映画の中で

依田: 映画の方では、黒澤明さんの『椿三十郎』から始まって、『切腹』『忍びの者』『無宿人人別帖』とずい分続きましたが。

森:  もう終りじゃないですか、残酷ブームも。

依田: いやあ、どうかな、あなたはこういう傾向に反対ですか?  

森:  そういうわけじゃないけど、ただね、残酷なものがはやっているから、何でもかんでも残酷に見せてやろう・・・そういう安易な態度じゃいけないと思うんですよ。作品の上からいっても、何の必然性もない残酷シーンが多すぎます。

依田: そうそう。センセーショナルな、また可逆趣味的なね。

森:  最近のそういった作品は、残酷な場面を絵柄だけにとどめて、感覚的な刺激として観客に訴えている。だから、麻薬中毒のように、次第に濃度を増していかなければならないのだと思うんです。

依田: 何か、これでもかこれでもかというような、しつっこい感じがしますね。

森:  といっても、何も残酷なシーンすべてが悪いというんじゃない。もちろん僕だって、必要があれば使いますよ。『薄桜記』だって、主人公が右腕を斬られる。大変残酷なシーンだったと思うけど、主人公の過去からのつながりからいえば、あそこで斬られるざるを得ないんです。

依田: なるほど。

森:  だから、残酷さがその作品のテーマなり、人物の性格・行動なりに密接に結びついておれば、構わないと思うんです。

依田: 確かにそういうことでしょうね。

森:  その意味からいって、今までにそういう作品がなかったわけじゃなし、今更残酷残酷騒ぐのはおかしいんじゃないのかな。

依田: そう。テーマといえば、今度僕のシナリオで『武士道残酷物語』というのを東映でやることになったんですけど、このテーマが面白いんですよ。原作は南条範夫さんの「被虐の系譜」で、つまり君主と家来といった関係の下で喜んで忠義に赴くという精神がいかに残酷な待遇を受けても、甘んじてうけるだけでなく、進んでお受けするという心持さえなっている。過去はもちろん、現代でもそういったものは、まだまだ日本人の生活感情の中にある。そこを南条さんは描こうとしたんです。こういった、残酷な仕打に慣らされるような精神こそ、いちばんいけない薄弱精神だと思うんです。

森:  そうそう、そういうことなんだ。何も首がとんだり、大量に血が流れたりすることだけが残酷とはいえないんですよね。僕達は視覚に飛びこんでくる現象のみを残酷と思いがちだけど、枝葉末節にこだわり過ぎると思うんだ。

依田: その作品の根底に流れるもの・・・例えば社会機構とか人物の設定が残酷かどうか、そこに残酷映画の本来の姿があるんでしょうね。