『道行恋苧環 (みちゆきこいのおだまき)

◆解説

 「妹背山婦人庭訓(いもせやまおんなていきん)は人形浄瑠璃及び歌舞伎の演目。1771(明和8)年1月28日、竹本座初演。近松半二・松田ばく・栄善平・近松東南・三好松洛の合作。全五段。近松半二の畢生の大作で、つぶれかけていた竹本座がこの作品のヒットで息を吹き返したという伝説を持つ。 歌舞伎の初演も1771(明和8)年、大阪小川座。

 大化の改新前後を舞台としており、今日上演されるのは「山(吉野川)」「道行」「三笠山御殿」が多い。尚、妹背とは夫婦のこと。婦女庭訓とは江戸時代、女子の手本となるような教訓などを記した書物のこと。四段目の赤い糸をたどって恋人のあとを追うくだりは、三輪山伝説から来ている。

◆あらすじ

 大和国。布留神社の燈明が松林の間からチラホラと漏れる。宵闇に包まれた道を蘇我入鹿の妹橘姫を追って烏帽子職人求女に身をやつした藤原鎌足嫡男淡海が現れる。二人は互いの正体をまだ明かせない。蘇我入鹿は帝の座を奪おうとする反逆者であり、その妹と知れば男は離れて行くと思い悩む橘姫。一方、帝を守って入鹿討伐に奔走する淡海はその入鹿に賞金付で追われる身となっており、やはり素性は明かせない。敵同士とも知らず恋に落ちる二人。

 そこへ求女に恋焦がれる三輪の里の杉酒屋の娘お三輪が割って入る。お三輪は隣に越してきた求女に一目惚れし、無理やり夫婦の約束を取り付けるほどに積極的である。お三輪は寺子屋の師匠から、殿御の心が変わらぬよう星に祈るには紅白の苧環に針をつけて祭るのだと教えてもらった。しかしお三輪は白は男・赤は女という定めに逆らい、いつまでも変わらぬ印にと赤の苧環を求女に渡し、自分は白の苧環を持っていた。しかし求女は橘姫を追って家を出、お三輪は更にその後を追ってきたのだった。

 求女の心を察するゆとりのないお三輪は、主ある人に大胆なと橘姫に食って掛かる。姫も恋はし勝ちと求女を挟んで壮烈な恋争いを繰り広げる。その間に求女は姫の振袖に赤い糸をつけ、それを頼りに姫の後を追う。お三輪も求女の裾に白い糸を括りつけるが、その糸は間もなく切れてしまい、お三輪は二人が消えたと思われる方を目ざして慕い行く。

◆縁の地

 三輪明神大神神社(みわみょうじんおおみわじんじゃ 通称三輪神社)は、三輪山自体がご神体で、神社には本殿は無く、拝殿奥の三ツ鳥居(みつとりい)という独特の形をした鳥居を通してお山(三輪山)を拝むようになっている。

三輪山と大鳥居

 お山は、江戸時代まで“お留山(おとめやま)”とされ一般の人は一切入山できなかった。現在でも登拝するのは敬虔にお参りする人にのみ限られ、許可を必要とするほか、さまざまな制限がある。

三輪山伝説とは?

 崇神天皇のころ活玉依毘売(いくたまよりびめ)という美しい娘のもとに毎夜通ってくる男があった。男はたいそう立派で名もある人と見受けられるが、いつも夜になってから娘のところにやってきて夜が明ける前に帰ってしまうので、明るいところでその正体を見たことがない。心配した親が娘に、「その人がお帰りのとき、麻糸を通した針をその衣に刺しておきなさい。その糸を伝っていけばお住まいがわかるでしょう」と入れ知恵し、娘がそのとおりにしてみると、糸は長く長く伸びて手元には三勾(みわ。=三巻き)しか残らなかった。その糸を辿っていくと三輪の神社についたので、男が三輪の神様である大物主神(おおものぬしのかみ)であることが知れた。
 というもので、娘が人間ではないものと契る神婚伝説の典型とされ、三輪という地名もまた、“三勾”から起こったとされている。