ旬報より )

(よ志哉21号より)

初春の映画から

 雪、雪、つき。六十数年ぶりとか云う豪雪の為、郊外は元より、市内迄バスが一時ストップし、映画館は正月二日と云うのにガラ空きの有様です。それでもスクリーンに雷蔵さんを見い出す時の喜びは、雪道を歩いて来た疲れを忘れさせてくれます。『大菩薩峠』はほんとうに良く出来て居りました。

 雷蔵さんの、落ちついた演技、メーク、アップと相まって。美しい色彩と玉緒さんの熱演(いささか演技過剰の嫌みがありましたが)が、この映画を佳作にせしめたものと思います。失明してからの殺陣には目を見張らせるものがあり、雷蔵さんの研究と努力のあらわれでしょう。

 良い処ばかり並べましたが、欠点も見逃せません。竜神の森へ美しい白無垢姿で登場する龍之助はいかにも不自然です。失明して紀州迄たどり着くのですから、衣服は汚れていて当然と思います。又、金蔵の描き方にも抵抗を感じました。客席からしのび笑いが漏れて困りましたが・・・しかし、こう云う欠点を補って余りある程雷蔵さんの魅力は絶大でした。第三部が待たれます。

 それに反して、『花くらべ狸道中』はお話ならない程お粗末でした。田中演出を期待しておったのですが、全くの期待はずれで見ていて腹立たしくなったのは私ばかりでないと思います。前作『初春狸御殿』はストーリーは貧弱でも夢があり、セットが見事でしたが『花くらべ−』は、セットは平坦的、色彩は良くないときては、取り柄がありません。そこへ又、中田狸のイヤラシさ、品が無い事おびただしい、ああ迄しなくとも良いと思いました。もっと品格があり、オーソドックスな時代劇ミュージカルを望みます。

 弥次喜多道中というのも定石通りで、あまりに芸が無さ過ぎます。欠点を上げたらキリがありませんが、斜陽産業と云われる映画で、お正月のように、普段映画を見ない人迄映画館に足を運ぶ時に、こんな下らない映画を見せられては益々映画から遠ざかって行くでしょう。製作者の猛省を促したい。(新潟 美智子) 

(よ志哉22号より)

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 臨戦体制の日本映画界に39年「狸御殿」は登場した。ファンタスティックなオペレッタ風刺劇を撮り続けていた木村恵吾監督は、続けて42年に徹底したミュージカルとして当時の人気歌手総出演で『歌う狸御殿』を完成させた。森の中の御殿に歌や踊りが繰り広げられていく話に、軍部は怒ったが興行はヒット。木村監督はこのあと、応召された。

 大映は、“狸もの”の元祖。木村恵吾監督は戦後48年に『春爛漫狸祭』49年『花くらべ狸御殿』そして雷蔵・若尾のコンビで59年『初春狸御殿』を製作している。日本で数少ない傑作マゲものミュージカルといえよう。

 

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