西洋人と日本人

依田: 最近の映画界は、大変な残酷ブームのようですね。まず、この残酷という言葉ですが、これがはやりだしたのは、やはり「日本残酷物語」という本が出てからでしょうか?

森:  そうですね。あの本は日本の底辺に生きる人達の姿をさまざまな角度からとらえていて、非常に面白かった。

依田: それから、『世界残酷物語』という映画が大ヒットしましたけれども、あれを観て、どこか違うんだなと思いましたね。西洋人が残酷と感じることと、東洋人のそれと、今朝の朝日新聞で岩崎さんも書いていたが、西洋人のは道徳的残忍性であり、これに対して日本人のは物理的あるいは生理的残忍性であるというんですね。

森:  面白い見方ですね。

依田: 日本で、殺す者が、刀、槍という直接的な武器を通じて、殺される者の肉体と一つにつながれ、相手の断末魔の収縮が手ごたえとして感じるが、そんな方法は西洋人の神経にはたえられない。だから彼らの愛用するピストルは空間的距離をおくリモコンによる殺害方法なのだと岩崎さんは言っています。その通りだと思いますね。

森:  戦争のやり方を見ても、変っていますね。機動力の差もあったかも知れないけど、日本人は竹槍を抱えて肉弾戦するとばっかり考えていた。その点、西洋人はボタンひとつで数万の人間を殺す研究をしてたんだから。

依田: ということは、文明が発達すればするほど、残酷性も高度になっていくということかな。

森:  そういえますね。

依田: これは数年前、僕がヨーロッパへ行った時の話だけど、ローマに骸骨寺というのがあるんですよ。骸骨が薪のように積んであったり、天井に骨盤が花みたいに飾ってあって、そこから腕の骨が出てランプがともしてあったり、それが全部人間の骨なんですよ。ああいう精神には我々日本人は耐えられませんね。

森:  戦時中、人肉を食った話をよく聞いたけど・・・

依田: そう、『野火』にも出てた・・・あんなのはどうなのかな・・・、残酷は残酷だけど、ああいう時の人間は極限状態に置かれているわけでしょう。特別な状態に追い込められての上だから、人肉を食うという非人間的なものも、生きるためには止む得ないのだろうという風に許し難いことでも、残酷さというものは感じられないじゃないですか。そこへゆくと、ナチの俘虜収容所(アウシュビッツなど)に見る、計画的な虐殺、組織的な残虐行為の残酷さというのは許し難い、まさしく残酷というべきですね。

森:  あれはひどかったなぁ・・・戦時中、日本人もずいぶ分残虐な行為をしたらしいわけで、ああいう風に緻密な計算のもとに冷酷無惨にやるのではなく、もっと感情的で、子供じみていたような気がしますね。

依田: やはり、国民性の相違ということになりますかな。