武智歌舞伎

華と実と枝

 武智君の歌舞伎再検討の評価は数回の公演で一応結論は出されている。その賛否は両論はさることながら、京都南座での盛況や、つづいて西宮、神戸、大阪近郊の巡演、又は歌舞伎座本興行に於ける若手抜擢等は、特に武智君の勝利といってよいのである。

 然しここで一つ反省しなければならぬことは、今迄の公演が無条件に完璧といえるかどうかである。私は根本理念に於いて此の再検討に賛成であるが、総べてが、友人だから、「観照」の同人だから、同じ考え方とは限らないのである。それで今度の西宮等の公演を見てその意味のことを武智歌舞伎の花、実、枝ということで分類してみた。

 武智君の仕事には花がある。それは温室咲きでなく、その時に、その花が何にもめげずに咲きほこる、あの花である。いい換えれば人間本性の姿、その中でもこれを恋愛描写に大胆率直に見せることである。次に実であるが、これはその花の実を結んだもの、即ち高度の写実による真実性である。この二つを頭に置いて見る時、それを最も量的に含んでいるのが「十種香」であった。(沼艸雨)

 

 

修善寺物語

岡本綺堂
演出 武智鉄二

夜叉王住家の場
桂川辺虎渓橋袂の場
元の夜叉王住家の場

面作師夜叉王 坂東蓑助
姉娘桂 中村扇雀
妹娘楓 市川莚蔵
楓の婿 春彦 嵐鯉昇
金窪兵衛行親 坂東三津三郎
修善寺の僧 坂東大作
下田五郎景安 市川靖十郎
源左金吾頼家 中村鴈治郎

 

 
 

 京都で好評だったものだが、夜叉王が初めて顔を見せる仕事部屋の狩衣姿は、これは白丁姿というのがよいかも知れぬ、面作師としての職の神聖を示しているものだが、それはそれとして、後で頼家を迎える時には、作業服のように脱いで出る。ここに隙が出来た。七五三をめぐらせてあり、女子を入れぬ仕事場であること、又実際あのような姿で打っていた事を計算していることはよくわかるが、見た目に非常に悪い。とするとやはり左団次初演以来の着物に袴の方が都合がよいことになる。

 それと下田五郎が頼家の太刀を持って従うのが、今度は右手に水平にささげて出る。これは能によるものである事は勿論で、狂言でも「主の太刀は右に持つ」とハッキリいっているのだが、あの史劇にそれを使うのはおかしい(勧進帳の太刀持、あれはこの持ち方が正しいし又そのように持っている)。能の持方は実際にはああ持ったのではなかったのを、能にうつる持方としてあの式を選んでいるので歌舞伎に於いても従来の立てて捧げるのが歌舞伎らしい表現なのだ。正しい持方は別にあるが、それは能、歌舞伎共にふさわしいものではないからここにはふれない。虚実の間としてこれも前通りがよい。

 それに面を入れる面箱が蒔絵の立派なものであったが、あの場合白木の素朴なものがほんとうであると思う、今度のは並べた面が皆真物であり、夜叉王の打ちかけている面も「中将」に似た面の半製品である等、能を知っている武智君だけに面を丁重に扱うことを考えた事は当然だが、面箱を立派にする、そこまでの必要はない。夜叉王は面を打つ精神の崇高さがあればよいのだ。

 芸評に移ると蓑助の夜叉王の芸術家らしい眼の光り、面を見つめる時とか、娘の顔を写す時等であるが、これを第一に推称する。あれで科白が割れなかったらと惜しまれる。しかし今迄よりも元気になって見物に受けさす時はキッパリ張って受けさす等芝居上手になったこともたしかだ。従来兎角脇役的存在であった蓑助が座頭としての自信を得て来た証拠である。

 これに対して鴈治郎の頼家は死相あらわれたりのつもりではなかろうが余りに沈潜にすぎた。此一編の太陽的存在であって人目には華やかに見えてよい、それならこそ夜叉王程の者が将軍の面として打ちながら悩む訳である。

 他の役では扇雀の桂、鯉昇の春彦が無難、莚蔵の楓は余りに老けすぎた。眉は落としても十八という年には見えなかったし、一家中で一人が中に立って気を配っているような情にも欠けた。これはなかなかむつかしい役である。京都で余りよくなかった大作の僧が幕切に読経するのはいい効果だった。これは演出の成功だ。(沼艸雨)

 

 

勧進帳

富樫 実川延二郎
義経 市川莚蔵
弁慶 坂東鶴之助

 

 

 鶴之助の弁慶、延二郎の富樫共に数回の公演で共に貫禄を増して及第点で、莚蔵初役の判官も悪くないが、もう少しはふっくらした味がほしい。それからあの地方の貧弱さは一同よく納まったものと思う、役者の身分相応という松竹の肝であろうが、いやしくもあれだけ良心的な演技をしているものに対して、あの地方を与えて平然としている松竹の芸術的不感症を笑うばかりか一種の義憤をさえ感じる。

 演技はともかく演出に就いては少々異論がある。能でも最もいけないといわれている、押し合いの所を、そのままではないがそれに近いやり方で騒がしくしていることと、滝流しである。今までの「延年ノ舞」で扇を投げてそれを拾い上げる型があって、ここはいい型であり、見物も喜ぶ所だが、これは実は能の滝流しに扇を流れに浮かべて、それを拾う型からとったものである。今度はその上に大和屋にある滝流しの型を入れて、後で又扇を落として(捨てるのではない)それを拾う型がある。前と違うが大体は同じ行方であるから私の考えでは本格の滝流しを入れる場合はいずれかを整理する必要ありと思っている。

 それと滝流しの合の手で流れ足(爪先で立って右に、左に、舟弁慶の知盛に見る型)を見せるが、ここの所大喝采を博していた。もともと流れ足というものは水中を自分が流れる表現で、此の場合、盃が流れて行くのを見せるには不適当であるが、如何に様式美、リズム感を強調するとしても、此の不合理は承服いたしかねる。客の拍手を期待してこれを固執するのは武智君とも覚えぬことである。(沼艸雨)

 

 

摂州合邦辻

合邦庵室の場(一幕)

菅専助・若竹笛躬

合邦 坂東蓑助
女房おとく 浅尾奥山
奴入平 市川靖十郎
俊徳丸 中村扇雀
浅香姫 市川莚蔵
玉手御前 中村鴈治郎

 

 

『摂州合邦辻 (せっしゅうがっぽうがつじ)

◆かいせつ

 通称「合邦」、菅専助(すがせんすけ)と若竹笛躬(わかたけふえみ)の合作。初演は人形浄瑠璃で、安永2(1773)年大坂・北堀江座、上方歌舞伎に移植されたのは66年後の天保10(1839)年。

 もともと原作は、時代物としては上下二巻(かん)の短いもの。現在上演されるのは二巻目の切、つまり最後の一幕がほとんど、継母の邪恋をテーマにしたこの芝居の背景には、謡曲「弱法師(よろぼし)」や説教節「しんとく丸」「愛護若(あいごのわか)」などをもとにして書かれている。

 説教節(仏教を広める為にかたられた、最後に神仏が出てきて、めでたしめでたしとなる話)から始まり江戸時代に流布した物語を歌舞伎に移植したものには、他に「小栗判官」がある。

◆ものがたり

 河内の領主・高安通俊は、若く美しい玉手を後妻として迎える。通俊にはすでに、次郎丸、俊徳丸という腹違いの兄弟がいたが、次郎丸は、高安家の跡継ぎに決まっている俊徳丸を殺す陰謀を企んでいる。俊徳丸には浅香姫という相思相愛の恋人がいたが、俊徳丸に向かい恋心をあらわにした玉手は、俊徳丸をだまして毒酒を飲ませ、業病にしてしまう。俊徳丸は病によって醜く変貌した我が身を恥じて家を出奔、落ちぶれた姿となって浅香姫と再会する。その二人に次郎丸の魔の手が迫るが、玉手の父・合邦に助けられ、その庵室にかくまわれる。

 やがて、そこにやって来た玉手は、父母の嘆きもかまわず、なおも俊徳丸に言い寄るので、合邦はついに娘を刺す。断末魔の玉手は、俊徳丸への邪恋は、敵の手から俊徳丸を守るためのいつわr恋だったと明かし、わが身の生き血で俊徳丸の病を治して息絶える。 

◆俊徳丸伝説と縁の地

 俊徳丸にまつわる伝承は、謡曲や説経節の題材になったことからもうかがえるように、かなり古いものであるらしく、室町以前、すでに一般に流布していたようである。大阪府八尾市、高安山麓の山畑地区は、"俊徳丸伝説"で名高いところ。

 『俊徳丸はこの地の信吉長者の子で、美しく利発な若者でした。ある時、選ばれて四天王寺の稚児舞楽を演じ、これを見た隣村の蔭山長者の娘と恋に落ち、将来を契る仲になった。ところが、俊徳丸は継母の呪いがもとで失明し、癩に冒され、家を追われて四天王寺境内で物乞いをする身となり果ててしまう。

 これを伝え聞いた蔭山長者の娘は、四天王寺に俊徳丸を探し求め、ようやく見つけ出して共に観音菩薩に祈ったところ病は癒え、二人は夫婦となって蔭山長者の家を継ぎ幸せに暮らした。一方、山畑の信吉長者の家は信吉の死後、家運急速に衰え、ついには蔭山長者の施しを受けるまでになったと云う』(八尾市HPより)。

俊徳丸鏡塚石碑と焼香台

 山畑地区には「俊徳丸鏡塚」と呼ばれている塚がある。本来は高安古墳群に含まれる横穴式石室古墳であるが、いつしか俊徳丸の伝説と結びつき、石室入口前には上方歌舞伎役者・実川延若(文楽人形のような顔をした個性ある役者)が寄進した焼香台がある。

 聖徳太子の開基と伝える閻魔堂(西方寺)は「摂州合邦辻」の舞台となったところ。芝居がかかると、その前に必ず太夫や役者さんたちがお参りする慣わしがある。昭和20年3月に空襲で焼失したが、信者達によって再興されて今日に至っている。

大阪市浪速区下寺3丁目/現在は融通念仏宗西方寺の境内の一角に祀られている。

 芝居の主人公「俊徳丸」の難病が治ると云うくだりから病気平癒を祈願して、訪れる人が絶えない。最近、寅=虎=Tigersと、阪神ファンの秘密の祈願所となっているらしい。(寅の年・寅の日・寅の刻の揃った生まれの人の生血を飲ませれば難病が治る比喩から)。芝居の「源氏店」の与三郎には、辰の年、辰の日、辰の刻生まれの手下の生血を飲ませると、切られた傷跡が全快する場面もあるそうだ。

 鴈治郎の初役の玉手、これは興味の的であったが、演出、演技共これに感激した。極言すれば近来不振の鴈治郎はこれによって甦生したと私は見る。彼の当り役と思っている引窓のお早、酒屋のお園等と共に最も高く評価される可きである。これでは武智君の「実」の演出を充分に知ることが出来た。あの器用な鴈治郎がいかにこれに苦しんでいるか、そしてそれが表面には余り出ずに、人によっては踊る玉手を愛する面からいえば物足りないと思われるかも知れないが、あの内攻する芸は能の行方と一緒で、此の興行でこれを得たことを、劇界のためにも、鴈治郎のためにも、武智君のためにも祝福したい。

 先ず「しんしんたる夜の道」の出の如何にもそれらしい感じと、玉手の美しさだ。これは顔だけでない。鴈治郎はそれ程美貌ではないにも拘らずその気持が姿ににじんでいるのだ。それに気品、あれでこそ高安在衛門の人格も知れる。私が常に能で幕を放たれた瞬間に点をきめるのをこの時そっくりその通りにした。満点である。母に対しては甘え、父にはややよそよそしく、俊徳への思慕も肉欲のみのいやらしさでない等、各人それぞれへよく心を使って、型にしても、あく迄豪族の奥方としての慎みをもっているので、母に納戸に引き入れられる所のいじらしさがあわれである。何よりも優れていたのは、嫉妬の乱行になって、浅香姫を引き廻す所でもそれがあく迄嫉妬であって暴行でない事、あんな手荒なことをしても奥方の気品のある事、感心していれば限りない程の出来である。

 蓑助の合邦は本興行と余り変らず科白が高くなると蛮声じみるのと、一間への出入りがギクシャクしすぎる等いささか騒がしかった。それに莚蔵の浅香姫がミスキャストで、これは地位は違っても扇雀の俊徳とかえるべきであった。かって「熊谷」で太郎の相模に藤の方をして成功した扇雀である。他でよかったのは奥山の母と靖十郎の入平、殊に奥山は歌舞伎座の「忠臣蔵」のおかやで騒ぎすぎ、どうかと心配したが、これは真物で、客演だけの身分は立派に立てた。(沼艸雨)

 

 

弁天小僧

浜松屋から勢揃いまで

 

弁天小僧 坂東鶴之助
日本駄右衛門 実川延二郎
南郷力丸 嵐鯉昇
赤星十三郎 中村扇雀
浜松屋幸兵衛 坂東大作
伜宗之助 市川莚蔵
鳶頭 市川靖十郎
番頭 坂東三津三郎

 

 

 

 最後の「浜松屋」になると伸び伸びと気楽でなければならぬ筈だが、一同無理に笑っている時のようなとってつけたものになっている。型物は何とか出来ても世話物になるといかにむつかしいかがよくわかる。鯉昇の南郷等、車引の梅王とは別人のようなまずさである。酷評すると学生演劇のようだ。そこへゆくと鶴之助の弁天小僧はやはり出来ている。十五世羽在の血を引きながら六代目ばりで時代世話の使いわけも先ずいい、間ももてているのだが、結局遊びがないのが堅苦しくするのだが、この年頃でそれを望むのは無理とわかっている。ぬっと出るだけで蓑助の日本駄右衛門になっているのと、三津三郎の番頭が光る外、皆場違いの感じだ、所詮江戸の色、こうした頽廃美の世界はまだまだ無理である。

 勢揃いになっては見直した。上記の三人の外太郎が忠信利平、扇雀が赤星十三郎、この二人共に姿も科白もよく、扇雀は本格で、一同相当自信をもっているのでよい意味で楽しく見ることが出来た。

 今開きかけた武智歌舞伎の、花と実を生かすために無駄と思われる枝を切る事を私は提唱して見た。(沼艸雨)

 

 

幕間第三回歌舞伎若手人気投票発表