青年歌舞伎の実験

                                       辻部政太郎

 前回、関西実験劇場における青年歌舞伎の上演は、封建的因習の濃いこの世界で相当大きい波紋を投げかけた。出演した俳優諸君にとって、それは何よりも貴重な経験であったろう。この点で、武智鉄二、坂東蓑助両氏の熱心な指導は、半ば酬われたといえよう。

 第二回の今回は、すべて同じスタッフによるが、「妹背山道行」を京舞井上流の振付、近松の「俊寛」を山城以下文楽座の人々の指導、「勧進帳」を、能の片山九郎右衛門等の協力という形で、新しい構想的覘いが附加されている。

 一体、歌舞伎の実験とか再検討とかいうことが、現代演劇の前進のために、どういう積極的意義をもつかは、むつかしい問題で、議論の岐れるところだが、私は、次のような諸点が重要な課題で、それらについて模索され、探求され、一つでも手がかりがついて推し進められてゆけば立派な成功だと思う。

 一、古典としての歌舞伎が、後に歪められ行った附加的要素を取去って、創られ、かつ完成された時の最高の純粋な形で保たれ見直されること。

 (但し歌舞伎にはいろいろな時期の、傾向の異なる作品の流れが、雑多に含まれているし、それぞれ創られた時代が、最高のものとも云えない。その意味で、単なる復元ということだけなら厳密には不可能だし、賛成もできない。)

二、古典としての歌舞伎が新しい演劇に対して、主として、様式的・技術的な面等において、文化遺産としてのいかなるものを遺し得るかということ。

三、歌舞伎狂言の整理と発掘と再検討。

四、新歌舞伎といったものの今後における存続、展開の可能性の有無。(例えば、左団次や先代勘弥や六代目菊五郎らのやったような仕事が今後にも可能でプラスか否か)

五、現代の東西ともに世代の若い青年歌舞伎俳優諸君が、歌舞伎の伝統的技術を一応しっかり見につけた上での、新しい現代劇における表現力の限界の問題。(これは資質と努力と教養の問題に関連するが、最も興味が深い)

 これらの一つ一つについて今詳細に論じる余裕はないが、こうした課題をめぐって、今度の実験的上演にも、大きな興味を寄せるのである。

(関西実験劇場代表)