養子のこと「少将滋幹」のこと
市川寿海
始めに私事を申すのも何ですが、どうしたものか私ども二人の間には子宝が恵まれず、寂しい思いを続けて参りました所、こんど白井信太郎社長さんを始め皆さま方のお力に依り武内さん(九団次)の方と話が纏り、莚蔵君を養子に迎えることになりました。
こんな嬉しいことはございません。斯うして武内さんの秘蔵っ子を私どもの方へ迎えました以上、これを益々立派な俳優に育て上げますことは、もとより私共の責任でございますが、幸い本人も大いに芸道を励みたいと申して居ります。どうぞ私にも増して莚蔵改め市川雷蔵を御鞭撻御引立て下さいます様、お願い申し上げます。
さて舞台の方のことを申上げますと、今月は舟橋先生の脚色で谷崎先生の「少将滋幹の母」が出ることになり、私は時平をやって居りますが、この人物は、芝居の方でも原作と同じように才気のある貴公子で、近代的な性格を持った人になっています。
全体の中心は国経の館の、時平が北の方を連れ去る場面でして、ここは、原作では国経から貰って連れて行くまで北の方の顔を見ていませんが、芝居では、その前に北の方が舞を見せ、時平はその美しさに驚くのです。しかし計画的に最初から貰って帰る気でいることは原作と同じです。連れ帰ったあとは非常に愛するらしいですが、時平は、御簾に隠れている北の方を引出すのではなく、座に連なっているのを国経から渡されるので、無理に連れ去りますのは、花道へかかってからの仕料なのです。
芝居の全体を言いますと、この場の前後に時平館の場があり、始めの場は友達のお公卿さんたちとの噂話、後の場は菅公の霊の祟りで時平が狂乱する場面です。最後に滋幹が母の北の方に逢う所で芝居は終りますが、御覧の通り王朝時代の気分劇というより、かなり劇的な、一貫した筋で書かれていますので、芝居としても面白く見て頂けるでしょう。
衣裳や装置も忠実に考証されていて、中には東京から取寄せたものもありますが、大部分は新調のものばかりです。全部本式で、指貫の下の方を膨らませるのにも、下に下袴を穿くなど色々と心を遣ってあります。
音楽は邦楽で、洋楽は殆ど使っていません。洋楽の方が王朝時代の気分を出すのに楽か知れませんが、従来の邦楽に雅楽を加え、唄も長唄をさまざまに工夫して、洋楽以上の効果を挙げるよう努められました。三月東京の「源氏物語」では清元を使ったそうですが、この芝居では全部長唄で、ただ節付に清元風を取入れた程度です。
台詞は全部現代語で、勿論舟橋先生の脚本の通りです。現代語といっても、歌舞伎を何処かに基本にして言うところに苦心があるわけで、「源氏」の時のことも参考にして、出来るだけこなれたセリフにすることに努力しました。耳障りな感じにならなければ幸いです。
これからはこうした狂言もだんだん出ることと思はれますから、何よりも言葉の研究が大切だと思って居ります。
第一幕 藤原時平の館(右より)
中将の君 |
上村吉弥 |
右大将定国 |
実川延二郎 |
薄雪の君 |
実川延太郎 |
式部大輔 |
嵐吉三郎 |
小宰相 |
市川雷蔵 |
さくら納言 |
中村太郎 |
雷蔵は七代目それとも八代目・・・
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