1961年10月14日(土)公開/1時間42分大映京都/カラーシネマスコープ

併映:「お琴と佐助」(衣笠貞之助山本富士子・本郷功次郎)

製作 永田雅一
企画 鈴木炤成 久保寺生郎
監督 森一生
原作 川口松太郎(「週刊文春」連載)
脚本 八尋不二
撮影 本多省三
美術 西岡善信
照明 中岡源権
録音 林土太郎
音楽 斎藤一郎
助監督 太田昭和
スチール 藤岡輝夫
出演 寿美花代(藤壷・桐壷)、市川寿海(桐壷の帝)、若尾文子(葵の上)、中村玉緒(朧月夜)、水谷良重(末摘花)、川崎敬三(頭ノ中将)、成田純一郎(朱雀帝)、高野通子(紫)、水戸光子(弘徽殿の女御)、中田康子(六条の御息所)、大辻伺郎(惟光)、千田是也(右大臣)、長谷川彰子(秋好の姫)、三田村元(兵部卿ノ宮)、阿井美千子(按察の北の方)、藤原礼子(弁)、倉田マユミ(王)、三田登喜子(相生)、若杉曜子(大輔)、三宅邦子(北の方)
惹句 『十二単衣がはらりと落ちて、玉なす黒髪は紫のねやに乱れる九重の奥深くまことの恋を求めて、妖しく、美しく繰り展げる王朝絵巻』『衣ずれの音も妖しく、光の君の訪れに、禁断の女体が歓こびにおののく』『せめて一夜でも光の君と・・・女性なら誰でも一度は憧れた夢の恋を現代に結ぶ絢爛の大ロマン』『この美しさたぐいなく、その激しさ限りなし王朝の夢を現代に結ぶ絢爛の大ロマン』

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[ 解説 ]

 「週刊文春」連載の川口松太郎の同名小説を『竜の岬の決闘』の八尋不二が脚色、『』怪談蚊喰鳥』のコンビ、森一生が監督、本多省三が撮影した王朝もの。『新源氏物語』は、『釈迦』に続く超大作として豪華絢爛愛怨華麗の王朝絵巻を展開する大映の話題作であります。

 『新源氏物語』は日本文学の最高峰として、かくれたベストセラーズである「源氏物語」に現代の息吹を与えて若い映画ファンに送る文芸大作で、演出にはベテラン森一生監督が起用されております。光源氏には当代随一の適役市川雷蔵が扮し、地位があって美男子で、女にもてはやされる理想の男性像を、充実した演技でみせることに期待がよせられます。

 雷蔵の光源氏を中心に、彼をめぐる女性群像には藤壺と桐壺の二役に大映初出演の宝塚スタア寿美花代が扮し、源氏の正妻葵の上には若尾文子、快活な朧月夜の君には中村玉緒、すさまじい女の執念をみせる六条の御息所には田中康子、可憐な紫の上には若草コンビの高野通子が時代劇初出演、六条の御息所の娘秋好の姫には長谷川一夫の次女長谷川彰子が出演、清純さを発散する他、常陸宮の姫末摘花には水谷良重と、豪華多彩な女優陣が起用されています。

 またこの作品には、川崎敬三、成田純一郎、三田村元、千田是也、阿井美千子、藤原礼子、倉田マユミ、三田登喜子、若杉曜子、三宅邦子、水戸光子がそれぞれ適役を得て、出演しております。芸術院会員市川寿海が、光源氏の父帝として出演、スクリーンで初めての父子役で雷蔵と競演するのも一つの興味でもあります。


 さきに『源氏物語』を送り、源氏ブームを作った大映が、ここによそおいも新たに『新源氏物語』を送るため、スタッフも大映の総力が集められております。製作には永田雅一自ら当り、企画には鈴木炤成(あきなり)、久保寺生郎、原作には川口松太郎(週刊文春連載)、脚本には八尋不二、監督には森一生、撮影には本多省三、美術には西岡義信、音楽には斎藤一郎、照明には中岡源権、装飾考証には高津利生、衣裳考証には上野芳生とベテランが起用されこの作品への並々ならぬ意欲がうかがえます。(公開当時のプレスシートより)

 

 六年ぶりの映画出演、それも他社出演の宝塚スター寿美は、雷蔵の熱狂的なファンのひとり。その雷蔵(彼も寿美のファン)が「華麗なる千拍子」の舞台を見て相手役に選んだもの。彼女の役は光源氏の母親桐壺と、彼が恋い慕う藤壺の二役。作品的にみて、雷蔵の光源氏とのラブシーンは重要なポイントでもあるわけだが、彼女は「宝塚のファンのイメージをそこなわないように、できるだけ美しいムードの中で演じたい」といっていたが、どうしてこの日の撮影では濃艶なポーズが収められた。

 「雷蔵さん、指先をまげるようにして、ギュウッと抱きしめてください」とスチールマンから注文がとぶ。二人の前一メートルのところから大きな三台のライトが照り、ただでさえ暑いセットの中で、小袿(こうちぎ)を着た寿美、首のつまった直衣(のうし)装束の雷蔵の額や襟元に汗の玉がふき出て、衣装の裏をベットリぬらしていた。

 撮影中、雷蔵は冗談もとばしていたが、寿美はニコッともしないで、注文されるままのポーズをとっていた。それでも化粧室に彼女をたずねると、「本当はわたしにはこの役むいていないと思いますねン。けれど雷蔵さんをはじめ大映の偉いさんの期待をうらぎらないよう、わたしなりの桐壺、藤壺をやってみます。あんまり、オーバーな演技をせず、ひかえ目にやってみようと思っています。無理に表情をつくらず、内からにじみでてくる心理的な演技というものに挑戦してみようと思っています」とファイトをもやしていた。(サンスポ・大阪版08/29/61)

 

 かって各社にさきがけて一本立主義にふみ切り、量産による日本映画の混迷に終止符をうたんとした大映の永田構想は、時に利なく実を結ばなかったが、その後の映画界をとりまく周囲の状況は、好むと好まざるにかかわらず大作主義をとらざるを得ない方向へと進みつつある。

 そこで大映はいち早く、日本ではじめての70ミリ映画『釈迦』を撮るかたわら、普通作品の大作化を進めて来たが、これは『釈迦』についで大映京都撮影所がクランク・インした超大作である。

 原作は川口松太郎、脚色八尋不二、監督森一生のトリオによって映画化される王朝の世界は、吉村公三郎監督の名作『源氏物語』以来、大映映画では伝統のあるもの。大映京都のトップ・スター市川雷蔵をすべての女性の理想像・光源氏に仕立てたこの作品は、またまた大映ファンの注目をあびることであろう。そしてこの源氏を取りまく女性像、藤壺、桐壺の二役には大映初出演の寿花代、源氏の正妻・葵の上には若尾文子、朧月夜の君には中村玉緒、女の執念を見せる六条の御息所に中田康子、その娘秋好の姫に長谷川彰子、紫の上に高野通子、末摘花に水谷良重。ほか川崎敬三、成田純一郎、大辻伺郎、千田是也、市川寿海。

 大映京都の森一生監督はいかにもベテランらしいメガホンさばきで重厚なタッチの時代劇絵巻をくりひろげているが、こんどは日本文学の最高峰、“源氏物語”から川口松太郎が書きおろした「新源氏物語」の映画化を行っている。市川雷蔵の光源氏に宝塚寿美花代の共演というのもたのしみ。

 大映京都撮影所セットにて前列左より本多省三(撮影)、市川雷蔵、若尾文子、森一生、中岡源権(照明)、後列太田昭和(助監督)、小林昌典(美粧)、藤岡輝夫(スチール)、白波瀬直治(色彩技術)、楠三郎(製作進行)、西岡善信(美術)、谷口孝司(編集)、竹内衣子(記録)、林土太郎(録音)の諸氏。(キネマ旬報No.296より)

 

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 大映京都『新源氏物語』で光源氏の市川雷蔵さんが、宝塚の人気者・寿美花代さん、それに長谷川一夫さんの末娘・長谷川彰子さん(十五歳、慶応中等部三年)と初共演。美しい絵巻をくりひろげています。

 寿美さんは桐壺(光源氏の母)と藤壺(光源氏の恋人)の二役。長谷川さんは六条の御息所の娘“秋好の姫”を演じています。

 ラブシーンのリハーサル。雷さんの明るいジョークがセットの空気をやわらげます。右から森一生監督。

 「目がキレイだ」とお父さんにホメられた彰子さんは大の雷さんファン。「共演なんて夢みたい」とのこと

  「映画は六年ぶり、おまけに時代劇ははじめてなので心配・・・」といっていた寿美さんですが、雷蔵光源氏のリードで、舞台とはガラリとかわって女らしい藤壺そのまま・・・ (平凡61年11月号より)

[ 略筋 ]

 帝の寵を一身に集めた桐壷は光源氏を産み落としたが、嫉妬と羨望の不快な目にたえられずはかなく身まかってしまった。宮廷の女性の憧れの的となった光源氏は、時の権力者左大臣の娘葵の上を正妻とし、彼の前途は洋々たるものがあった。その源氏の前に、母と瓜二つという輝くばかりの美しさをもった藤壷が現れた。父帝のおもい者と知りながらも源氏の心は妖しく燃えた。源氏の心の動揺を敏感にもかぎつけた葵の上の冷たい態度に、源氏はこの結婚の失敗を悟る。これを蔭ながら心配するのは葵の上の兄頭の中将であった。源氏の外見は幸福そうなこの結婚を苦々しく思う六条の御息所は、嫉妬の炎をかきたてる。それを息女の秋好の姫がたしなめるのだった。

 懊々としてたのしまない源氏の心をかきたてるのは美しい藤壺の面影。従者惟光は藤壷付きの王命部をそそのかして、源氏を藤壷の几帖の中に忍びこませた。源氏の甘い抱擁にわれを忘れた藤壷であったが、嵐のような恍惚の後には、哀れにも罪の呵責におののくのだった。帝の寵を桐壺に、今はまた藤壷に奪われて面白くない弘徽殿の女御は、兄の右大臣と藤壷の失脚をはかる。この叔母と父の企みを近く東宮の妃にあがる朧月夜が耳にしていた。快活な朧月夜は、藤壷の館に忍ぶ源氏の君と出会うや、名も告げず、強引にも几帖の蔭に引き入れ、惜しげもなくやわ肌を与え、その耳に藤壷には近づくなとやさしく忠告した。だが、恋にとりつかれた源氏は、少しも恐れず、一途に思いをつのらせるだけ。これを知った藤壺はいよいよ罪の呵責におびえ、身も世もあらず慟哭するのだった。

 やがて藤壷は玉のような皇子を誕生した。何も知らず歓ぶ帝を見るにつけ、源氏の心は暗い。鬱積を野遊びに晴らそうとした源氏は、ひっそりと侘び住居する常陸宮の姫末摘花と逢い、その女らしいもてなしにしばしのうさを晴らした。洛外北山の庵室で、源氏は藤壺の兄兵部卿の宮に先立たれた按察の北ノ方とその娘紫と出会った。可憐な紫に藤壺の面影をみた源氏は、強奪するように紫をわが館へ連れ戻った。紫を館に入れたことを知った葵の上の心はおだやかではなかった。産み月も近づき、やさしくいたわる源氏に葵はますます冷たくあたる。この妻の態度に、いじらしさを感じた源氏は、抱きしめる腕に力をこめた。

 葵の上の妊娠を知った六条の御息所は、足の遠のいた源氏に恋の炎をもやした。葵祭りに源氏が供奉すると聞くや、娘を伴って源氏の晴れの姿を一眼みようと見物にでかけた。だが黒山の群衆にみうごきがとれない。その背後に葵の上の牛車が近づき、心ない従者のために御息所の網代車のナガエが折られてしまった。口惜しさと身をふるわす御息所。ひしとよりそい慰める秋好の姫。六条の御息所の葵の上への憤りは、生霊となって、葵の上を襲った。護摩をたき祈祷に余念のない聖の法力も御息所の執念には勝てなかった。葵の上は源氏にみとられながら男子誕生と共に息たえた。

 悲しみにひたる源氏に、またまた父の帝が崩御し、朱雀帝が即位した。あさましい女心に身を恥じた六条の御息所は、秋好の姫が伊勢の斎宮になったのを機会に、伊勢に下っていった。心たのしまない源氏は、日々美しく成長していく紫に、藤壺の面影をしのびわずかの慰めとしていた。

 今では新帝の妃となった朧月夜は、一夜の源氏との交情を忘れることができなかった。大胆にも藤壷の館に忍ぶ源氏を目敏く見つけるや、几帖の中へ引入れ藤壷に近づくのは身の破滅だと囁く。この二人の交歓を弘徽殿の女御が発見した。女御の知らせでこれを知った朱雀帝は憤然とした。これを知るよしもない源氏は藤壺の許に忍びこみ、陶酔にすべてを忘れようとしていた。だが、この源氏を待っていたのは新帝からの厳しい通達。源氏は冷静にすべての官を辞し、須磨明石で余生を送る決意をし、風吹きすさぶ中を都をあとに淋しく旅だっていくのだった。( 公開当時のプレスシートより )

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 「源氏物語」の映画化(昭26、大映・近代映画協会提携、脚本新藤兼人、監督吉村公三郎、撮影杉山公平・カンヌ映画祭撮影賞受賞)は長谷川一夫主演に続く二度目である。

「源氏物語」の現代語訳としては、与謝野晶子・船橋聖一・谷崎潤一郎・円地文子・田辺聖子・瀬戸内寂聴等が上げられる。 

 

 

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