『一ノ谷物語』に到って、この劇場の舞台構成はフルに動員されているが、それは煩雑でうるさいばかりである。これらの贅沢に整備された機構や照明を、いかに使わずに済ませるかというのが、むしろ芸術上の贅沢というものであろう。日生劇場で芸術上の成金趣味を出すのはよくない。
まず作品が貧弱だ。詩劇としての構成力と厚みがなく、ただ場面をならべてゆくだけのことで、テーマといえば、耳無し芳一を女でいって、それに『オルフェ』をはめこんだ作意がみえすぎて、幼稚な感じを出ない。一方では経文のため姿がみえなくなるのに、経文を唱っている女が殺されるなどという無神経さがある。新しがりばかりでは前衛のはき違いであろう。武智氏の持論の女形の不用も、この作品でこそ、廃止すべきであろう。
衣裳・照明・装置とも、好みがはなはだ悪い。武智氏の独自の理論によるフロイドのリビド式装置はみものであっても、この作品にとって必要あるまい。いずれにせよ、この興行すべてを武智演出というのは、自分で万能のつもりでもやはり無理があろう。
最後にプログラムの「かぶきとはどんな演劇か」の武智氏執筆のかぶき史観はぜひみる必要がある。当・不当・信・不信はあっても、とにかく独自な見解には見るべきものがある。これで武智氏の実際と理論のすべてがわかる。
(郡司正勝「武智鉄二のすべて」
演劇界64年2月号より) |