1965年3月18日(木)公開/1時間26分大映京都/カラーシネマスコープ

併映:「兵隊やくざ」(増村保造/勝新太郎・田村高広)

監督 池広一夫
原案 紙屋五平
脚本 高岩肇・浅井昭三郎
撮影 武田千吉郎
美術 加藤茂
照明 加藤博也
録音 奥村雅弘
音楽 小杉太一郎
助監督 黒田義之
スチール 西地正満
出演 朝丘雪路(京子)、藤村志保(千代梅)、三波春夫(桃中軒雲右衛門)、山下洵一郎(高瀬俊介)、成田三樹夫(直次郎)、佐藤慶(太田黒伊蔵)、山田吾一(三吉)、原泉(ひさ)、石黒達也(滝沢巳之助)、水原浩一(仙之助)、杉田康(岩松)
惹句 『海軍士官が若親分に頭もきれる腕もたつ喧嘩っぷりの鮮かさ』『男の勝負だ手出しはならねえ腕と度胸は海軍仕込みやくざにゃ惜しい面魂』『ドスで貫ぬく男度胸の鮮やかさ女ばかりか男も惚れる海軍士官の若親分

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■作品解説■

▼この映画『若親分』(総天然色)は“ヤクザものなら雷蔵”といった定評そのままに、久しぶりにイナセな、それも初めての明治末期の侠客ぶりを見せようというものです。大映では、これをさきの『赤い手裏剣』と同じく、雷蔵の新しいシリーズに育て上げる計画で、雷蔵はこれで従来の「忍びの者−」「眠狂四郎−」といった両シリーズと合せて4本のシリーズを持つことになり、文字どおり日本映画界最高のシリーズ男となったわけです。

▼ものがたりは、明治の末期、東海道筋のあるヤクザの親分を実父に持つ海軍士官の南条武(市川雷蔵)が、父を闇討ちされたことから、任侠に徹するのも男の生き方と養子先をとび出し、無事跡目をついだその足で単身相手方へ殴り込み、海軍仕込みの技と度胸で巳之助親分の腕をスッポリ切り落して男を上げるが、あとで真の黒幕は、もう一人の男、新興ヤクザとして急速に勢力を伸ばしてきた伊蔵親分で、巳之助親分は一時にしろ下手人がワラジを脱いだ責任を感じて挑戦に応じたまでと知る。武は男らしく巳之助に手をついて謝るが、逆に励まされてまた一人伊蔵親分の許へ切り込んでゆくといったもので、任侠道に生きる男の友情と常に身体を張った、生命ギリギリまで燃焼し尽さずにはおかない男の生の厳しさとペーソスを痛快なアクションのうちに描こうとする意欲作だ。

 脚本は、紙屋五平の原案を高岩肇、浅井昭三郎といったベテランが共同で当たり、監督は四年ほど前、矢張り雷蔵とコンビを組み、いまだにやくざ映画の決定版と語りつがれる“沓掛時次郎”を世に送った新鋭の池広一夫で、またまた“明治ヤクザものの決定版”にしようと時代考証に、演出プラン作りに意欲満々だ。スタッフはこの他、撮影武田千吉郎、照明の加藤博也、録音の奥村雅弘、美術加藤茂、編集谷口登司夫、助監督黒田義之、製作主任大菅実といったベテランで固めています。

▼キャストは、南条武に、前述の市川雷蔵が、新シリーズ誕生とばかり“弁天小僧”以来七年ぶりのイレズミ姿で大張り切り。この主人公のトレード・マークともいうべき黒地に白で将棋の駒を大きく染め抜いた半纏も雷蔵のアイデアで、殺された父親が下手ながら将棋が好きで駒散らしの模様を愛用していたところからそれに因んで作ったという設定。

 相手役には、小さいときから雷蔵ファンだったという朝丘雪路が料亭“花菱”の若女将に扮して雷蔵と初めて顔を合せるほか、芸者千代梅に藤村志保、千代梅の恋人で学校の先生に山下洵一郎、雷蔵と敵対する新興ヤクザの親分伊蔵に佐藤慶が扮するほか、成田三樹夫、山田吾一、桜京美といった異色タレントが出演する。

 また、三波春夫が、『雲右エ門とその妻』(37年大映製作)以来、二度目の雲右エ門役に扮して初めて雷蔵と顔を合わせ、得意のナニワ節を披露する。( 公開当時のプレスシートより )

 大映の市川雷蔵は、近く、明治末期の侠客を描いた『若親分』(池広一夫監督)の撮影にはいるが、大映では、これを雷蔵の新シリーズとする計画だ。雷蔵にとって、明治の侠客ものは初めて。

 雷蔵にはいま撮影中の『赤い手裏剣』(田中徳三監督)がすでに新シリーズとしてスタートしているから、ことしにはいって二本の新シリーズを持つことになる。すでにシリーズとなっている『忍びの者』『眠狂四郎』と合わせ、雷蔵は四本のシリーズをささえた文字どおり“シリーズスター”というわけだ。

 『若親分』はまだ脚本はできていないが、話のあらずじはこうだ。明治末期、東海道筋のある土地の大親分のむすこが雷蔵の役で、海軍士官学校あがりの若親分というわけ。殺された父のカタキが抗争中のやくざの親分とにらみ、単身なぐり込みをかえる。その間、随所に色もようがからむ仕組み。キャストは雷蔵だけが決定、相手役の女優には朝丘雪路が内定している。

 雷蔵は「東映や日活のやくざものとは違った味を出すようくふうをこらさなくては・・・」とはやばやと構想を練り、自分で衣装を注文するといった気の入れよう。衣装は黒地のハンテンに王将、飛車、角など大きな将棋のコマをハデに散らしたもの。なぐり込みには角刈りのあたまに、このハンテンを着込み、腰に白さやの長ドスをぶち込んで、さっそうと乗り込もうというわけで、このハンテンもようから異名を“あばれ飛車の直治郎”と呼ぶことになっている。

 「ともかく、スカッとしたきれいな姿で、しかも動きのある若親分ぶりをお見せします。ことしはシリーズもので追いまくられそうな気配ですナ」と新シリーズつづきに、意欲を燃やしていた。(西スポ 02/03/65)

 

■ 物 語 ■

 街中が、日露戦争の戦勝気分に酔っていたころ、南条組の親分、辰五郎が将棋帰りの淋しいガード下でメッタ突きにされて殺された。車を曳いていた三吉(山田吾一)の証言から下手人は滝沢組のものらしいとまでは分かった。

 葬儀は、全国の親分、その名代を集めて盛大に行われた。若手幹部の直次郎(成田三樹夫)はそのなかに滝沢巳之助(石黒達也)の顔を見て逸る心を抑えかねていた。そこへヤクザの親分の葬儀という、およそ似ても似つかぬ雰囲気のなかに、海軍少尉の軍装もりりしく一人の青年が現われた。“俺一代でたくさん・・・”とヤクザを嫌った辰五郎が、さる海軍の高官に預けた一子、武(市川雷蔵)だったー。

 それから数ヶ月後、市内でも老舗の料亭で、南条組二代目の襲名披露が行われた。任侠道に徹するのもまた男の生き方と、武は考えたが、“花菱”の若女将の京子(朝丘雪路)は、幼馴染の心易さに酔いも手伝って“海軍少尉を棒にふってヤクザになるなんて大馬鹿よ!”と、言葉も荒く浴せかけるのだった−。式は厳粛なうちにも華やかに終えたが、お開きのころになって一騒動がもち上がった。三吉が出刃を片手に、巳之助にとびかかったからだ。武は、咄嗟にその出刃を叩き落すや、後程改めて御挨拶に伺うがと丁重にワビを入れたあと、白ザヤの長ドスを腰にぶち込み、たった一人、背後から小舟で乗り込んだ。虚をつかれて右往左往する子分どもを尻目に、武はアッという間もなく海軍仕込みの抜刀術で巳之助の右手首を叩き落した−。父の仇を討ったところで武は、かねてからの計画の実行を思い立った。父が、大のひいきにしていた桃中軒雲右衛門(南春夫)を招いて追善興行をうとうというのだ。

 武は、雲右衛門一行の先乗りとの打ち合わせの帰り、若い衆に足蹴にされている男をを見かけ身柄を預った。駆けつけた芸者の千代梅(藤村志保)から男は、小学校の教師高瀬俊介(山下洵一郎)で、二人は恋仲ながら彼女が、この土地のもう一人の親分で最近急速に羽振りのよくなった太田黒組の親分伊蔵(佐藤慶)の持ち物のため、ままならぬということを知った。そこへ折りも折り、前日になって、先乗りの若い衆が、伊蔵のインチキ賭博にひっかかり、雲右衛門の興行権を渡してしまったと、血だらけになって転がり込んできた。

 伊蔵の横車もこれまでと賭場へ乗り込んだ武は、イカサマもワザのうち、バクチ場でのいざこざは、バクチでけりをつけようと云われ、武は、パッと双肌脱ぎに坐った。札がくばられた。次の瞬間、伊蔵が何を思ったか、いきなり武の掌にドスを突き立てた。だが、その下には、何もなかった。武は、痛みをこらえて啖呵をきるや、人質となっていた雲右衛門をつれて出て行った。呆気にとられて見送る伊蔵、その懐から武のスリ代えた花札がポロリと落ちて、伊蔵は口惜しがった、もはや後の祭りだった。

 だが、その夜、当の恵比須座が、つけ火のため焼け落ちてしまった。小屋があろうとなかろうと、この雲右衛門の芸には、いささかも変りはないという彼の申し出に、焼け跡での独演会といういとも奇妙な興行となった。

 その騒ぎのまだ治まらぬ頃、俊介と千代梅の二人が、京子の手曳きで武の許へ逃げ込んできた。さすがの武も困惑した。ヤクザの世界では、この種の行為に対する制裁は厳しかった。対策もたたぬうちに、果して、親分の伊蔵が直き直に掛け合いにきた。武は、咄嗟の思いつきで千代梅の黒髪をおとさせた。同時に女の本心をも量ろうとしたのだ。さすがの伊蔵も、それ以上深追いする愚かさを避けておとなしく引き上げた。だが、彼の心の中は、一度ならず二度までも煮湯を飲まされた怒りでフツフツ沸っていた。

 その夜西へ落ちのびる俊介と千代梅を駅に見送った武の車が、父の殺されたガード下に近づいた時だった。ギラリ長ドスを抜いて前に立ちふさがった男あの時の情景そのままに、三吉の目前に迫ってきた。三吉は思わず叫んでいた、親分を殺った男だと。男の一撃を辛うじて逃れた武は、三吉から匕首を受取るや、逆に男を追いつめて、彼の背後にいる男の名前を聞き出した。意外にも伊蔵がこの黒幕だった。

 驚いた武は、その足で巳之助を訪れ、両手をついて謝ったが、彼は、あのときは斬られても仕方のない立場だったんだ。一度とはいえ自分のところに草鞋をぬいだ奴がやったことは、自分の責任、それが渡世の掟さと逆に励まされ、武は、白鞘の長ドスをぶち込んで、またしても単身、伊蔵一家の待ち受ける決斗場へと乗り込んだ。指定された操車場の表通りは折りからの日露戦争戦勝一周年記念の祝賀ムードに沸き返っていた。(公開当時のプレスシートより)

                     若 親 分                押川義行

 やくざ否定の世の中に、そのやくざを正面切って描こうというのはさすがに気がひけたとみえて、時代は明治末期ということにしてある。感覚的にあいまいなこの時代は少なくともチョン髷が出て来ないことで現代を意識させ、反面、男伊達礼賛という形で時代劇仕立てにもできるという便利さがあるのだが、それはつまり、そういう逃げ口上を使わなければならなかった苦しさを告白したようなものでもある。

 A組の親分が殺された。刺客はB組にワラジをぬいでいた流れ者。当然A組の子分たちはB組を敵と狙うが、そこへ帰って来たのが跡目をつぐため海軍士官の身分を投げ捨てたA組親分の息子。二代目襲名披露のあと果たし状をつきつけてB組親分の腕を斬り落としてしまうが、実は本当の敵が例の流れ者を利用した別の組のボスとわかって、この卑劣漢をたおす、というのがあらすじ。

 海軍士官からやくざへの転身の動機が、単にやくざの血をひいていたということ以外何も語られていなかったり、若親分が小学校教員と芸者との恋を取り持ってイキなところを見せながらあと始末はほったらかしの有様だったり、要するにやくざのヒロイズムを謳っているだけの話で、雷蔵が海軍士官のサッソウとした姿を見せ、ついでに派手にイレズミを披露し、料理屋の娘と恋を語り・・・といった娯楽性に敢えてはまり込んで行った悲壮さの方が、むしろ見ものといっていい。

 どうせ勧善懲悪に決まってはいるものの、若親分が悪ボスを殺して自首する始末に、ほんとうは何の結論も出て来ないばかりか、残った子分たちの血気がこのあとどんな事態をひき起こすか知れたものではないという不穏な気配さえ残して、つまりは甚だ無責任な“英雄をたたえる歌”に終ったのであった。

興行価値:雷蔵のヤクザものとして一応の線は確保できようが、話自体に無理がある。興行60%。(キネマ旬報より)

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詳細は、シリーズ映画「若親分シリーズ」参照。

  

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