さて、最後の段切ですが、ここで、また私は「武智歌舞伎」に対する大きい疑点に逢着したようです。

 第一にいいたいのは、「船よりは扇をあげ」を、原文どおり康頼に扇をあげさせたことです。当然、康頼か成経にあげさせるべきが当然です。だが、これを康頼にあげさせたお蔭で、可哀想に、鯉昇の丹左衛門は全く棒立ちのままでした。恐らく、これも後世の丹左衛門役者が、自分の仕勝手で扇を康頼の手から奪ったのでしょうが、然も、奇妙なことには、原文どおり康頼に扇を持たせるよりも、丹左衛門に持たせる従来の演出のほうが、遙かに「絵」になるのです。「絵」になりさえすれば、原文からの離反を敢えて意に介せないところ、ここにも歌舞伎の「痴呆的」特質が顔をのぞかせています。ヴァレリイの文学理論ではないが、芸術は理屈や方程式では割り切れません。芸術が理屈や方程式で割り切れるなら、芸術は機械生産が出来るはずです。

 この意味でも、私は、丹左衛門に扇を持たせた従来の封建的なシテ役者意識の独断を、一概に抹殺し得ません。同時に、康頼にこれを持たせた今度の原文尊重にも、直ちに賛成いたし兼ねます。少なくとも、康頼に扇を持たせたいなら、むしろ丹左衛門を蔭へ隠すか、さもなくば、もう一と工夫、慎重な演出的配慮があるべきだと考えます。

 「互いに未来で未来で」で船が上手へ消えますと、俊寛は「見送る影も島がくれ」で正面舞台端を上手から下手へ移ります。吉右衛門はここで船のとも綱を匍いながら追っかけます。これは「平家物語」の原文を生かせた名演出の一つで、舞台に空間的な拡大感と立体感とを与えるものなのですが、もちろん、今度の武智さんの演出では採用されていません。さらに「思い切っても凡夫心」で吉右衛門は花道のつけ際へ走ると、花道の波布がジリジリ足もとへ押して来るといった段取りで演りますが、今度は下手の巌上へ駈け上り、「浜の真砂に伏しまろび」を文字どおりの思い切った写実で行って、俊寛をゴロゴロと平舞台まで転んで落とし、すぐ立ち直って両手を頭上に拡げ、西洋のお芝居でよく見かける天に向って怒号するような形をさせました。ここで俊寛にノタ打つような恰好で号泣させたのは、その心理的必然性において賛成ですが、それにしても、例えば、吉右衛門がこの「伏しまろび」で蔦かずらを肩越しに持って、大きく極るのと比べると、それは実に大変な相違です。私は、ここに至って歌舞伎芝居「平家女護島」よりも、少なくとも倉田百三の創作劇「俊寛」を連想せざるを得ませんでした。

 そして、最後に「誘うはおのが友千鳥」の前後で波布の花道へ行き、また引返して「幾重の袖や」でもとの庵へ戻り、その柱に身体を寄せるのが「濡らすらん」に嵌って、最初の幕開きの時と同じ姿勢のまま庵のうちにうずくまって幕になりました。これも、吉右衛門の「友千鳥イイイ(チリガンツン)イイイ」で巌上の松の枝を折って、右手で正面をさし招くような形で大いに糸にノル幕切れと比べると、全く演出のイキが根本的に違っているのです。

 もっとも、この段切れにおける俊寛の心理解釈としては古い吉右衛門式も、新しい武智式も大した相違はなさそうです。ただ、その表現手法と表現過程が右のようにスッカリ違ったものになっているわけなのです。吉右衛門式の誇張された様式主義に対して、武智式は散文的な写実主義というところです。それだけに、武智式は吉右衛門式のそれよりも、生々しい実感の押して来るものは強烈かも知れません。だが、それだけに「歌舞伎」としての美意識からはとかく逸脱し勝ちです。強いていえば、その押して来るものは「歌舞伎」とは別なものの迫力ではないでしょうか。ここに、私の大きい疑点があります。

 要するに今度の「平家女護島」は、結果からみて、従来の歌舞伎の情緒美、歌舞伎の絵画美、歌舞伎の音楽美(糸に乗るリズムの視覚化を含めて)に対する理論的反逆に、その多くの努力が費やされていたとも解釈出来そうです。そして、それが武智氏の所謂「社会学的リアリズム」という理念と、どうした関連にあるものか、私など、それを十分理解するだけの能力を持ち合わせておりませんが、ただ歌舞伎の演出基準のすべてを、発生的には単に「義太夫の歌詞」というに過ぎない丸本の訓詁的解釈の上にのみ求める態度に、私としての疑問があるわけなのです。

 この一幕を拝見しても、武智さんの奇才ぶりには、大いにカブトを脱ぎます。そして、今度の演出においても、また私が多く教えられるものがありました。それも大いに認めます。しかし、歌舞伎を見る根本観念において、これを「痴呆なるもの」として愛玩し愛弄しようとする私と、これを主知的なリアリズムの面から割り切ろうとしていられるらしい武智さんとの間には、所詮、相容れざる二つの世界観の対立を思わざる得ませんでした。