発言 ■ 残酷作戦 -63 ■ ある助監督から

 

●狂い咲き

 時代劇は残酷ブームだそうである。松竹の『切腹』の成功と、大映においては『斬る』『地獄の刺客』『忍びの者』も分類としては入りそうだし、撮影中の『人斬り市場』、準備中であるといわれる『第三の影武者』等々ちょっと数えただけでもかなりの作品名が浮かんでくる。目下撮影中である東映の『武士道残酷物語』などは、題名からしてみても残酷時代劇を真正面から狙った大作(製作費及び話題作的ムード)であるといえよう。

 「残酷ムード」はどこから来たのか、それも魅力喪失と不振を伝えられる時代劇のジャンルの中から、連続的な出現をみた去年の後半から今年にかけての数カ月は、現状維持のみで未来へのビジョンを失った時代劇に、一つの突破口らしきものを暗示してくれたといえよう。「残酷」の刃が斬り開いた時代劇の可能性である。

●落日の平和

 「残酷ムード」はどこから来たのか。直接にはドキュメントフィルム『世界残酷物語』の興行的成功も無視できない - 戦後十七年、日本はともかく平和なのである。 

 ♪・・・今夜も刺戟が恋しくって、 メトロを下りて階段昇りや・・・

といった流行歌が一頃流行ったことがあったが、保守安定政権の下で国民の生活は一応安定をみ、平均生活水準はむしろ戦前を上回るといわれている。

 だからといって島倉千代子の歌のようにしあわせいっぱい胸いっぱい - とは行かない。底辺はまったく繁栄とはカンケイなく、水準を保ったホワイトカラー(中間層)の洪水も、組織のメカニズムの中でキリキリ舞いして分解し、人間疎外に落ちこむのであるが - これも悟れば平穏無事の小市民的哀歓というところであろう。だが自分のちっぽけな倖せを壊さないところでは刺戟が欲しい。刺戟 - だが彼等が「残酷もの」に求めているのは単なるシゲキだけであろうか、どろどろとした憎悪・パセティックな画面、竹光が腹を破り、鮮血と共に、首が手がふっとぶ強烈なリアリズムの非情性、人間本能、被虐と加虐、疎外された人間の哀しみと怨み - 等がかなり鮮明な形で、一杯にそれらの作品を貫いているのは興味深い。

●潜行 A

 「残酷ムード」の流行は子供の世界においてはもう十年以上も前から席捲している。貸本ベストセラーといわれるマンガ本であるが、人間の生命など蟲ケラのようなものである。それも極めて残酷で合理的な殺戮システムがうけているようである。

 今、子供間でブームを呼んでいる白土三平の作品は、私も愛読してやまないケッサクぞろいであるが、「忍法武芸帖」の一揆の百姓たちの大量殺戮場面や、「サスケ」における、忍者の分身の死に方など血なまぐさい凄惨なタッチである。教育委員会やPTAの方々は深く憂慮されている御様子であるが、元々、子供をけがれなきヒトミとか清純なココロとか、考えるのがあやまりであって、子供の世界はむき出しの残酷性と憎悪と優越への意志が渦をまいているのである。

 教養、道徳、宗教とかで擬装した大人の方が、表面的でないだけまだマシなくらいで、子供間の勢力争い、権威の憧れ、迎合、裏切者への制裁など人間社会のネガフィルムをみるようなもので、大人の世界となんら変るところのないことは自分の子供の頃を考えれば自明のことであろう。清らかな魂を汚すな、などとい今更言っても始まらないのである。過日、私は小学校、三・四年の女の子のケンカ(友達の取り合い)をみたが、相手をカシャクなきまでもやっつけようとする語気の鋭さ、ジワジワと残忍に相手を斬り刻む狡猾な論理は、ヤリ手の四十女も顔負けするシタタカ振りであった。