昭和二十四年
若手歌舞伎
十二月の文楽座は関西実験劇場第六回公演、武智鉄二と蓑助との共同演出で、延二郎、鶴之助、扇雀およびつくし会の連中で、まったくの若手が「熊谷陣屋」と「野崎村」の大役を演じる。まず、その企画だけでも賛成だ。
【一の谷嫩軍記】 熊谷陣屋の場
熊谷次郎直実を鶴之助に配したのはけだし卓見だった。その器用さで、この難役を一応大過なくやり遂げた。ただ、声に少々無理のあったのは馴れないこととておいおいよくなるだろう。ことに物語が鮮やかだったのは、踊りの振りが軽いためとも言える。扇雀の経盛の御台藤の方に気品のあったのがよく、太郎の熊谷の妻相模は成太郎そっくりで、泣き方に不自然さがあったが、柄と言い、芸と言い、一流に伍している。鯉昇の石屋白毫の弥陀六実は弥平兵衛宗清は、十八歳の少年に、この老役の無理なことはわかっているが、その力演で前半など、一応見せたのはえらい。靖十郎の梶原平次景高も適役であった。紫香の堤軍次に元気なく、延二郎の九郎判官義経もまあまあというところ。とにかく一字一画もゆるがせにしない二時間半に近い長丁場を持ち堪えたのは偉とすべきだ。
【お染久松
新版歌祭文】 野崎村の場
扇雀の娘お染が適役、古風な美しさを、ごく楽に出していた。莚蔵の丁稚久松も古風なインリュウジョンはよく出していたが、台詞がすべて女形のそれになってしまっていた。延二郎の娘お光はさすがによく、はじめの田舎娘の感情と、舟出の場での黙然としての愁嘆は印象的であった。太郎の門付の祭文売りの器用な弾き語りがものになっていたし、延之丞の久作女房の婆役も板についていた。紫香の船頭も少し表情が乏しいが、よく動いた。とくに鶴之助の油屋後家お勝に凛然さがあったのは拾い物の感じだ。ただ鯉昇の久三の小助が器用ながら少々騒々しいのと、靖十郎の百姓久作が、はじめよく蓑助を学んで、破綻がなかったのが、途中からすっかり崩れてしまった。
とにかくこの二つの芝居、若手の熱演ということを別にしても、かなりな好演は、この連中の成長にこそ関西歌舞伎の将来を約束させるものがあって楽しい。(十二月九日、三日目昼の観劇)
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