武智 私の註文に近い所まで来ているのは扇雀で、私の思うところがほぼ出ています。扇雀は今までセリフの云い方も知らなかったから、こちらの思う通り教えることが出来ました。

  ここまで仕上げられた武智さんも大変だったでしょう。これは武智カブキと呼んでいいと思いますが、その武智カブキは、観客の側からいって面白いかどうか、高安先生、ご意見は如何でしょう。

 高安 さあ、どんなか判らんが、今までのような型に捉われて、硬化というか、千遍一律なものに固まるべきでない。既成の人はそうは行かんが、こんどのように、フレッシュな人、つまり新人が自分の考えでやってみると面白い実験になると思う。勿論これも結局は、将来行き詰るだろうが、しかし、それはそれとして、今度のように、今の若手が自分の考えでやって行くなら、そこに、今の時代の考え、今の時代の思想が出て来る、それが面白いですね。

 北岸 武智君は「歌舞伎の再吟味」とかいろんな論文を発表して来られたが、こんどはその実践というわけです。で、その方法について・・・。 

 武智 復元の方法はリアリズムの考えによりました。私はリアリズムでカブキを建て直ししなければならぬといって来たのですが、こんどやってみて、その必要が一層よく判りました。今までは、全くその時代を知っていません。芝居に出て来る役々の身分やその背景の社会制度がどういうことになっていたか、それを今の人は知らない。ところが、明治以前の封建時代に生きていた役者ならば、私のいうリアリズムというようなそんな考えからではなく、体験的とでもいうか、とにかく身につけていたいわば本能的にそれを知っていた。それが、時の隔たりが出来るに従って薄れて来、そして、大正以後になってカブキがつまらなくなってしまった。カブキは様式美だといわれるのは、こうした時代の体験も知識もなくなったからです。つまり歌舞伎に出てくる時代のリアリズムがなくなったからです。だから歌舞伎をほんとうのものにするには、夫々の時代を知ること、そこから出発しなければならんと思ったのです。

 山本 確かに。それは大変なことですね。武智君のいわれるリアリズムと私の考えとは少し違うが、そのリアリズムというのは、近頃外国でも例えばシェークスピア劇を演出するにはエリザベス朝のシェークスピア劇のやり方をせねばならぬ、といわれている、そういう最近の傾向とピッタリ合っているわけですね。

 蓑助 久作のセリフに、「悪使いされては世間は立たぬ」というのがありますが、それはただ世間体が悪いということではなく、旦那寺や請負い人からも絶縁され、旅行する場合の切手も貰えなくなる、つまり生活が出来ぬことになるわけです。だから、それを知っていないと本当のセリフがいえません。ところが案外こういうことを知っている人が少ないので・・・こんなことも若い人だと私から教えられますが、同輩には教えにくいので・・・。

 武智 僕の復元の精神はそこにあるんだ。団菊左までは常識的にみんな知っていたのです。そしてそんな常識的なことは、作者も殊更脚本で説明していない、それを今の役者は知らずにやっている。見物も知らないが、役者がその時代の生活を身につけてやれば、見物にも訴えるものが出来て来ると思います。

 蓑助 「フィガロの結婚」を見て若い人でもよく判ったといっていますが、これは演っている人が、判って演っていたからです。

 山本 そうだ、それを発見しただけでも大きいことだ。

 高谷 丸本復帰が根本とされていると、例の首振り、つまり義太夫に合してセリフを言わずにやる芝居、あれになりはしないかと心配していましたが、それにならなかったのは結構でした。丸本は人形のためのもので、カブキが人形と異なる根本の差は対話性にあると思います。独演的性格の義太夫と対話的性格の歌舞伎、その間の差を如何にするか問題がある。それに詞と地合の関係でも、一人で語るとうまくスーッと行くが、それをそのまま詞として渡すと、何か引っかかるものがある。今度の芝居では丸本通りに「満足や」といっているが、あそこなぞ歌舞伎としてはいつもの様に「満足満足」と次第に大きく張って云う方がずっと耳触りがよい。それに幕あきの仕出しがサラサラと語るのを、カブキではそうはいかんと思いました。で、結局丸本絶対服従でなく丸本を基礎とした歌舞伎、それが本道なんじゃないですか。(丸本:浄瑠璃本の種類の一つ。全篇を一冊にまとめた版本。丸本歌舞伎:義太夫の操る浄瑠璃芝居を歌舞伎化したもの。)

 武智 丸本を検討していて、一字一句でも動かすのが恐くなりました。たった一字でもいじったら、全体がこわれるかも知れないのです。「聞いて真実びっくりし」の後に、従来のカブキでは「まことに藤ノ御方」という詞が入っていますが、そのために原作の意味がこわれている。一見何でもないようなこと、例えば、何々が、何々は、の助詞一つで意味がまるで変って来る。それと同じ間違いを自分もおかしてはいないかと心配になりました。

 山口 丸本への復元といわれますが、その意味は?

 武智 丸本より他に信頼すべきものがないからです。義太夫には風があって、そのお蔭で書き下ろし当時のものが伝わっているのですから。

 関 皆さんで武智歌舞伎のご感想は如何でしょう。そのほうのご批評を一つ。

    クリック!!⇒