先ず、幕が開くと、お約束どおりの浅黄幕です。チョボの「もとよりこの島は」の謡ガカリがあって、浅黄幕を落とすと、舞台中央に作りものの粗末な庵、それに延二郎の俊寛が両手を膝において、うづくまっています。上手は波打ち際のこころ、下手は相当広くとって、一面の巌ぐみ。紅葉した蔦かづらが二三本。下手の花道際に枯芦の置もの、といった装置です。延二郎の俊寛は右手に数珠をかけております。お能の俊寛は面に「俊寛」を使うそうですが、延二郎も蒼白な感じが、その能面の「俊寛」を思わせるようで、よく出来ていました。最初の「この島の鳥けだもの」で、舞台奥を斜めに、白い鴎のような鳥の作りものを飛ばせて、バタバタと羽音を聞かせました。いつもの演出なら、瀬尾と俊寛の立廻りに飛ばせるのを、最初にここへ使ったわけですが、舞台添景としては、やはり後半まで残しておきたかったようです。

 俊寛の一人舞台のあいだ、チョボの文句を説明するいろんな仕草が工夫されています。例えば「波のあらめや干潟の貝」で舞台端へいざり寄って海藻を拾うとか、或いは「わだちの鮒の水を乞う」で何か魚の干もののようなものを手にしたりしていました。多少煩雑ながら、芝居の手順としては、これもよく考えられている点、一応、認めたいと思います。

 なお、今度の俊寛では、その年齢を三十歳台の若さに引き下げた点が注目されます。これまでの俊寛は多く老け役として扱われていますが、これとて、別に原作上の根拠があるわけではありません。強いていえば、千鳥の「康頼さまは兄上、俊寛さまは父親と拝みたい」の一句から考えついた役者の仕勝手だと考えられます。それで、今度の演出では、俊寛を史実どおり三十六、七歳の壮年にしていますが、なるほど、これは一理屈で、俊寛をこの程度まで若返らせると、例の「東屋という女房、明け暮れ思い慕へば、夫婦の中も恋同然」および後半での「二世の契りの女房死なせ、何たのしみに我れ一人、京の月花見とうなし」などといった俊寛の述懐に実感が添うわけです。恋女房東屋の死を、この場の俊寛の心理的転換における最大の契機としている原作の意図からしても、これは十分に首肯するべき改訂です。

 ところが、次に俊寛の述懐が終って、康頼と成経の出になると、私は少々驚かされました。在来の演出で行けば、康頼も成経も花道(或いは両花道)から出ます。それを、今度は成経が前述の花道際の枯芦をかき分けて登場。そして康頼が下手奥の巌組みの頂上から、それはちょうど、やもりが壁にくっついてでもいるような恰好で、足を幾度も辷らしながら降りて来ました。いうまでもなく、これは原作の「岩の桟路を伝い下り煩う有様」の一句をリアリステックに表現しようとしたのでしょうが、その写実意識が、あまりにも生々しく、これでは正に新国劇並みの現代的演出です。もちろん、これまでの花道を使った平凡無策な出を、決して最上の演出とは申しませんが、それにしても今度のような徹底的写実演出による「ヤモリ」式康頼の出も、またいささか極端に過ぎて、むしろ滑稽に感じられました。「若手歌舞伎」の看板にかけても、かかる歌舞伎的手法の全面否定は少々困ると思うからです。

 続いて、成経の恋物語になりますが、ここも従来の演り方では殆ど省略している原文を、今度はそのまま成経にやらせています。この個所は「太ももに赤貝はさみ」式の、義太夫独自のエロティックな可笑的要素が甚だ面白いのではありますが、しかし、ただそれはどこまでも作者の客観的叙述、いい換えれば、作者の文学的遊戯であり、従って、これが現実の舞台演出においては、また、どこまでも人形を対象とした地合(誇張された歌詞)として取り扱わるべきものではないでしょうか。これを、そのまま人間の俳優が台詞(チョボとの取り合いにしても)として演っては、全体の演出的構成の上に、一つの混乱を来たさないでしょうか。この原文を生かせた意図は賛成ですが、その扱い方は是非、も一度よく考え直すべきだと思いました。

 康頼は靖十郎です。大して仕どころのない役ながら、平判官康頼というには、気品に難がありました。成経は太郎です。死人のような無表情で、如何にもオドオドとしているような印象のみ残っています。

 千鳥の呼び出しは、これも従来の型で行くと、花道端で康頼が呼ぶのですが、今度は成経自身に呼ばせました。これも当然、かくあるべき改訂で、大いに賛成です。千鳥は扇雀が病気なので、莚蔵が代役していました。代役のせいか、この千鳥、どこやら寿三郎を娘形にしたような棒立ちで、女形としての心得と修練とが丸ッきり呑み込めていず、台詞の調子にも、この役の素朴さが添っていませんでした。

  成経と千鳥の盃ごとがあって、俊寛が祝儀のひとさしを舞い、よろめいて、うつろに笑う件りは、吉右衛門型の模倣ですが、手にした松の小枝が、今度は扇でした。この扇の使用は恐らく後段における「船よりは扇をあげ」の扇の転用なのでしょう。