京都市

京都市左京区

 



 正式名称は真正極楽寺といい、本堂の名前が真如堂。永観2年(984)、戒算上人が一条天皇の母東三条院藤原詮子の御願によって、比叡山延暦寺常行堂の円仁作の阿弥陀如来像を移して建立された。本堂、三重の塔などは江戸時代の再建。広々とした境内は紅葉の名所としても知られている。

 

本堂

 

三重の塔

銀幕の旅 「眠狂四郎勝負」

 出生の秘密を背負った謎めいた孤高の剣士が、繁栄に向かう時代の「銀幕」の中を駆け抜けて行った。冷たく、美しく、男も女も斬る。幻の剣士・眠狂四郎は若く美しくしていった名優市川雷蔵と共に、映画ファンの胸の奥底に語り継がれている。

 1963(昭和38)年。東京五輪前年に登場した眠狂四郎シリーズは69年の雷蔵の亡くなる直前まで続き12本を数える。「勝負」は64年1月に封切られた二本目の作品だ。

 無頼の徒、狂四郎が活躍する舞台は十一代将軍家斉治下の江戸の町。「勝負」では、幕政改革に燃える老奉行を助ける狂四郎が、将軍の娘を取り巻く幕府の悪玉や謎の美女に操られた刺客たちと決闘、円月殺法が冴える。虚無でニヒル。女にも冷たく、強い狂四郎のキャラクターが決まり、シリーズの実質的なスタートとなった作品だ。

 「日本映画だけど、あれはフランス映画っぽいんですよ。ガス灯に霧がかかって恋人同士がたたずむ・・・・。しゃれて、きざなシーンを取り入れた」三隅研次監督とコンビを組んだ美術監督の内藤昭さんが撮影の裏話を話してくれた。

 「考え方はリアルだが表現方法は簡略化して非リアリズムに徹した。黒をバックに黒の衣装。色づかいも限定した。黒の中に一点の白、赤。画面から無駄を省き単純化して様式美を追求した」

 「雪よりきれいな俺の身体に触れようとは無礼千万だぞ」と女に放つきざなセリフ。「それに妖艶な美しさとエロチシズム。清潔感を漂わせた雷蔵の魅力を狂四郎の中に同化させた」

 雷蔵と勝新ものを交互に五十本余も撮った内藤さんは「勝ちゃんの座頭市は徹底してリアリズム映像を追及した。雷蔵さんは絵コンテの中にすっぽりとはまって演技した」という。

 「敵役の女も惚れる。せっかく用意された幸せに背を向けて立ち去っていく孤独な男の姿がやるせない。私は明るい普段着の雷蔵さんが好き」という中京区の雷蔵ファン森谷明雨。子供のころからの雷蔵時代劇を見てきたという伏見区の青木秀次さんは「ニヒルだけど、ふと女に優しさを垣間見せる。太刀さばきも歌舞伎のきれいな流れに凄味が加わり、重圧感があった」と雷蔵狂四郎の魅力を語る。

(京都新聞97年7月28日夕刊「銀幕の旅・眠狂四郎勝負」より)

 

 江戸のオランダ坂。実は、真如堂社務所脇の道は当時のままだ。ただし、現在は車両進入禁止のバーが建てられている。防災道路で石を敷き詰めたのがオランダ坂に見えるのか、いまでも撮影に使われる。で、

映画になると↓こうなる・・・

真如堂へは市バス5系統で京都駅より35分。バス停「真如堂前」で下車、徒歩5分。境内散策自由、本堂のみ拝観料500円。拝観時間前後に訪ればゆっくりオランダ坂歩くことが出来る。