大殺陣雄呂血

1966年7月2日(土)公開/1時間27分大映京都/白黒シネマスコープ

併映:「処刑の島」(篠田正浩岩下志麻・新田昌)

企画 奥田久司
監督 田中徳三
原案 寿々喜多呂九平
脚本 星川清司・中村努
撮影 牧浦地志
美術 西岡善信
照明 中岡源権
録音 林土太郎
音楽 伊福部昭
助監督 太田昭和
スチール 大谷昭彦
出演 八千草薫(波江)、藤村志保(志乃)、中谷一郎(真壁十郎太)、五味竜太郎(樫山伝七郎)、内藤武敏(樫山又五郎)、藤岡琢也(舟次郎)、内田朝雄(井坂弥一郎)、加藤嘉(真壁半太夫)、伊達三郎(大熊)、吉田義夫(仏の五郎蔵)
惹句 『裏切られた者の怒り謀られた者の憤りたのむはわが剣のみ1対200壮絶の死斗これが剣戟映画だ』『斬っても斬っても襲いくる兇徒の群血風うずまく木曽谷に 三たび倒れて三たび立つ

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 現在でも、激しいチャンバラ映画の代名詞として語り継がれている阪東妻三郎のサイレント時代の名作『雄呂血』(1925)。かたや歌舞伎調のワンパターン時代劇から360度回転し、暗殺者たちの決斗を血生臭い殺陣で描いた集団時代劇の傑作『大殺陣』(1964)。この二つの映画を合わせてタイトルもズバリ『大殺陣 雄呂血』なんともよくばった題名だ。

 いままでにない新しいジャンルの時代劇を作るということで市川雷蔵のために企画された映画で、かつては名のある道場の師範代だったがあることで恋人と友人に裏切られ浪人に身を落とした男が最後にたまった怒りを爆発させ追手を斬って、斬って、斬りまくるというおなじみのストーリーを『眠狂四郎』『陸軍中野学校』とヒットシリーズをてがけた星川清司と当時新人だった中村努が共同で新しく脚本を書いた。音楽は誰でも知っている大御所伊福部昭、監督の田中徳三は三隅研次、池広一夫、森一生と一緒に大映のプログラムピクチャーを支えたベテランである。(彼らのことを大映三一システムと呼ぶ人もいる)この作品でも新しいスタイルの殺陣を用いて全篇息もつかせぬスピーディーなチャンバラムービーになった。田中=雷蔵コンビでは『手討』(1963)とならぶ代表作になった。

 

脚本作りに苦労

 『大殺陣 雄呂血』は、かって大正末期に、阪東妻三郎で撮られた作品の再映画化で、当時としては受けたのでしょうが、主人公のニヒルな男の生き方には、なんとなく共感を覚えぬままま、演出した思い出があります。

 星川清司さんの脚本を、当時駆け出しのライターだった中村努さんと、あれこれと相談しながら、脚本作りに苦労したことを思い出します。 ただ、ラストの立ち廻りは、サイレント映画のチャンバラの手法を、ふんだんに照れることなく演出しました。( 田中徳三監督 )

謎のまま、雷さんの「ほうー」

 四半世紀まえのことで・・・記憶は何ともおぼろ。「おい中村、これ読んで、おまえの好きなように直してみ」と、ある日、所長室へ呼ばれて原稿を渡された。星川清司さんのお書きになったものである。私は撮影所ではただの宣伝課員で、シナリオの勉強はごそごそ夜中に自前でやってはいたが、いきなり本番。クランクインも封切日も決まっていたはず。私事で恐縮だが、結婚したばかり。所長はその時、もう一言付け加えた。「結婚祝いや」と。何とも粋な所長である。その晩から多分、新妻はそっちのけで、原稿用紙に必死にかぶりついたことは間違いなかった。

 この企画が、どんな経過で生まれた知らないが、当時すでに、狂四郎、忍び、若親分、中野学校と、シリーズはどれも始まっており、その間の継ぎというか、定食ばかりではあきるので、一品料理をという狙いででもあったろうか。例の・・・ガタガタと下駄を鳴らし、仕事を終えて浴衣に着換えた雷さんが、眼鏡をずらしながら微笑を浮べて企画の部屋か所長室をのぞいて、「何かもっと新しいもんありまへんかなあ」と言ったのかも知れない。

 『雄呂血』とはまた大そうな題名で、格別の意味があるわけでもなく、単なる語呂合わせだそうだが、阪妻のチャンバラ、寿々喜多呂九平の名作シナリオ、剣戟映画の原点であり見本市である・・・とは知っていた。スチールも何枚か目にしていた。今回、ストーリーも人物設定も勿論、星川さんのオリジナル。それを若気の至りで、私がどこをどう直したのか、今は全く記憶にない。田中徳三監督は、私の直しを読んで、「主人公をもっと無頼にできんかなぁ」と、しきりに無頼、無頼と言っておられた。狂四郎にはない、もう一つ違った姿の人間像を描こうとしていたと思う。南ベトナムでは反政府デモの激化、中国北京では文化大革命勝利祝賀の紅衛兵100万人集会、わが日本国は高度成長のいざなぎ景気・・・そんな中で、無頼という意味をあれこれ考えたものである。答えは把めなかったが・・・。

 黒い表紙に銀色の題字で『大殺陣 雄呂血』の台本が刷り上がってきた。雷さんが私を見て、ニヤリと笑顔になった。「ほう」と言う、あの顔である。新しもの好きで、しかも一種独特のクールな批評家でもあった雷さんの、あの「ほうー」は、及第点だったかのか、落第点だったのか、謎のままである。

 本社試写のあと、永田雅一社長が、ラストシーンについて、「あの二人は、あの後、死ににいくんやなあ」と感想をもらしたそうである。作者としては、そんな意図は毛頭なく、むしろ逆で、あの二人は、強い絆でむすばれ、きっと生きのびていくであろう願いをこめていたのだが・・・。映画とは面白いものである。( 中村努 )

雷蔵さんの優しいどなり声

 当時、勝新太郎さんの『悪名』シリーズで大映京都にお世話になる事が多かったのです。と言うのも最初『悪名無敵』ではじめて大映に呼ばれた時、監督が田中徳三でしかも関西学院の大先輩であることも知りました。その後このシリーズ以外でも田中監督には一方ならぬ御指導を受け、田中監督と勝さんに映画というものを教えて戴いたような気がします。

 この『大殺陣 雄呂血』ではじめて市川雷蔵さんの作品に出して頂くことになりました。制作部の部屋で担当者が「琢也はん、一寸雷さんに挨拶しときまひょか」「え、雷蔵さん・・・何処に・・・」「ホレ、そこで新聞読んではりまんがな」ふと見るとユカタがけで誠に何気なくさり気なく普段着の雷蔵さんがいらっしゃいました。実に静かな印象でした。ところが仕事がはじまってステージへ入ると、あの静かな人は何処へ行ったかと思うような、マア、エネルギッシュで明るく冗談が多くて大声なのにびっくりしたものです。

 ボクのラストカットの雷蔵さんの優しいどなり声が今でも耳に残っています。「何待ちや!!はよしいや!!とにかくこの人(ボクのことです)斬ってしまわんと・・・はよ斬ってしまわんと・・・はよ斬ったげよいな!!はよ斬って飛行機に乗せたげよ!何待ちや!!」( 藤岡琢也 )

『雄呂血』

 『大殺陣 雄呂血』は昭和四十一年五月より六月に亘っての作品。さきに無声時代、阪妻さんの『雄呂血』のチャンバラは有名で、場内での楽隊や弁士と時は移り変わって録音発声の違いは有っても、内容に付随しての主題は殺陣にあり、それだけに監督以下スタッフ、殺陣師、主役の雷ちゃんの間で綿密な打合わせが行われました。

 開始と共に京都独特の蒸暑い最中で立廻りの一カット、一カット重ねる度に砂埃りの舞上がる中での息苦しかった思いが、今もハッキリ甦返ります。( 林土太郎 )

雷蔵さんの殺陣の集大成

 「祇園囃子が京の街に流れ始めると、いつも雷蔵さんのことが思い出されます。今年早や、23回忌を迎えることになりました。−命日は7月17日− 祇園祭の宵ゝ山にあたる今月15日、京都で雷蔵さんの23回忌を兼ね、偲ぶ会をやろうと云うことになり、私も。星川清司さん、宮川一夫さんと一緒にその発起人に名を連ねさせて頂くことになりました。この写真は・・・云々」

 −これは丁度一年前(1991)のAVジャーナルの7月号掲載「アルバムは語る」の書きはじめの文ですが、あれから一年がたちました。『雄呂血』は雷蔵さんがなくなられる3年前の作品ですから、この作品は27年前の作品になる訳です。

 この『雄呂血』についてのコメントを、とのことですが、一言で云えば「雷蔵さんの殺陣の集大成」です。サイレント時代の名作『雄呂血』を是非雷蔵さんで再現を・・・という希望が当時多かったのです。 この映画は又、捕り方のあの手この手が見せ場でもあったので、美術としてはそれ等の動きの空間処理がポイントでした。( 西岡善信 )

以上、第17回湯布院映画祭(92年8月26日〜30日)パンフレットより

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★かいせつ★

 無声映画時代にファンの血を湧かせた、いわゆる剣戟映画を、新しい形で大型スクリーンに再現しようという狙いで、企画されたのが、この『大殺陣雄呂血』です。

 『雄呂血』といえば、往年の大スター阪東妻三郎の名作(大正14年製作)を思い浮かべる人もあると思いますが『大殺陣・雄呂血』は、これにヒントを得て、全然新しい物語を構成しているものです。従って原案寿々喜多呂九平、脚本は星川清司と新鋭中村努の協作、監督田中徳三、撮影牧浦地志をはじめとした強力なスタッフが組まれています。

 配役は市川雷蔵の主人公拓馬、八千草薫のその婚約者波江、藤村志保の旅籠の娘志乃を中心として、中谷一郎、五味龍太郎、内藤武敏、藤岡琢也、内田朝雄、加藤嘉らの芸達者が揃っています。

 物語は誠実忠勤の若い藩士が、主家のためにはかったことがすべて逆の目逆の目にでて、周囲から裏切られ、冷たい目で見られ、一路転落をたどっていきますが、最後にはおさえにおさえた怒りが、ついに爆発して猛然と斬りまくります。その殺陣の多様で、大規模なのが本編の呼びもので、約一巻の間、手をかえ品をかえて、凄絶痛快の殺陣絵巻が、ここに展開されるものです。

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★ものがたり★

 信州水無月藩の領内で、井坂道場へ他流試合を挑みに来た隣藩岩代の士樫山伝七郎が、背後から斬られて死ぬという事件が起こった。下手人は家老の息子片桐万之助、目撃者は同藩の真壁十郎太ただ一人で、秘密は守られたが、岩代藩からは強硬に下手人引渡しを迫ってきた。せっぱつまった水無月藩の用人真壁半太夫は、娘波江の婚約者で井坂道場の師範代をつとめる誠実無比の藩士、小布施拓馬を説いて替え玉に仕立てた。

 主家のため一年ばかり姿をくらましていてくれれば、岩代藩へは下手人が逃亡したと通告して時を稼ぎ、その間に政治的解決をつけておくのだというのだ、そして来年の春の参勤交替の時に、高崎の本陣へ出頭すれば、帰参のかなうようにすると確約した。拓馬は半太夫を信じ、主家を救う誇りを胸に涙ですがる波江を残して、国許を出奔したが、旅先で路銀を盗まれ、人足にまでなって、苦労の多い一年を過ごした。

 だが、約束の日に高崎の本陣を訪れた拓馬は、半太夫が数ケ月前に急病で死んでいることを告げられ愕然とした。しかも唯一の証人十郎太は拓馬を裏切ってシラを切った。そのため拓馬はその場で伝七郎殺しの下手人として捕らえられようとした。必死になって弁解しながら防戦する拓馬は、遂に数人を斬り捨てて逃れた。

 武士の約束に裏切られた拓馬は、人が変ったようになり、宿場の刑場では無実を叫ぶ囚人の側に立って、非情の代官を斬るほどになった。かくて水無月藩からは上意討ちの命がだされ、拓馬の剣術の師匠井坂弥十郎や十郎太もその討手に加わって出発した。

 波江はさきに父を失い、いま恋人が罪人として追われ、従兄十郎太から結婚を迫られる苦境に立つに至った。また、岩代藩よりも拓馬への討手が出立、拓馬はとある渡船場で伝七郎の兄又五郎らの岩代藩に挑戦された。ここでも弁解はかなわず、拓馬は必死に防戦につとめて、数人を斬り、又五郎を傷つけてその場を去った。

 この拓馬と道連れになった遊び人舟次郎は、さきに彼の路銀を盗んだ小悪党だ。二人と旅籠で泊り合わせた駆落者、商家の娘奈美江と手代平吉が、心中を企てているのを拓馬が助けた。彼女らも人に金をだましとられ、夫婦になれぬ絶望に沈んでいたのだ。拓馬は我身につまされ、舟次郎の所持金まで二人に与えて、力強く生きるように励ましたが、次の日の山道で、やはり二人は死んでいた。拓馬はまた失望した。

 一方、波江は拓馬をたずねて旅にでたが、病気でなやみ、道中で逢った十郎太の監視下におかれたが、それから脱出したと思うまもなく、ならず者のために誘拐されてしまった。間もなく、ある街道で拓馬は十郎太を先頭とする水無月藩の討手と出会った。敬愛する剣の師匠井坂をはじめとする道場の仲間だった。井坂は拓馬に切腹をすすめたが、拓馬はあくまでも抵抗するといい切った。愛弟子をせめて自分の手で斬ると悲壮な覚悟の井坂と、拓馬は一騎打ちの死闘を展開して井坂を倒したものの、彼もまた斬られて深い谷間へ転落していった。

 傷ついた拓馬を救ったのは旅籠山口屋の娘志乃で、彼女の明るい人柄に、拓馬の傷は身も心も癒されて行った。だが、その志乃も山口屋に投宿した岩代藩の討手たちに手ごめにされようとし、舌を噛み切って死んだ。拓馬の胸中には、またしてもドス黒い、怒りと悲しみがみなぎった。

 流れ流れて木曾谷で、仏の五郎蔵一家の用心棒にまでなり下った拓馬は、彼の消息を探り当てた舟次郎の入知恵で、二足のわらじの五郎蔵がひそかに水無月藩や岩代藩へ飛脚を立てた事を知らない。

 折りから木曾谷は祭りで賑わい、拓馬は五郎蔵の案内で乗り込んだ女郎屋に波江と逢った。やくざの用心棒と宿場女郎という変り果てた二人だった。拓馬は真剣に波江を自由の身にしてくれるよう五郎蔵に頼んだが、折から舟次郎の耳打ちにうなづいた五郎蔵は意外にも快く承諾した。それもその筈、時すでに遅く、女郎屋の周囲はやくざ、代官所の捕方役人、水無月藩、岩代藩の討手が、十重二十重に取囲んでいたのだ。

 波江は涙の中から「父を許してやって下さい」と許しを乞うたが、拓馬はどこにも持って行きようのないむなしい怒りを、ここではじめて爆発させた。おそいかかる五郎蔵を一刀の下に斬り捨てると、彼は猛然と突進した。そして斬った、斬った、斬った・・・・・やくざも、捕物道具で襲う捕方も、水無月藩、岩代藩の剣士たちも、舟次郎も、十郎太も、又五郎も・・・それはおさえにおさえた誠実な人間の怒りの、すさまじいエネルギーの爆発だった。( 公開当時のプレスシートより DAIEI PRESS SHEET No: 1184 大映本社宣伝部発行 )

                          大殺陣 雄呂血                    飯田心美

 若き日の阪妻の当り役と称された、名作の再映画化である。旧作は善良な青年武士が社会悪にまきこまれ、知らぬまに殺人を犯す過程がわかりやすく示されていた。そして仮面をかぶった悪党が世間に大手をふって生きる反面に、無実の自分が兇悪犯とされて弁解も出来ない社会の理不尽を怒る、というのが荒筋で主人公の悲痛な訴えが主軸となっていた。

 プロットや組立から見て単純素朴で当時はやりのニヒルな味があり、演出はドギつく、やはり大正末期の暗さがあった。それにくらべるとこんどの作は、全体が明るさを帯びている。ストーリー事態は決して明るいものではないのだが、前作のように暗くないのは製作年代の故であろうか。私の見るところプロットの立て方、配役の顔ぶれも関係するように思われた。

 こんどのは全体として、武士社会の不合理と悪い星の下に生れ合せた宿命のため転落してゆく誠実な男の悲劇を語っている。ラストは四方八方から包囲され退路を絶たれた主人公のもがきが怒りとひとつになってバクハツ、大量の殺傷行為を生み出す。

 その心理過程を語るためにいくたの人物や事件を増設、各所にバラまくという仕組だ。たとえば旧作では蘭学塾を中心とした、主人公と家老の息子との争いが発端であったの対し、新作では乱暴な他流試合を挑んで逆に殺された隣藩の藩士の事件が物語の開幕となる。

 主家の危機を救うため他人の罪をかぶって国を出た主人公が、真相を知る証人から裏切られ、流浪するうちに無実を叫ぶ囚人にめぐりあって非情の代官を刺す。

 これがもととなって自国藩からも追われ、隣国と双方から討手がかかる。彼等の目を逃れ旅をする途上、駆落の男女に会い所持金を与えるが徒労に終り、男女は心中してしまう。そして最後は二足のわらじの仏の五郎蔵宅へころげこみ、そこで家出の末に宿場女郎となった許嫁に会うが、五郎蔵の密告で代官所はじめ自国、隣国と無数の追手が主人公を囲み大殺陣が展開するといった具合で旧作にはない設定が場面を多彩化している。このほか道場時代の恩師と不本意な一騎討ちをやって倒すくだりがあり、旅宿の娘に慕われる話もある。善意でやったことが裏目裏目と出て不幸を生む。

 確かに以前の単純素朴と打って変った組立で、スタッフの苦心はわかるのだが忌憚なくいうとややエピソード過剰気味で、所期の成果をおさめたとは言い難い。もっとエピソードを減らし、主題への集結を計ってもらいたかった。見ている間は、事件の続出が我々を引っぱっていくものの見終わったとたんにもの足りない感銘が残る。

 特に大殺陣が終ったあとの幕のとじ方が平板である。元々虚構性のつよい話であり、娯楽時代劇の変型というつもりならそれまでだが、話題となった旧作の再映画化ならもう少し見ごたえのあるものを狙った方が賢明の策ではないか。

 しかし適役とはいえない雷蔵が全篇にわたる力演は認められていいし、脚色の星川清司、村上努、演出の田中徳三の苦心のほども推察がつく。

興行価値:無声映画時代の名作を再映画化したものだが、シナリオの再構成にやや無理があり、本来の面白さをだしきれなかったうらみがある。「処刑の島」との組合せも、観客対象が定まらず、失敗した。興行価値60%。(キネマ旬報より)

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