江戸も終りの頃、寛永のある初夏のことである。江戸は浅草の今戸八幡さまの境内で、博徒の橋場一家の身内の若い衆が、どうやら人を待ち伏せているようだ。そこへその目指す相手が来たらしい。夕日を一ぱいに浴びた今戸河岸を急ぎ足に、長脇差の柄を手拭で巻き菅笠を手にした。どこか意気な旅がらすの男が、やって来る。
“おう紀の国屋、久しぶりだな”と行く手に立ちはだかった橋場の身内に“人違いしなさんな、俺アそんなもんじゃなねぇ”と顔をそらして行きかかる旅がらすの男に、子分の一人が斬りかかった。 紀の国屋の若旦那と呼ばれるそに対する遺恨というのは、ざっとこんなことだった。
 

 

 

当時、江戸で名優と謳われた沢村蝶十郎の一人娘お絹に、橋場の丑市が惚れていたのである。ところが蝶十郎は弟子の蝶次を養子にして、お絹と夫婦にしようとしたので、それを根に持った橋場一家が紀の国屋に対して無理難題を吹きかけたのである。蝶次は養父やお絹の難儀を救うため、橋場の丑市の片腕を斬って江戸から姿を消したのだった。
 そして今日、千住大橋を渡って懐しい江戸の土地を踏んだ蝶次を、橋場一家が待ち伏せていたのである。
 だが蝶次は男っぷりがいい上に、腕っぷしもずば抜けていた。軽く橋場一家をかたづけて立ち去る蝶次を鳥追い姿の女が呼び止めた。
 

 

 

 女はお駒といい、旅から旅への渡り鳥の蝶次が何故か舞台を休んでいる父蝶十郎のことを心配して、江戸へ帰って来たことを知り追って来たのだ。どうやら蝶次に惚れていあるらしい。

 紀の国屋の家がすっかり橋場一家によって取り囲まれていると知った蝶次は、お駒に蝶十郎とお絹の様子を見に行かせた。

 向島の土手がうすく霞んで見える聖天の森で、空の月を仰ぎながらお駒を待つ蝶次は、笛の修行をする鳴物師の話しに舞台への執念をかき立てられた。お駒が蝶次の仮の女房と言ったことから娘のお絹をあわれんで、蝶次と舞台に立つことをことわる蝶十郎、しかし芸の勝負のためと言う蝶次の言葉に、小田原の舞台で久しぶりに競演することになった。