武智さんはリアリズムを主張され、また丸本通りといわれますが、演出の場合この二つの間に矛盾が起きはしないでしょうか。例えばご承知の「聞いて直実恟りし」の所など、義太夫の地合としてはかなりゆっくりして間があるのに、リアリズムの理論から云えば熊谷はすぐ驚かねばならない。この二つを何ういうように調和させるか、そこに問題があると思いますが・・・。

 武智 私は、一秒の出来事を一分間にのばして演じ、それを一秒に感じさせるべきものだと思うんです。併しそれは難しいことで、先輩の俳優にだって出来ない。延二郎や鶴之助だから出来なかったのではありません。吉右衛門にやらせたって出来ない。山城少掾のほかに今日出来る人はいないんです。しかし、それをやる方法はあると思います。現に団菊以後でも万三郎、山城、菊五郎、栄三など、そういう出来た人を知っているのですから、全然出来ぬことはない。

 戸部 普段より目障りなところも感じたのですが、それは意図の破綻だったわけですね。

 高安 俳優に理解出来たらよくなる。

  綱太夫さんの意見はどうですか。

 綱太夫 武智さんのお考えと私の理解とは違うところもありますので申しにくいですが、私どもの常識として、一段のものを四分語れたら、あとの六分は捨ててもよいといわれたいます。今日の陣屋も野崎も二時間かかっていますが、それでいて長いとは少しも思いませんでした。あれを見て実際涙がこぼれました。しかし、熱心のあまり盛り過ぎで、克明過ぎた感じでした。腹一杯ご馳走を頂いたあとで、もう一度料理が出たような感じです。それは演技の捨て所がわからんのじゃないかと思いました。歌舞伎としての長所も認められますが、無駄なところもなさ過ぎたのではないでしょうか。

 蓑助 制札を桜の所から抜くとき懐紙で根元を拭うなどは、よけいなことですね。

  誰が巧かったか、個人評を願います。

 山本 扇雀があれだけ武智君の注文通り出来たというのは、武智君も満足だろう。

 武智 演出者として、藤ノ方もお染も九十点やれます。

 蓑助 あれだけの藤ノ方は大正以後にありませんよ。

 山本 藤ノ方という役があんないい役だとは、はじめて知りました。

 北岸 お染が門口にいる間の動きは、家の中の芝居に邪魔にもならず、実によかった。梅の枝に肩がふれて梅が揺れるなんか、なかなか風情があった。

 武智 あれはいつものより五倍も長くしました。

 北岸 お染が腹帯を出して見せるのは、武智好みですね。

 高安 もう少し色気がほしかったが、今日は一寸あがっていたようだ、少し固くなり過ぎた。それに莚蔵の障子の敦盛の影もよかった。少し大き過ぎましたが。

 菱田 あの障子の影はよろしい。あこまで見せてくれれば敦盛の無事が見物にわかったと思います。影だけに莚蔵は敦盛の扮装をちゃんとしているのです。

 戸部 扇雀が一番清新で点が入りますね。

 北岸 僕は太郎の相模もそれに劣らぬと思うけど。

 高安 そうだ、僕もあれは買う。

 井上 二人の間のところがよかった。

 山本 そうです。相模は熊谷と二人きりのあいだが非常に結構でした。が藤ノ方との件や、首を抱えてのクドキになるとみなさんのように、私は買いません。

 沼 クドキのところは能でいえば面が生きてなかったからでしょう。

 武智 小次郎の首を見て泣く、その涙をかくすのだと教えているのですが、なかなか巧く行きません。

  サワリの所は三味線の浮いた調子にのせられて踊ってはいけないとよくいわれますが、今度太郎が首桶を持ったまま殆ど動かず、而も小次郎に対する母親の愛情が出ていたのを見て成程と思いました。若い太郎がよくやったと思いますし、又あれを技術のある宗十郎がやったらもっと感動しただろうと思いました。

 武智 稽古のとき太郎は、一番早く役に入れた人なのですが、ちょいちょい元の癖が出て困りました。

  そう云えば延二郎にもそんなところがあったようですね。

  それでは扇雀が第一位で、それにつぐものは太郎というわけですか。

 山本 (手を挙げて)いや、私は延二郎の義経を挙げます。

 大西 同感です。延二郎はいつも従来の歌舞伎の行き方として、颯爽とした大将を見せることばかりを考えているようですが、今度は本行の通りドッシリとして大きいうちに深い情味がありました。

 北岸 延二郎の義経なら、あのまま歌舞伎座へ出しても通用するでしょう。お光は後の方でよくなった。

 菱田 鶴之助の熊谷は誰しもあの配役を意外としたのですが、あの抜擢は決して失敗ではなかったと思います。無論教える方も大変でしたでしょうが、本人の一生懸命は充分買ってやりたいですね。

 北岸 マスクも相当立派だったし、もう一つ恰幅が足りないので、よけい人形みたいな印象を残したけれども、一生懸命という努力は一番よく伺われました。

  靖十郎の久作は、これも努力を買うが、やはり吉右衛門の悪い真似が見える。鯉昇の弥陀六は、やはり少し無理な点もあるが、久三の小助は適役だった。

 田 鯉昇の弥陀六はもっと勉強せねばいけません。あの若さでは無理ですが義経と向い合った後ろ姿に老けが出ません。それに靖十郎の久作はつくし会の試演会の時によかったので安心していましたが、こんどはよく演っていますが、もう一息でした。

 大西 莚蔵の久松は稽古の時にはフラフラとしてわるいので案じていましたが、実際の舞台では意外に味が出たので結構でした。尤もお染の死を覚悟した「成程思い切りましょう」を受けての詞が、扇雀ほどの気魄がありませんでしたが−。

 高安 莚蔵の久松は色気は割にあったが、これも固過ぎる。

  これまで二枚目といえばデレデレしたものでしたが、僕等の年輩のものはみんな莚蔵の清潔な久松を見て大変喜んでいました。いや味のない清潔な二枚目がこれからは喜ばれるのではないでしょうか。

 北岸 しかし、お染と抱擁するところは形が悪かったですね。

 蓑助 久松の足がお染の袂にかくれるように形をつけておいたのに、莚蔵が坐りそこねたからです。

 井上 夫々に難はあっても、とにかく皆んな実力以上の芝居をしていますよ。

  今度の実験劇場が、若い俳優たちに大変な勉強になったことは間違いないと思います。他にもまだお伺いしたいことは多いのですが、時間も大分経ちましたから先ずこれ位で。どうも皆さんありがとうございました。

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