勧進帳 

 

 

 

 
 『勧進帳』も、まず懸命な俳優諸君の意気ごみを買いたい。ただ気負いすぎて、富樫の雷蔵が登場するとともに喧嘩腰なのと、詰め合いになってから、弁慶の杖にせかれて押し合いするのが、四天王の力量が弱いため、腰が崩れる。ちょっとでも突けば、将棋倒しになるだろうと思われるのはいけない。

 雷蔵のセリフも、質がよく、よく勉強していて気持がいいが、番卒に本職の狂言方を使ったため、番卒がセリフをいうと富樫が食われてしまうのはまずい。夜の『双面道成寺』にも狂言方を使っているが、これは演劇の質と種類のちがいを思わせるだけで、併用するのはまちがいであろう。『東は東』のような全体の統一が狂言調で行われる場合はよいが、今日のかぶきに本職の狂言方の採用は、ゆきすぎである。かぶきの歴史の初期に狂言方が活躍しているからといって、今日では両者の技術の相異は、当時の関係には戻らないのである。

 またセリフの息のつみ方が、おそらく武智式(?)で、リアルのせいか、それはそれで立派なのだが、リズムにのるべき山伏問答で、のらない。これは先々代羽左衛門の生理的な快感を起こさせたことを思い出す。

 弁慶の「親族(もしくは真俗)を進め」息の切り方は、シン、ゾクではなかろう。最初の入りで、雷蔵がちょっと仰向いて泣く型が、はっきりしないのは、あまり力を入れすぎたためである。泣くときは力を抜き、気を変えること。こんどは貴人口から入った。また弁慶が、初演のときの弁慶縞でいったのはよしあしは別として、記録しておく必要がある。

(郡司正勝「武智鉄二のすべて」 演劇界64年2月号より)