愛姫は時を移さず、父純忠に、暫時の間晴信を出してくれと懇願した。このままグラサ号を帰してはわが国の威信に関する、大御所の勘気は、グラサ号撃沈することによって必ず解ける・・・この愛姫の言葉は、家康の手前を憚って躊躇していた純忠の心を痛く動かした。「流石は儂の娘、予も大友藩も、婿どの晴信と生死を共にしようぞ」 こうして純忠は独断で晴信を出した。晴信は純忠の厚意を謝し、必ずこの恩に報いると誓った。別れに際し、愛姫は、自分の胸の十字架を晴信に、そして晴信は自分のそれを愛姫に手渡した。万一、事を仕損じた時は、場所こそ違え、夫々の十字架を抱き、死のうと云う決意である。
だが満潮時は、寅の刻(午前三時)である。その時刻に、グラサ号が潮にのって座礁から離れ、折からの西南の風に乗って脱走するは明らかである。流石の晴信も考えに沈んだ。その時天の啓示のごとくきらめいたものがある。それは十五反帆の船の上に井桁を組み、グラサ号の舷と同じ高さにそれを積み上げ、上げ潮に乗じてグラサ号に近付き、その井桁の上から斬込む以外に方法はない。 しかし時刻は最早、亥の刻(午後十時)果して満潮までに井桁が組み終るかどうか。だが懸念し、躊躇している時ではなかった。晴信の命一下、必死の井桁組みの作業がはじまった。ヒタヒタと打ち寄せる波は、満潮間近を現わしていた。焦燥の数刻がすぎて、ついに井桁は完成した。あますところはあと半刻、天に祈る晴信は、やがて船をグラサ号に向けた。
満々と潮の満ちて来る不知火の海に、烈々火を吐くような晴信らの斗志をのせた船が、暗礁の海上に、これまた灯火ひとつ点ずることなく、静かにグラサ号目指して進んだ。やがてグラサ号が、満潮の流れにのって、いま正に離礁せんとする寸前、晴信の船は、グラサ号の舷側にピタリと着いた。
井桁の頂上に、猿のごとくよじ登ったのは三郎兵衛であった。かって南海の果てで死すべき身を、晴信に救われた恩義と、この度の一件の償いに、死を覚悟した彼は、「殿様!」と叫んで晴信に一礼するや、飛燕のように、真先にグラサ号にとび移った。
「三郎兵衛を殺すな!」晴信の命一下、有馬の家臣は次々とグラサ号にとび移った。「ジャン・有馬」と、クリスチャン・ネームを持つ不知火の若大名、有馬晴信、颯爽の襲撃であり、日本が史上に最初に記録した外国船との戦いである。
甲板上の凄絶極りない斬込みも、三郎兵衛が、死を賭して、グラサ号の火薬庫に、狼煙をぶちんこんだことによって終りを告げた。一大轟音と共に、グラサ号は爆発し、火柱は天を沖して凄まじく、暗黒の海に、目も眩むばかりの火葬と散った。晴信の悲願はここに成った。しかし三郎兵衛は死んだ。
彼の死体を抱えて十五反帆の船の舳に立った晴信の頬に、止め度もなく涙が流れた。両舷にかざす炬火の列が、三郎兵衛の霊を弔うごとく、海上に炎々といつまで燃えさかるのであった。