修善寺物語(一幕・60分)

岡本綺堂
演出 武智鉄二

夜叉王住家の場
桂川辺虎渓橋袂の場
元の夜叉王住家の場

面作師夜叉王 坂東蓑助
姉娘桂 中村扇雀
妹娘楓 市川莚蔵
楓の婿 春彦 嵐鯉昇
金窪兵衛行親 坂東三津三郎
修善寺の僧 大作
下田五郎景安 市川靖十郎
源左金吾頼家 実川延二郎

 

 

『修善寺物語 (しゅぜんじものがたり)

◆かいせつ

 源頼家の最後を題材とした戯曲で、明治41年秋、岡本綺堂が修善寺を訪れた際、作者不明の修善寺の寺宝・頼家の面を見て生まれた一遍。芸術家の孤高と叙情味が豊かに溶け合った作品である。

 明治44年東京明治座で二世市川左団次の夜叉王にて初演され、大変好評を博し、歌舞伎作品としては珍しく各国語に翻訳され、昭和2年にはパリでフランス人俳優によって上演された。

◆ものがたり

 修善寺の面作り師夜叉王は、二人の娘、姉桂、妹楓、娘婿・春彦の四人で暮らしていた。姉の桂は美人だが気品が高く、まだ独り身だった。

 夜叉王は鎌倉二代将軍頼家に面作りを命じられた。しかし、作る面にはみな死相が漂い、名人夜叉王は自信を失いかけていた。一方、注文した面が、いつまで待っても届かないので、怒った頼家が催促にきて面を渡せないという夜叉王を斬ろうとする。とっさに姉娘の桂が、死相の面の一つを差し出すと、頼家はその出来ばえを褒め、さらに美しい桂を側女に所望して連れ帰り、北条氏の許可も無く、二代目若狭の局の名を与えた。

 その夜、北条時政の命を受けた一隊が、入浴中の頼家を襲い暗殺した。桂は、例の頼家の面をつけ、影武者として戦うが、瀕死の傷を受け我家にたどりつく。

 血に染まった面をみつめた夜叉王は「いくら作り直しても死相が現れたのは頼家卿の御運だったのだ。神以外に知る由もない人の運命がよみとれたのは、まさに入神の技、やはり夜叉王は天下一じゃのう」と快げに笑い、今まさに死にゆく娘の断末魔の面を写しとろうと筆を走らせるのだった。

◆縁の地・修善寺温泉

 修善寺温泉は伊豆半島でも最も歴史のある温泉である。平安時代に弘法大師が開いたと云う修禅寺の歴史と共にある。河原で病気の父親の身体を洗う少年のために、弘法大師が独鈷(とっこ=法具・つえ)を用いて岩を砕くと其処からお湯が湧出した、との伝説がある「独鈷の湯」である。

 弘法大師が発見したとされる温泉は、日本各地に存在するが、後年、開湯伝説を作った際に名前が使われただけの場合もある。静岡県内にはその他の伝説に、伊豆山温泉がある。

 毎年7月17日海の日に修善寺温泉街で“頼家”を忍んで仮装行列などが行われる。源氏興亡の歴史をもとに鎌倉二代将軍をはじめ、家臣20人、僧侶や稚児など130人が仮装パレードする「頼家公行列」が練り歩き、平成15年には頼家800年祭が盛大に執り行なわれた。

南座の花形歌舞伎

 第三の「修善寺」は何と言っても左団次のもので、彼の声色が聞えてこないと寂しくなるくらいものだから、蓑助が正直に万事高島屋でいったのは賢明の処置であり、第三場の幕開きのわびしげな静止の姿など、いろいろの収穫があった。ただ第一場の面をこわしにかかる意気込みは猿之助も蓑助も、本物に遠く及ばず、幕切れは高島屋は非人情、猿之助は感傷たっぷり、蓑助がその中間を行って、僧の読経で幕をおろしたのは、己を知り時代を知るものだと言えるだろう。

 扇雀の桂は前の幕と打ってかわって、これは素直な出来であったが、第三場になると悲壮すぎて、人物の掴み方に飛躍があった。莚蔵の楓、鯉昇の春彦はまずまずの無難。三津三郎の金窪は今少し凄味がほしく、大作の僧は騒々しくならないのが取柄。頼家という役は、いつも名優が扮して、そのために戯曲の外へはみ出しているきらいがあったが、延二郎のそれは、その枠の中に収まっているだけでも、近頃の頼家であった。(山本修二)

 

道行恋苧環(35分)

振付 井上八千代
竹本連中

烏帽子折実は藤原淡海  市川莚蔵
入鹿妹橘姫  片岡秀公
杉酒屋娘お三輪  坂東鶴之助

 

 

 最後の「妹背山道行」はこれこそすでに定評があり、その上この種の舞踊劇ときては、正直なところ小生手も足も出ないので、大きな口は開けないが、莚蔵の求女も秀公の橘姫も、世評のごとく誠におっとりとしていや味がなく、そうでもないと鶴之助のお三輪の「ぎちゃくの相」がはげしいので、凄惨の気分が出すぎて所作事では収まらなかったかも知れない。(山本修二)

 

 

   

 

 八月十八日から二十四日まで南座に初公演した延二郎・鶴之助・扇雀らに蓑助特別出演の花形歌舞伎はその熱のある舞台が評判となり、連日大入り満員で南座今年度で最高の成績を上げた。

 今売り出しの若手だけに本人達より親や御贔屓の力の入れ方は大変で、休憩室にはずらりと贈物がならび、客席には各々紋入の団扇をくばり、毎回大詰の幕が閉じれば一同舞台に並んでの挨拶に花道より花束やレイなどの贈物を手にして乙女達が出てくるは、舞台下よりはテープや花火が乱れとぶといった、さながら宝塚歌劇の様な雰囲気をかもし出し、観客共々沸き立つ様な人気であった。

 千秋楽は連日の大入の感謝というわけで、特に「かっぽれ」の一幕の追加に客席は全く立錐の余地もなく、ドアーも全部開け放たれ廊下まではみ出る有様。先ず蓑助と武智氏の挨拶に引き続き、出演者一同揃いの浴衣でかっぽれを一通り踊った処で、花道より幕間の関氏が女秘書に贈物を捧げさして現れ、丁寧な挨拶の後開いて見れば、いとも大ぶりの大根に満場は大どよめき。それからは延二郎の珍舞踊、鶴之助の買物ブギ、扇雀のさのさ等の隠し芸大会となり数目の放し放しで約一時間後の後漸く幕を閉じた。(第20号より)

 

 

 

 

妹背山の道行は よしおもしろき

    井上流の手ぶり見すれば

 

上方の歌舞伎ふたたびさかえよと

若き役者のために祈るらく

吉井 勇

 

美しい求女に寄す

 

人形と まがうが如き求女かな

おだまきを 持ちて求女のあで姿

ほつれ毛を 引きし求女のうれい顔

岡田 ちどり