花形歌舞伎を見て
蓑助、菊次郎の補導で所謂武智歌舞伎が名古屋へ初めて来ましたが、私はその舞台を見て、今までにない興奮を覚えました。「樽屋おせん」を除いた昼夜五狂言の中に見る若い人々の舞台は、熱とか意気とかいった生やさしいものではなく、全く蓑助の言葉通り死物ぐるいの舞台で、平常めったに手をたたかない名古屋の見物も、今度は惜しみなく手を叩き、声をかけました。
これまで度々関西歌舞伎の来演はありましたが、これまで私は延二郎や鶴之助にこれだけのものが出来ると思ってもみず、まして扇雀や太郎に−そして莚蔵といった名には気にもかけてはおりませんでした。
思えば僅かな年月の間にこれだけに指導された武智氏や蓑助の苦労もさることながら、これらの大役にとりくんだ若い人達の努力には、この世にある讃美の言葉を凡て贈りたいと思います。
昼夜共、最後に蓑助を始め主な人達が舞台姿のままで挨拶をし、一人々々自分の名と年をいいましたが、舞台では堂々たる富樫やお染を演る人々が、てれたように「満十九歳です。二十一歳です」という度に、客席に「ホウー」という声がおこりました。この年でよくもこれだけに、といった感心と驚きとがこもった声なのです。
武智氏は最近よく、これらの人々をまるで自分の恋人か娘のように手放しで惚気て居られますが、それも仕方がないでしょう。ただこの惚気が一時の気まぐれに終らず、将来美しい花を咲かせて立派な実をみのらせる様お願いします。
最後に、私は蓑助が挨拶にいった言葉をそのままこの人達に申しましょう。どうかこれからも何度も何度も来て下さい。そして正しいカットのない芝居を見せて下さい、と。(名古屋
安達史郎)
新しい歌舞伎のために
前月号荻生田さんの「脇役者をスター級に」はあらゆる意味において全く同感です。名門出でないために一生宝のもちぐされで過さねばならぬのは脇役者の悲劇であり、歌舞伎の悲劇だと思う。この現実を考える時にこれらの封建制度をぬけきった時こそ私達と共に生き得る新しい日本の歌舞伎が生れるのではないだろうか。
暮の南座を中村吉之丞一座といわれたり、明治座の忠臣蔵にしても無理に“大役はスターに”の観念から(他に適任者があるのに)ミスキャストがあったりして誠に私達には理解しがたい。
関西では武智歌舞伎が大劇場でも上演されるようになったことは喜ばしいことで、反対者は何のかのというが、莚蔵という人を私達に示してもらっただけでも意義大いにありだ。成太郎は関西らしい点において唯一の女形であるが会社は何故もっと大事にしないのだろうか。彼ほど地の芸が出来る人はそうざらにあるものではないと思う。ジャーナリズムはなによりこうして埋れた人材に対する好意を積極的に示してほしい。その点幕間はその努力がうかがえるが、もっと今まで以上にそういった方面に尽くしてほしい。
今は中年以上の人が観客の大半だが、あと二十年もたてば私達十代、二十代の人がその大半になるということをお忘れなく。根本的問題において歌舞伎は新しく生きてもらいたい。(高校生、博多
高尾輝光)
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