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 近松原作の「生玉心中」をとりあげたのは、こんどの第一の収穫だった。これまで出なかった上の巻天満境内から中の巻の大和橋浜納屋まで、大体原作に忠実に脚色したのは、瀬川如皐氏としての努力だった。尤も、原作に忠実といっても、一応筋を追うだけでは原作の香気を伝え得ることにはならぬが、少なくとも散文訳的な纏め方は出来ていた。大塚克三氏の装置もよろしい。

 天満境内清水屋店先で、嘉平次がおさがと逢引きし、降りかかる雨と姉を避けるために駕籠の中へ二人でかくれるのも上方世話らしい。敵役の長作が来ての悪口に堪え切れず、嘉平次が駕籠の中で身をもだえる所が避けてしまってあったのは残念だ。鴈治郎の嘉平次は紙治などと「雁のたより」の間を行き、あまりふざけぬところがよく、それでいて、幕切れに、女の残してくれた駕籠の雨桐油をまとうて立つ姿が印象的。富十郎のおさがもいつもほどネチネチせず、だいぶん上方女に近づいて来た。成太郎の姉が、こんな役にふさわしくなり、弟がかくれていると知って、それとなく意見をするのも味わえた。

 中の巻浜納屋では、しごきを軒に下げて女を外に下ろすのや、父親が瓢箪から小粒銀を注ぐのや、父性愛の異見など、近松らし趣向で、「慈悲知らぬ親の酒を見よ。誠の慈悲の味を飲みて知れや・・・」など、味わうべきだ。長作を仆すのに商売物の備前鉢で長作の天窓の鉢を打ち砕き錦手にするというのも技巧であり、婿引出の脇差を与えておくのも周到な配慮である。この場で訥子の親五兵衛は合邦よりも合っていたし、松若の長作の近松物の敵役らしいところがある。鴈治郎の嘉平次には仕事が多いだけ楽だろうが、富十郎のおさがは椽の下の辛抱役が少し工夫したい。長作が仆れると、勾欄に掛けた布へ血潮を垂らすのは安物芝居じみていけない。さすがに後の場だけはチョボを使い、二人の落ちて行く道行まがいを花道で見せるのも要を得た。

 なお外題の角書に「嘉平次おさが」とあるのは普通女を先によぶのと逆だが、近松の場合は、「心中天網島」でも「紙屋治兵衛きいの国屋小春」であり、「冥途の飛脚」も「忠兵衛梅川」であるのと同じだ。これは脚色者の誤りではないのを言いそえておく。