つくし会の人たち

 関西歌舞伎の若い人たちで、こんど“つくし会”という研究団体をつくった。顔ぶれは嵐吉三郎の伜鯉昇(北上弥太郎、八世嵐吉三郎1932〜87)、中村成太郎の伜太郎(1928〜89)、市川九団次の伜莚蔵、中村霞仙の伜紫香の四人が中心で、市川小金吾、中村昭二郎や、大部屋の若い者どもがこれに参加して、次代の歌舞伎界に活躍すべく、大いに勉強しようという。これはまことに結構なことだし、そうなればならないところなのだが、いままでいろんな俳優によって、いろんな会が作られたが、どれもが一向に永続きしないで立ち消えになっている。踏明座、五色座、春秋座、古典座等々随分あったようだ。永続きしないところには、それぞれの理由があったのではあろうけれど、折角気負い込んで結成して、それがしばらくのうちに有耶無耶になるのは惜しいと思う。

 つくし会の連中が、結成に際して、僕を訪ねて、自分達の熱意に応えて、援けてほしいと言って来た時、僕はその意気を買い、将来を激励したが、永続性については極力説いておいた。みんな先輩達の結成即消滅の幾多の例を知っているらしく、その点大いに共鳴し“必ず永くやってお目にかけます”と力んでいたので、安心はしたものの、果してどうか、一抹の不安は持たぬでもない。然しこれは僕のみの不安であって、みんなの意気込み通り永続するものだと信じている。

 そして五月二十二日の大阪歌舞伎座前千鳥屋の二階の結成披露を兼ねた第一回歌舞伎脚本朗読会に出席した時、出演の会員の出来もわるくなかったのもうれしかったが、寿海、我當、蓑助、菊次郎、雛助らの先輩たち、延二郎、鶴之助などの友だち、吉三郎、成太郎、九団次、霞仙らの親たち等の関西歌舞伎俳優の聴き手に交じって、新生新派の花柳章太郎らの顔も見え、関西演劇ペンクラブの武智、沼、北岸、高谷、関の諸氏まで熱心に聴いていたのには実際驚いた。しかも当日は朝八時半からはじまったのだ。こんなに早い催し物に、こんなに大勢、お歴々が集まることは珍しい。それは、つくし会がいかにみんなから期待され、激励されているかの証であり、前途すこぶる有望だといえる。この恵まれたスタートを切った会員たちだけに尚更に永続性を考えねばいけないのだ。先輩や指導者たちの鞭撻を受けることは勿論有難いことだし、その人たちが熱心に教えてくれることによって、日に日に伸びてゆかねばならない連中ばかりなのだが、ややもすると慢心したり、小成に安んじたりする者の出てくることも考えねばならない。その時はお互いに扶け合い、励まし合って所期の目的に邁進すべきだという言い古された当りまえの餞けの言葉をいままた茲にくり返して言っておくが、その当りまえのことがなかなか実行されないのが普通だからである。

 結成された当時、僕は鯉昇、太郎、莚蔵の三君に、「君たちは平素舞台に出て、与えられた書抜き通りに台詞を言い、型の通り動いてことが済んでいると思っていはせぬか、そしてこんどの朗読会にでも、誰々さんの言い廻しを真似してやってやろう・・・なんて甘い考えをもっていては絶対駄目だ。大体平素の舞台でも『寺子屋』にしろ『盛綱』にせよ、序幕から大詰まで各段悉く本を読破して、この役はそういう役、この段のところまでにはこんな話があり、今後こういうように劇は展開する−といった点まで充分調べが出来ているか。それも知らず、ただ与えられた書抜きをべらべら読むことによって役者の業がすんだなんて甘い考えをもっているなら大間違いだ。演ずる前によく本を読み、充分研究して、役の性根を究めるべきだ」ということを大いに勧めておいた。

 この連中の中でも、近頃の歌舞伎の上演ぶりを見て、その芝居の筋が充分判っている者が何人あるだろうか。ひどい例になると『寺子屋』がこの頃よく源蔵戻りからしか見せないので、偶々小太郎の寺入りを演ったところ、「あの源蔵の戻ってくるところは、こんど新作ですか」と真顔になって聞いた者のあることも耳にしている。歌舞伎役者として実に情けないことだ。これでは『戻り橋』の鬼女が婆に化けて、腕を取り返しに来るのが『茨木』だと言い兼ねまい。いくら幹部俳優でないからとはいえ、これでは困る。大いに困るのだ。勉強とは舞台の上の演技のみでなく、平素の心構え、不断の勉強にあるのだ。先輩達の舞台を揚幕から、または舞台の袖から、熱心に立見して研究している者が何人あるか。ほんとうに心細い話だ。いい了簡を持たない限り大成は覚束ない。役者が一生修業だと言われているのはこのことだ−という苦言を三人に懇々と言っておいたが、三人共尤もだと肯いていたし、必ず実行するだろうと楽しみにしている。

 朗読が『先代萩』御殿と『曾我対面』と、『五人男勢揃い』と決まり、『先代萩』は中村霞仙、『対面』が片岡我當、『五人男』が坂東蓑助とそれぞれ先輩を補導役に頼んで稽古がはじまった時、指南役の三人ともにみんなの拙いのに今更乍らびっくりしたらしい。これじゃ芝居にもならない、これでも役者か−とまで思ったとその中の一人はあとで僕に話していたが、その指南役の三人を驚かせた会員に拙い台詞が、公演までに立派にモノになったのだから、熱心というものはこわいもの。指南役にいい人を得たことも結構だが、みんなの懸命の努力が立派に実を結んだわけで、最初に「困った」とぼやいた指南役は「こりゃ面白い」となり、「出来た」と喜んだという話を聞いて僕も嬉しくなった。

 考えてみれば無理もない話で、平素役らしい役のつかない連中ばかりで、人の演技を見ていても所詮わが身にいつ廻るか判らないことと半ば諦めかけていた人が多いのだから、朗読会とはいえ、夢幻の理想の大役が廻って来れば、それこそ天にも登る心地で努力したに違いない。僕はその機会の与えられたことを喜ぶと共に、これが動機となって毎日の芝居に、たとえ通り流しの役であっても工夫するようになれば、つくし会結成の意義がなおはっきりすると思う。そして次は衣裳をつけ、鬘を冠り、舞台に立つのだ。朗読会では何とか言えたが、衣裳をつけたら見てはいられない−ではいけない。その日こそ会員みんなが本望を達する時だ。来るべきその機会が、おそろしくもあり、又楽しみでもあるのだ。これに備えてもっともっと勉強をせねばならない。それと次の朗読会には是非新作物もやってもらいたい。歌舞伎狂言のみでは範囲が狭い。いろいろな本を手がけさせて、将来に備えるべきだと思う。

 碌々役もつかず、大部屋にうろうろしている人たちの間からでも立派な役者は生れる。又そうした人をみつけ出さねばならない。それと同時に発見されるべく平素の勉強を怠ってはいけない。先輩やみんなの温かい心づくしによってつくし会が立派に育ってゆくことを衷心から切望している。(菱田 正男)

二十四年五月大阪千鳥屋でのつくし会の発表会(19才)

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