昭和二十七年
東西合同大歌舞伎 −大阪における東京の芝居−
初春の歌舞伎座は依然として双寿の奮闘劇。東西合同は三升が入ったためというよりも、大阪における東京の芝居といった風の趣きである。 【菅原伝授手習鑑】 芹生の里寺子屋の場 寿海の舎人松王丸、寿三郎の武部源蔵という従来と役を取り替えての「寺子屋」は、寿三郎の源蔵がよかった。寿海の松王もさすがに大きく、貫禄はあるが、義太夫の味の乏しいのは致し方のないところ。鴈治郎の松王丸女房千代の型の決まりが美しく、璃珏の下男三助が実にうまい。吉三郎の春藤玄蕃も柄に合わないのによくこなし、よく決っていたし、雷蔵の涎くり与太郎も愛嬌を臭みなく振りまいていた。 【連獅子】 楳茂都陸平の振付による新しい踊りは、あっけなかった。もともとたいした筋もない古典舞踊を合理的に解釈しようとしたところに、まったく古典舞踊独特の味を逃してしまっていた。親獅子蓑助、母獅子延二郎、子獅子扇雀の三人による獅子ということが普段と変わっているが、やはり蓑助・延二郎の親獅子・子獅子で、普通の連獅子を踊るべきで、扇雀は、雷蔵とでも、間を演らすべきだった。三人並んで獅子頭を振っているのを見ていると、扇雀の腰の座らないのがはっきりと見せつけられるからだ。
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