大阪市 

千日前の竹林寺-もう一つの奉納灯篭-

  “燈籠大臣”と言われた九団次さんは水かけ不動に加えて、竹林寺にも燈籠を奉納しました。




 千日前という名前の由来は、古くより千日回向を続けていた法善寺竹林寺千日寺と称するようになり、その千日寺の前ということで千日前と呼ぶようになったといわれています。その竹林寺が移転しました。




千日前の在りし日の竹林寺


移転後の竹林寺


竹林寺さん、いまどきのお寺さんになってました

寿海さん・雷蔵さん 亀崎ハナさん・九団次さんの奉納燈籠

寿海さんと雷蔵さんの燈籠

雷蔵さんは子の無いハナ・九団次の養子になり、竹内嘉男になったけれど

亀崎家の男子に変わりはなかったのです


昭和29年1月21日にこれを建てた九団次さんの心を思うと・・・

 住持の弁「千日前にあった頃は、役者さんの信心も篤くて、寿海さんがこの燈籠を建てたのです」「違います」「それじゃ、雷蔵さんが建てたのですね」「そうじゃないです。九団次さんです。九団次さんは“燈籠大臣”というあだ名で、あちこちにこのような奉納燈籠を寄進したのです」住持は不思議そうな顔をされましたが、妻ハナではなく、妻亀崎ハナと燈籠に刻んだ九団次さんの気持を思うと傘のかげでこみ上げるものがありました。

 竹林寺(ちくりんじ)とは大阪府大阪市中央区難波1丁目にあった浄土宗の寺院。現在は天王寺区勝山1丁目11番19号に移転している。山号は松園山、摂津国八十八箇所第30番札所、本尊は阿弥陀如来。

 大坂夏の陣の後、大阪城主であり、大坂の街の復興を任された松平忠明が市内の墓地を整理し、道頓堀の南側に移させた後、幕府の天領となった大坂だったが、復興の街づくりは続けられ、寛永14(1637)年には上本町八丁目筋から法善寺が当地に移転し、大坂の陣での戦死者を含めた死者の供養の為、千日回向が始められ以後「千日寺」と称された。慶安2(1649)年には法善寺の南隣に竹林寺の前身となる浄業院が建立され、浄業院も千日回向を行い始める。尚、千日前という地名が付けられた由来は、竹林寺と法善寺が千日回向を行っていた事による。

 平成20(2008)年12月に天王寺区勝山(四天王寺のすぐ左隣)に移転した。