「歌舞伎再検討第二回公演に際して」

 五月十二日から十日間、再び文楽座に於いて歌舞伎再検討公演を持ち得ることになった。昨年十二月の公演は、経済的には失敗だったけれども、幸いにも芸術的には大きな反響を生み得たことであった。若手俳優達の表現技術力は必ずしも高いものとは云えなかったけれど、正直の所、私が危惧していた程には低くなかったし、又彼等の熱心と勤勉とが、ある程度までその低さを補ってくれた。指導力には以前(昭和十五年)の経験から自信もあったし、又無二の協力者坂東蓑助君の一方ならぬ努力もあって、まずまず及第点位のところまで演劇を持って行くことが出来たと思っている。 

 従って、又それだけに今回の公演は大きな危険に曝されている訳でもある。何となれば前回の経験から来る馴れと安堵感とが、油断とマンネリズムとを招来する恐れなしとしないからである。これは演技者については勿論、演出家指導者の側にも言い得ることである。殊に若い俳優達には、私の目からはまだまだ不満足な成績であるにもかかわらず、盲千人の世評に甘やかされて、不当な自恃心を抱いているようにも思える節がある。

 前回の公演後、彼等は先輩の演技を批判的に見る目を開かれ、又それはまことに正しくも喜ばしい歌舞伎の自己反省でもあると思って、私は喜んでいるのである。綱太夫君のところへ、某先輩の演技はあんな事を言っているがあれでよいのですか、と尋ねに行った某青年があるとか、某青年は某俳優と共演して拙くてやっていられないと感じたとか、いろいろな彼等の動静に関する報告はその都度私のもとへもたらされ、又それら十指にあまる諸例は、ことごとく的を射ぬいたものであった。その限りでは私は嬉しい。

 然しこれが裏返えされた場合、そのような批判の眼を持ち得たことが直ちに自己の演技的優越をうぬぼれさす結果になり克ちなのである。それと私の演出に対する技術的処理への慣れの問題もあって、私は今回の公演は相当な危険に直面していると考えざるを得ない。彼等が前回優秀な成績をあげ得たのは、今までの歌舞伎の方向が間違っていたのと、従来の既成俳優達があまりに自己反省がなさすぎたのと、この二つの事実に帰せられるべきで、彼等の積極的功績と目すべきものは、まことに寥々たるものがあるにすぎなかった。若い人達のこのような危険な立場を、如何なる方式によって修正すべきか、この点に今回の出し物選定の基準が置かれねばならなかった。

 この観点に立って、結局「妹背山道行」「鬼界ケ嶋」「勧進帳」の三つが取り上げられることになった。内容的にはいずれも立派な古典として尊敬されるべきものばかりである。この点に関しては問題も疑義もない。私がこの三つを選んだのは、だから主として技術上の見地からである。つまり歌舞伎劇という一個の歴史的に決定せられた様式を運命として擔っている演劇が、その表現を如何なる手法によってなさるべきが正しいか、という点に関する芸能技術上の問題の面から再検討して行こうという試みである。そのためまず「妹背山道行」は井上八千代氏に、「鬼界ケ嶋」は山城、綱太夫、弥七の三氏に、「勧進帳」は片山九郎右衛門氏他数名のシテ方、脇方、囃子方の人々に、その協力を要請した。そうしてこの原稿執筆中の現在までに、井上八千代氏を除く全部の人々の承諾を貰っている。井上氏の協力も恐らく得られることと考えている。

 これらの協力の実現によって、若い俳優達は「妹背山」の井上流を通じては、高度に芸術化された人形振りの技術を、「鬼界ケ嶋」では近松門左衛門作品の発声技術的処理法を、「勧進帳」では未だかってなされなかった抵の能楽の諸要素の歌舞伎への摂取を、それぞれ体得しうるであろう。これはしらずしらずの間に歌舞伎劇へしのびこんだ表現上の異要素のフォルムを清算することに役立つだろう。それは主として自然主義的な写実の傾向であり、それは本来の写実主義とは殆ど全く無縁であるものであり、又それは現在歌舞伎を風靡している悪しき様式主義、様式のための様式主義と同様、本来の演劇としての歌舞伎劇とは無関係でもあり、又それにとって無価値且つ有害でもあるものなのである。

    クリック!!⇒