沼 熊谷が「不届き至極の女め」と叱るとき相模がモジモジしますね。戦争未亡人といったような色気を感じた。今まで感じなかった人間的なものが出ていたと思います。

 武智 様式の統一でそれが出たのでしょう。

 大西 武智君の書く評論は難しく親しまれにくいけれども、その理論を具体化したのが今度の舞台で、これを見てその理論が通っているのを成る程と思いました。

 菱田 そうなんです。武智という人は筆の上では随分ひどいことを書く人だが、こんどの稽古ぶりを見て、それだけのことをいう素養はもっている人だということをはじめて知ってみんな感心していましたよ。

 北岸 いや実際、武智君はただ無茶苦茶に荒し廻る人のような印象を与えているので、どんなひどいことになるのかと心配していた連中も、これを見たら安心するでしょう。

  どうして陣屋と野崎村を選ばれたのですか。

 武智 それは、この二つが私の理論のうちでも一番常識的で普通の演出とそう極端に違わないからです。

 升屋 私は歌舞伎の見方を教えたものだと思う。今度の実験で歌舞伎を今日の時代に生かす方法があったことを教えられました。これまでにも歌舞伎に現代味を盛る試みがあることはあったが、それが成功しなかったのは方法を間違えていたからだと思いました。例えば前進座のように。それから、この時代に歌舞伎を生かせるためには、原作に帰るより他に方法がないというのには全く同感です。

 武智 手前味噌になりますが、熊谷は封建的で、忠義を仕終わせて後で何も残らなかった男です。だから、それが出ていなければいけないと思う。ところが今日の舞台でもそれが思う通り出ていない。実は鶴之助にやかましく云ったのですけれど、幾ら教えても駄目だったのです。「武蔵坊の制札」のところと「それ武士の功名」という所が、こちらのいう通りに形の上に出なかったのです。

  それでも、大抵の人の熊谷よりはよかった。ポイントのあることが判りました。

 武智 いま言った段切れの制札のところ、本文では「武蔵坊の制札も花を惜しめど。花よりも・・・」となっており、これはセリフで言うのですが、ここは義経が特別の愛情を寄せている小次郎のことを思って述懐しているのではなくてはならない。つまり小次郎は義経の同性愛の対象になっていたわけなので、それは丸本の始めの方をよく見ればその関係がよくわかる筈です。だからこの所も普通芝居では「制札は」と言っていますが、実際はそうではなく、丸本通り「制札も」でなくてはいけません。さっき私が言った、原作は変えられないという意味もこれで判って貰えるでしょう。

 北岸 戸部君、今度の芝居、東京ではどう思っていますか。

 戸部 東京では、大ぶん、丸本を直してやるのだろうとの想像で、興味と反感を持っていましたが、これを報告したら反感は消えるでしょう。

 北岸 東京の連中は実状を知らなかったり、見ないで反感を持つことが多くて困りますね。畑は違うが、新様式能でも、東京で勝手に想像して悪くいわれた。戸部君、正しく報告しといて下さいよ。

 戸部 ええ、こんどは歌舞伎の初演に返したのではなかったのですね。

 武智 丸本に返したのです。歌舞伎に移されてから、幕末、明治になって加えられたものを除いたのです。

 菱田 弥陀六が「何にもない」と鎧櫃を押えるところ、あれで敦盛が入っているのがわかりますよね。あの蓋の上げ下ろしも考えてやらないと敦盛の頭を叩くことになりますね。今度のように一旦閉めた蓋が自動的にむっくりと開き戻る、それをまたジーッと押える、そこが実にいい。大変感心しました。

 武智 そこが演出者の苦心なので、ただ原作に戻しても、これだけでは筋は判りませんよ。

 高安 今日は直感臭いのは少なかった。我々が若い頃東京で見ていたのに近いと思った。九代目門下のやっていたのに似ている。大阪の普通の行き方のよりしっかりしている。尤も、一般の脂っこい人が見てこのやり方を面白がるかどうかは疑問だが、それは演者が若いので已むを得ぬことだ。何うしても語尾なんかが抜けてしまう。しかし、これで固め上げて行くと立派なものになるだろう。

 武智 「相模は障子押し開き」から軍次の送りまで四十二分かかる計算だったのが、今日は三十六分でしたチョボで三分、鶴之助で三分待てなかったのです。

 高安 チョボの稽古は?

 武智 四日間しました。

 大西 学生演劇の人などはどう見たでしょう?

 山本 長年歌舞伎を見ている者には歌舞伎のリズムが乱れるからあまり役に立たぬが、本当に知らない人がどうだったか知りたいですね。

    クリック!!⇒