昭和二十七

東西合同大歌舞伎 −大阪における東京の芝居− 

 初春の歌舞伎座は依然として双寿の奮闘劇。東西合同は三升が入ったためというよりも、大阪における東京の芝居といった風の趣きである。

【菅原伝授手習鑑】 芹生の里寺子屋の場

 寿海の舎人松王丸、寿三郎の武部源蔵という従来と役を取り替えての「寺子屋」は、寿三郎の源蔵がよかった。寿海の松王もさすがに大きく、貫禄はあるが、義太夫の味の乏しいのは致し方のないところ。鴈治郎の松王丸女房千代の型の決まりが美しく、璃珏の下男三助が実にうまい。吉三郎の春藤玄蕃も柄に合わないのによくこなし、よく決っていたし、雷蔵の涎くり与太郎も愛嬌を臭みなく振りまいていた。

【連獅子】

 楳茂都陸平の振付による新しい踊りは、あっけなかった。もともとたいした筋もない古典舞踊を合理的に解釈しようとしたところに、まったく古典舞踊独特の味を逃してしまっていた。親獅子蓑助、母獅子延二郎、子獅子扇雀の三人による獅子ということが普段と変わっているが、やはり蓑助・延二郎の親獅子・子獅子で、普通の連獅子を踊るべきで、扇雀は、雷蔵とでも、間を演らすべきだった。三人並んで獅子頭を振っているのを見ていると、扇雀の腰の座らないのがはっきりと見せつけられるからだ。

 月、当る辰歳初春興行東西合同大歌舞伎 元旦初日、十三日より入れ替え。第一部「乱菊物語」三幕八場 「菅原伝授手習鑑」寺子屋場 「恋飛脚大和往来」封印切の場 第二部 「一の谷嫩軍記」組打の場 「天野屋利兵衛」三場 「助六由縁江戸桜」三浦屋格子先の場 「連獅子」

左団次の追善

 二月の南座は、市川左団次十三回追善興行。寿海・寿三郎を終身に、左団次の当り役を並べたこの月の南座に、寿三郎の休場は大きな痛手だが、その代役の人々にかえって明日への希望を抱く興味があった。

当代の番町皿屋敷

【番町皿屋敷】 赤坂溜池山王下の場、青山播磨屋敷の場

 寿海の青山播磨、富十郎の腰元お菊、訥子の放駒四郎兵衛での「番皿」は、当代での役々だろう。一応洗練されていてそつがなく、雷蔵(莚蔵改め)の腰元お仙がよく、最近の進境は武智歌舞伎の面々よりもすぐれていることは、一つの問題を投げかける。

 ニ月、市川左団次十三回追善興行 東西大歌舞伎 二月一日初日、十一日より入れ。第一部「伽羅先代萩」足利家御殿より床下まで 「元禄忠臣蔵」ニ幕 「大杯觴酒戦強者」ニ幕 「伊勢音頭恋寝刃太々講」福岡孫太夫邸 第二部「増補忠臣蔵」加古川本蔵下屋敷の場 「番町皿屋敷」ニ幕 「今様薩摩歌」