昭和二十六年
一月〜七月は日記に短評を記したとあるが、その日記は残っていない。番付は、左記のものがある。
六月 東西合同大歌舞伎 六月興行 【歌舞伎座】
▼寿海・寿三郎・仁左衛門・蓑助・訥子・富十郎の一座。時蔵の戸無瀬、弁慶上使の針妙のおわさの好演と、「少将滋幹の母」の子方の役の彦人の可憐な姿が印象に残る。この興行で、莚蔵が寿海の養子となり八代目雷蔵を襲名する。
狂言立はうまいが
九月の歌舞伎座の第一部は、狂言立は実にうまい。先ず大阪の芝居として「いろは新助」を、続いて丸本物の「伊賀越え」を、さらに呼び物の「鳥辺山」、最後に所作事三つで打ち上げる。まさに常道である。
【水や空や】
又一郎の松行灯売り扇蔵・又一郎久々の出演だが、これもたいしたものではない。これも作品がよくないのだ。延二郎の藤棚飛脚藤吉の踊りが、雛助の「夕ぎり」のおさわ、延太郎の「静御前」のおかく、雷蔵の「梅王丸」の富吉の中で、ひときわ目立っていたのはさすがである。(九月十四日、観劇)