ワイズ出版(11/99)

 

 六月七日(土)

 旅行に出てからはじめての雨である。大映京都撮影所で市川崑監督の撮っている『炎上』(「金閣寺」の映画化)見学のため、わざわざ東京から来てくれた藤井プロデューサーの案内で、撮影所へゆく。所長に挨拶してから、京阪神の二十数人の記者による記者会見に引張りだされたのにはおどろいた。

 セットは柏木の下宿の場である。仲代達矢君の柏木が、市川雷蔵君の扮する主人公を難詰する場面。頭を五分刈にした雷蔵君は、私が前から主張していたとおり、映画界を見渡して、この人以上の適り役はない。

 一旦ホテルへかえり、夜、瓢亭で撮影所長の招宴。

新潮 昭和三十三年八月号〈日 記 (五)〉抜粋

 

 

 

 八月十二日(火)

 午後、十二時半から、妻と、大映本社へ『炎上』の試写を見にゆく。「金閣寺」の映画化である。シナリオの劇的構成にはやや難があるが、この映画は傑作というに躊躇しない。黒白の画面の美しさはすばらしく、全体に重厚沈痛の趣があり、しかもふしぎなシュール・レアリスティックな美しさを持っている。放火前に主人公が、すでに人手に渡った故郷の寺を見に来て、みしらぬ住職が梵妻に送られて出てくる山門が、居ながらにして回想の場面に移り、同じ山門から、突然粛々と葬列があらわれるところは、怖しい白昼夢を見るようである。

 俳優も、雷蔵の主人公といい、鴈治郎の住職といい、これ以上は望めないほどだ。試写会のあとの座談会で、市川崑監督と雷蔵君を前に、私は手ばなしで褒めた。こういう映画は是非外国へ持って行くべきである。センチメンタリズムの少しもないところが、外国人にうけるだろう。

週刊新潮 昭和三十三年十月号〈日 記 (七)〉抜粋

 

 

 

 金曜日

 学習院時代の恩師である清水文雄先生を劇場にお招きしてある。広島から久々に上京されたのである。

 先生に挨拶したのち劇場の役員室へ行って、八時からTBS・TVの「剣」を見る。加藤剛の主役は、みごとな端然たるヒーローだが、映画の主役の雷蔵に比べると、或るはなかさが欠けている。これはこの役の大事な要素だ。

 終演後、清水先生、伊沢甲子麿氏と、十一時ごろまで語る。

週刊新潮 昭和三十九年五月二十五日号〈週 刊 日 記〉抜粋