大阪・新歌舞伎座8月公演

六年ぶりの雷蔵

                                               北岸 佑吉

 映画へ移ってしまった市川雷蔵が六年ぶりに芝居に出た。むろん歌舞伎への復帰でなく、映画スターとして、これが最初で最後の実演だという。彼も元は武智歌舞伎の優等生だった。「野崎村」の久松や「恋の苧環」の求女に二枚目として素質を見せながら、扇雀・鶴之助という秀才に押されて控え目に過していた。けれども、そもそも武智歌舞伎というものは、彼が莚蔵時代に北上弥太郎の嵐鯉昇以下、門閥外の若手と発奮してはじめた“つくし会”がなければ実現しなかっただろう。

 しかし、つくし会は武智歌舞伎に吸収されてしまったのではなく、武智歌舞伎が終ってからも時たま試演会を持ち、雷蔵は映画へ移ってからも、つくし会へ「保名」を踊りに出かけたことがある。先に関西歌舞伎を去って映画に出ていた鶴之助や扇雀が外で問題を起こしていたとき「私なんかはああは出来ない。歌舞伎に残ります」といっていたかと思うと、間もなくスクリーンの人になってしまっていたのだ。

 歌舞伎にいたときに示した素質をそのまま映画でもひらめかして今日の成功を見たのだが、もし雷蔵があのまま歌舞伎に留まっていたら、果たして大成したろうか。少なくとも今日の延二郎の対抗馬たり得たろうか。その解答をこんどの新歌舞伎座で求めることは可哀そうだが、或る程度の推測はつけることができよう。

 それにしても、こんどの座組みは、これまでのタレント芝居のどれよりも充実していた。父寿海の特別出演をまたずとも、淡島千景の参加を得ずとも整っているのだ。関西歌舞伎での元の仲間や、新派から大勢加入していたからだ。逆に、幹部抜きの新派へ雷蔵が加入したみたいな形なので、十分に雷蔵を立てるだけの余裕をもって、この連中が芝居をして行くからである。この春の三波春夫の折も同じやり方だったが、こんどは一層徹底していただけに、危なげなく芝居が楽しめた。

 演目の第一は山崎豊子原作「ぼんち」を辻久一の脚色・演出による四幕。雷蔵がとったばかりの映画も原作も見ていないので比較はできないが、雷蔵の素直な明るさを巧く生かした作品で、周囲の安定した好演の上に、彼を気持よく活躍させている。いかにも、よいとこのボンらしいひ弱さのうちに、浪速商人のガメツさを感じさせる。もっとも、あのような封建制の徹底した母系家族はせいぜい大正までは普遍的だったろうが、その物語を昭和期においた年代のズレが気になった。あの年代なら、とっくに大阪市立の商大になっていたはずを、高商としているのから考えて、後に空襲を結びつけるために、原作者が意識的に年代を近寄せたのかも知れない。

 雷蔵の喜久治はまさに昭和のぼんちであった。安部揚子の妻弘子が家風にあわぬと去らされるのを何の抵抗もなく黙々と出て行く、けれどもこれも現代女性であった。内容の旧さをそのままに出したのは英太郎の祖母きので、お家さんの権威と頑迷さと愛嬌とを巧みに出し、それでいて低俗な喜劇の老姿には堕ちなかった。(余談ながら英こそ大阪高商出だ。)他の人物は寿美蔵の父喜兵衛は番頭から養子になった実直な人物らしかったし、その妻で家付娘、喜久治の母の中村芳子、井伊友三郎の大番頭、山口正夫の中番頭以下、新派の連中で固めたことで、大阪の旧い商家らしい雰囲気をよく出した。濱田右二郎の装置も周到で、大いに効果をあげていた。