前回上演の二種の義太夫狂言につづいて、今回は近松門左衛門作の「平家女護島」の二段目「鬼界ケ嶋」をとりあげることになった。これは古来名人のみの演ずることになっている曲目で、義太夫の方では書下ろし以来徳川期には七回しか芝居にかかっていない。それ程大切にせられた曲なのだ。近年内容の近代性の故にかして、不幸にも味噌もくそも上演するようになってしまったが、山城少掾以外に正しい上演をなした者は、歌舞伎浄瑠璃を通じて、いない。吉右衛門の俊寛にしてからが、まるで老船頭の気狂いのようなものでしかない。法性寺の執行、清盛と地位に於いては決して劣るところのない人物、三十六歳の男盛り、妻あづまやを明け暮れ慕う男、とは絶対に見えないのばかりだ。まして大近松の描いた悲壮な人間精神などは少しもあらわされていない。このような挑戦的意図を持って採り上げた。

 それに、近松の詞の扱い方を今の歌舞伎役者は殆ど知らない。ぎこちなく鼠の糞のような言い廻しをして恬然としている。いつか「堀河波の鼓」なるものを見て、寄席でドドイツを素読みしているようなせりふにびっくりした。「油地獄」だって同断。戸部銀作君が「熊谷陣屋」のせりふがぎここちないのと批評して、「野崎村」より作が古いからだろうと推測していたが、あれは実際は役者が下手だからなのだ。その証拠が「鬼界ケ嶋」にはっきりあらわれるだろう。それほど近松の詞扱いは特殊であり、運びに注文が多い。かえって歌舞伎様式への逆転だと戸部君なんかは思うかも知れない。然し近松の詞の内在的リズムの掴み方が判っている批評家なんか、俳優でもそうだけれど、寥々たるものだろう。そのような人達に一つの解答を与えてみたい。

 戸部君の名前が出たから次手に書くが、前回の上演に際して、批評精神の退化を痛感した。知性に立って物を言っている批評は一つもなかった。感性にだって、正しい意味では、立っていないのだが、唯もうどれも自己流の感性というよりは単なる主観からだけ物を言っているのにあきれた。演劇界と幕間という東西の二大誌が、同一愛読者の蒙昧低劣を極めた投書を同時に採用するような現象が、この批評精神の無を端的に物語っていよう。

 それにもまして驚いたのは、戸部君が私の演出する芝居を見て、義理という言葉に反発を感じたという事を、何か私の演出のマイナス面をでも見出したかのように得々と述べていることであった。戸部君は義理に泣きに行くミイ作ハア作の類であったのかと、今更の如く一驚した。私の理解に従えば、義理とは封建的悪であり、それは人間精神への恒に対立物であり、人情を制約し、束縛し、人情と義理との相克発展の間に、歌舞伎作術の弁証的生成の原則があるのだが、戸部君にあっては義理は最高道徳であり、人情はそれに屈従すべきであり、演劇は義理を便利とする階級へ奉仕する。然し私にとって、戸部君が義理という言葉に反感を覚えてくれたという事は無上の愉悦であり、光栄でもある。何となればそこに私の演出の最後の狙いがあったからである。

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