関西実験劇場


四ツ橋 文楽座 十二月

−若手歌舞伎の検討−

関西実験劇場公演合評会

−出 席 者−

関西演劇ペンクラブ
高安六郎、升屋治三郎、菱田正男、高谷伸、山口広一
大西重孝、井上甚之助、山本修二、沼艸雨、北岸佑吉
企画・演出者
武智鉄二
演技指導者
坂東蓑助、竹本綱太夫
本誌
関逸雄、戸部銀作

 

 関 若手歌舞伎を起用された武智さんの企画が関西実験劇場にとり上げられ、武智さんの平素の御主張の実践を見せて頂くことが出来ました。只今、初日を御覧になりました皆様に、忌憚のない御批評を伺いたいと思います。まず、どういうわけで、この若手歌舞伎が実験劇場に採り上げられたか、関西実験劇場の理事をして居られる山本先生にお伺いしたいと存じます。

 山本 ええ。実験劇場というのはもともと現代演劇を立派にするのが目的なので、それにカブキをとり上げるのはどうか、始めの目的とは少し違うじゃないかとういう点に問題はあったのですが、よく考えてみると、今行われているカブキは、明治以後に夾雑物が入って、忠君愛国になって来ている。それでその夾雑物をなくしてしまったら、つまり途中の混ざりものを掃除して、元の本文に返して演出してみたらどうだろう、そこには案外我々の意識しない近代的な立派な発見があるのではないか、そう考えたからです。それに、歌舞伎や義太夫と同じく近代劇にも通じていられる武智氏の教養に敬意を払ってその仕事に信頼したわけです。

 升屋 私が補足するまでもなく、山本先生のお話で実験劇場としてのねらいは尽きています。実験劇場はカブキの畑からも近代劇の緒口が引き出せるのではないかというのです。カブキは近来、堂々廻りばかりしていて進歩がありませんが、カブキそのものの魅力が失われたのではなく、演出、企画に魅力が欠けているのです。今のカブキ人を建て直すことは不可能ですが、一時代飛んだ若手のクラスを養成して、新時代のカブキ精神を吹き込む、それも若手歌舞伎をとり上げた理由なのです。この点では、こちらのほうが東京の実験劇場より先鞭をつけたわけです。

 山本 こんどの試みで一番大きいところは、松竹以外の人が松竹の役者をプロデュースしたこと、それに脚本を信頼出来るものにしたことです。

 山口 松竹なんかの様に、カブキを商品としてしか扱っていないのとは違って、それとは別個のものとしてカブキを持ち出していることに、意義を感じています。カブキの役者を商品価値から離してみたこことで、山本先生のご意見が成り立つと思います。

  週刊朝日の対談をみますと、東京の大谷氏も同様のことを考えているようですね。若手ばかりでなく古い役者たちも大いに教育する必要がある。吉三郎なんかも息子にかなわんといっています。

  武智さんはどの程度までご自分で演出をなさったのですか。

 武智 全部です。はじめ私が演出、蓑助君が演技指導ということにしていたのだけど、実際は途中でその役割が逆になった位で、共同演出というべきですね。

  それは、見た人にはわかるだろう。

 大西 実際、武智君はチョボの指導までしていたからな。

  僕は稽古を見せて貰ってそう思ったのですけれど、ああして武智君が演出してくれるなら、僕たちだって芝居できますよ。ここまで微に入り細に入った演出者なんてあるもんじゃない。

 山口 他にも俳優はあるのにどうして子供を使ったのですか、それが訊きたい。

 武智 今度の芝居の実験的な性格から云って、普通の遣り方になじんでいない俳優が欲しかったのです。これ迄の稽古でも、修業の中途の者には困りました。例えば、ここで息をついて、といってもなかなか聞かないのです。大供は見込みがない。我當、富十郎でやれといわれても断りますよ。鶴之助ならまだ常識的な息の継ぎ方に凝り固まっていないのでこちらの註文を素直に理解し受け入れてくれるからです。

 升屋 今後のカブキはこれを第一歩として新しく生れるという形をとってほしいのもですね、

 山口 いや、その結論へ行くのは早すぎます。問題はまだあるのです。

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