本日は第二回の実験劇場でおつかれのところをお集り願いまして有難うございます。本日は、話題を特に実験劇場若手歌舞伎だけに限らず、次の関西歌舞伎を背負ってゆく貴方方若い俳優達の抱負を語っていただきたいと思うのです。しかし、第二回の実験劇場が問題となっている時でもあり、先ず、貴方達が体験された実験劇場−つまり、武智さんの指導を受けられた体験から話を聞かして頂きましょう。初めこの座談会には、武智さん、蓑助さんも出席して頂こうとも考えたのですが、そうなると、どうしても話が実験劇場中心になり、貴方方も云いたい事が云えなくなると思って出席して頂かなかったのですから、どうか忌憚のない意見を聞かして下さい。先ず貴方方がお父さんや先輩の人達から習ってやって来られた芝居と、いわゆる武智歌舞伎とを比較して、どちらがいいと思いますか。

鶴之助 これはどちらがいいと比較出来るものではありません。そして武智先生のおっしゃる写実は丸本から来るところの写実−つまり丸本に忠実であると云う事で、六代目さんなんかの写実とか我々の先輩が云う写実とは自ずから違います。

莚蔵 それに、鶴之助さんや、延二郎さんは本興行でも役をしていられますが太郎君、鯉昇君にしろ、私にしても本興行では役らしい役をさしてもらっていませんし、実験劇場で始めて大役がついたのですから、全然比較も何も出来ないです。

鶴之助 ただ二回の経験ですので、こんな事を云うと武智先生に叱られるかも知れませんが、武智先生が私達に教えて下さる事は、私達が父やその他の先輩の方々から教わった大先輩の型を難しい言葉で教えて下さるので、初めのうちはまるっきり我々の習って来た事と違う事を教えて下さっている様に思えましたが、段々分ってみると結局行きつくところは、父や先輩から習ったのとさして変らない様に思われます。勿論大先輩の型でも、珍型は困りますが、頭のよい偉い先輩の型と、武智先生のおっしゃる型とは同じ様に思われます。

靖十郎 私の師匠の吉右衛門さんと、武智先生とは、全然違っている様に思われますが、その真に迫る最高潮のところは、表現こそ違っても結局同じだと思います。

小金吾 私は第一回の時は出ないで今度初めて出してもらったので、稽古に入った時、他の人は一回目の経験があるその中へ入って行ったものですから、少しまごつきました。その時の率直な第一印象は、絵の様な鑑賞的な歌舞伎にとって武智先生は少し理屈っぽく過ぎはしないかと思いました。武智先生は十のところを十まで理屈づめで演出されますが・・・尤も昔の様な馬鹿々々しい型の歌舞伎も困りますが、その中間・・・つまり武智先生の解釈にもう少し夢を残してほしいと思います。その点私の役の瀬尾は、年齢的に無理があると思われたのかも知れませんが、武智先生の解釈だけを聞きましたが、割合今まで習って来た舞台の寸法(テクニック)でやったところもあり、武智先生も許して下さいました。

扇雀 私は先月旅の途中で盲腸をやられて手術をしましたので、最近ようよう起きられる様になりましたが、今度の舞台にたてなかった事は残念でなりません。最初の実験劇場だけの経験で口出しするのは少し僭越ですが・・・私の父鴈治郎が武智先生を昔から尊敬していますし、武智先生の指導を頂けるのをとてもよろこんでくれています。生意気な申し上げ様ですが、武智先生の演出の方法は、そりゃ処々に疑問をもつところはりますが、全体に基本的なところ、息の入れ方、間のもち方等を教えて頂へて大へん勉強になりました。特にさはりのところなどは先生の指導に頭が下がりました。しかし前の野崎村で久松の膝の上にお染が上るところは困りました・・・(笑)

鯉昇 今度の勧進帳はさぞかし武智先生だから、能、狂言だと思っていましたが、舞台にかかる時分になると、ほとんど従来の歌舞伎と変らない様になって来ました。

延二郎 俊寛を教わるのでも、武智先生のおっしゃるのを聞いていると、頭の悪い私には(御謙遜々々々の声あり・・・笑)なかなか理解出来ません。だからこうやれ、ああやれおっしゃるのを初めの中はそのまま真似ているに過ぎません。しかし真似はあくまで真似ですから腹がないと云っては叱られる、叱られると余計分らなくなると云った調子で、ますますわからなくなり、家へ帰っても神経がいらいらして、朝起きて稽古場へ入るのが断頭台に上る様な重苦しい気持でした。

扇雀 僕も前の実験劇場の稽古の時、朝大阪へ行く電車が何時も武智先生と一緒で、車中大阪まで稽古をして下さるし、その上他の狂言についてもいろいろ教えて下さいました。嬉しかったですが、精神的には相当こたえました。

太郎 本当に精神的にまいりますね。

延二郎 そうしている中に、ますます頭が混乱して、どうしたらよいか見当もつかなくなって、ふと今迄教わった歌舞伎の技巧を用いて表現すると、それでいいのだと、武智先生の御気に入る事が度々ありました。だから生意気な様ですが、あまり武智先生のむつかしい解釈ばかりにこだわらずに、その精神だけを教えて頂いて、表現は我々が今迄教わって来た事を応用して行く様にすればうまく行けるのではないかと思います。