東京都

池上本門寺

 


いわずとしれた雷蔵菩提寺・池上「本門寺」

 命日(7/17)前日の午後に訪れた。この日は台風が房総半島に上陸し、午前中の天候は荒れに荒れ、新幹線はストップ、空の便も欠航が相次ぎどうなることかと危ぶまれた墓参だったが。午後からは台風一過、嘘のような晴天と蝉時雨の中蒲田から池上線に乗り、池上で下車。本門寺までの道を汗を拭き拭き歩いた。(途中で、供花を購入)

 山門から本堂へ向かう石段の横に今年(2002年)の春に新しく作られた女坂があり(池上本門寺の公式サイトによると。立教開宗七百五十年慶讃記念事業の一つとして、女坂は整備された)、石段を俯きながら登るより格段の楽チンと見受けられるが・・・しかし、石段を登ることにした。寺に石段は付き物、喘ぎ喘ぎ登ってこその墓参であろう。(どうも、考え方が古くさい?)この石段は96段。加藤清正が寄進したものだという。

 台風一過の空も青く、梅雨も明けようかという日の午後、池上を訪れるのは地元の人ばかりだろう。明日の命日には、雷蔵ファンの墓参がひきも切らないかも、でも今日は一人で参ることができると確信しながら石段を登る。目指すは目印の五重の塔である。

 

 池上本門寺はいうまでもなく日蓮終焉の地。小高い山全体が寺になっている。ここの墓地には雷蔵以外にも、栗島すみ子、力道山の墓があり、五重の塔の近くには、幸田露伴、幸田文親子の墓がある。

 墓地のそこここに、「寺を案内するボランティアと称する置き引きが出没します。手回り品にご注意」という内容の張り紙が散見する。これは以前にはなかったものだ・・・ご時世かな?

 さすが命日を明日に迎えるせいか墓には手向けらた花があふれ、墓守を自称しそうなおじさんがどこからともなく出現(張り紙を思い出した)。曰く、昨日未亡人が見えたこと(それではこれらの花々は彼女が供えたのか?)明日には白菊会(雷蔵生前からのファン倶楽部の有志の方々の会)の方たちが見えるとのこと。尋ねもしないのに、滔滔と話すその様は毎日雷蔵の墓に来ているに違いないと見受けられた。

 奇特な人なのか暇なのか?それにしても、未亡人経営の喫茶店は今改装中でクローズしているとのこと、行ってみたことがあるのか?と少しうるさいくらい話し掛けてくる。

 「市川雷蔵が好きなのであって、太田吉哉には興味が無い。好奇心で覗きに行くのは私の本意ではないし、第一相手に失礼になる。だからこれまで行ったこともないし、今後一切行く気もない」と断言した。

 当方のそっけない態度にもめげないおじさんに感心しつつ、一人で墓参のあてがはずれ残念。しかし、薮蚊の猛襲には閉口した。南カリフォルニアは乾燥地帯ゆえか(ボウフラの生き残れる水溜りが少ない)、街中で蚊は見られない。ほうほうの体で墓参を切り上げた。雨後の薮蚊には要注意である。