京都府 

京都市左京区黒谷町

 

 



 

黒谷・金戒光明寺

 地元では「黒谷さん」という呼び名で親しまれている金戒光明寺。浄土宗の大本山のひとつである大きなお寺だ。岡崎や哲学の道からは少し離れた場所にあるため、観光に訪れる人も少なく、広い境内はひっそりとしている。が、お彼岸の今日、墓参の人も多くその上、今年の桜は見事に花を咲かせている。ただし、花曇がたまに傷とは言えるが・・・。

 尊王攘夷の嵐が吹き荒れた幕末京都、幕府の命をうけた奥州会津藩・松平容保候は京都守護職を受け、京都の治安維持のため藩主以下千名の藩兵を上洛させ、本陣を置いたのが京都黒谷の金戒光明寺である。戊辰戦争での会津藩の悲劇のはじまりがこの京都守護職受諾からだといわれている。『花の白虎隊』の悲劇の芽がここにあったのだ!!

 さて、本来の目的・映画『千羽鶴秘帖』のロケ地特定をめざして、墓地を徘徊するが・・・手掛かりの石段と圭之助、半次郎の二人の背後に見える立派な墓のおかげですぐに判明。歳月は木を繁らせ、墓参の人のために石段に手すりを拵えさせているが、墓石は変らず「河本」という字がまさしく読める。

 

なお、黒谷をお尋ねになりたい方のために↓