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 雷さんの三本目の映画『千姫』を御覧になりましたか。実際の舞台は大阪ですが、大阪城落城の後、千姫は家康のちょう愛を一身に受け、絢爛たる生活に入りますが、正史ではそれほど淫蕩な女性にはなっていませんし、私も昨年、観光バスで旅した時に聞いたので、はっきりしませんが、その時ガイドさんは、品川御殿山は「千姫」ゆかりの地の様に説明した様でした。山手線から見えます石垣がそれです。  

 


江戸(東京)の天樹院(千姫)遺跡

天樹院邸
 江戸城の北の丸(現・北の丸公園)の東縁、清水濠に面した地点に位置しています。 江戸城は家康が江戸に入府して以来、幾度もの天下普請が行われていますが、この地点は元和6(1620)年までの普請によって大規模に整備され、主に徳川家近親者の屋敷地として利用されてきました。

 家康の側室であった「阿茶のつぼね(一位尼)」が寛永10(1633)年頃に北の丸を離れたのち、この地には「天寿院(諡名・天樹院)=千姫」が屋敷を構えます。秀忠の長女として生まれた千姫は幼くして豊臣秀頼に輿入れしましたが、大坂城落城の際に徳川方に救出され、その後再婚した桑名藩(後に姫路新田藩)の本多忠刻にも先立たれたことから、出家して天寿院(諡名・天樹院)と号するとともに、寛永3(1626)年に江戸に帰ってきます。はじめは北の丸の中でも高台となっていた部分のこの地に屋敷を構えますが、前述のように寛永10年頃、阿茶の局と入れ替わるように東縁部分のこの地に屋敷を移しています。

 明暦3(1657)年の大火(いわゆる振袖火事)以降は屋敷は取り払われて「蔵地」として幕末をむかえ、明治以降は陸軍用地となって近衛兵の兵舎などが建てられました。(東京都埋蔵文化財センター 発掘トピックスより)

墓所
 傳通院と茨城県常総市の天樹院弘経寺にあり、また徳川家(松平家)が三河時代から帰依していた浄土宗の総本山である京都の知恩院(華頂山知恩教院大谷寺)に定例により分骨され宝塔に納められました。

 伝通院(正式名称・無量山伝通院寿経寺)墓所

千姫画像(茨城県常総市・弘経寺蔵)