この映画は宣伝がゆきとどいており、伊藤、雷蔵コンビというので、地方在住の私は首を長くして反響をまっていたところ、評判はあまり芳しくないので落胆いたしました。今日我目でたしかめて、結構面白く、楽しいんでみられました。

 晴信の言動に、一見戦争中の撃ちてし止まぬを想い出させる様な、感じもしました。しかしあの場合、焼かれた船が有馬の御朱印船、捕らわれたのが信頼する家来、自船の船頭ども、事の真相が珠江からのしめ出しであれば、晴信には我身をしめつけられる想いであったとうなずけます。しかも純粋な青年なのですから。家康は天下統一を第一目的として、我手を下さずに有馬の決行を見通し、有馬ひとつをつぶしてことを収める、政治家の面目がうかがえます。この映画の眼目、三十余人の奴隷を助ける晴信の立場、それをさせない家康の立場、両者の立場は見終ってこそ理解出来ましたが、映画の進行中に視覚に訴えてわからせればずっと面白かったと思われます。

 又晴信が大御所から拒絶された以後、自力で襲撃を企てた時、家来は何のためらいもなく主君と行を共にした。彼等の気持は晴信が代表し、筋はたてられている、けれど三十余人の命、武士の意地と引換がより多くの命と有馬一国を賭けるのであれば、もう少し説明してほしかったとも思えます。出撃してからも、戦国の世を生き抜き、海外まで飛躍しようとした彼らが、すべてを御破算にして出撃するたくましさを表すには、あまりに静かすぎる様でした。静の中に何か欲しい気がします。やくざの喧嘩とちがってスケールの大きさは例をみませんし、政治や世相がもっとよく説明してあればより立派なものになったと思います。目新しかったのは、三郎兵衛の切腹、あんなに迫力があった切腹は初めてでした、死体にかぶせられた血染めの帆布が、波にただよう日の丸の様で、国旗侮辱に端を発した一連の騒動が、一応終止符ををうたれる時で象徴的であり、カラーであったらより引立ったろうと思いました。(足利・高久沢子)


  西暦1609年ポルトガル領マカオの邦人虐殺・御朱印船焼打が発端となり、長崎入港のポルトガル船をキリシタン大名有馬晴信とその一族が奇襲した史実を劇化したスペクタクル巨篇。「火柱よ天を焼け、炎よ暗黒の海を燃やせ、猛襲また猛襲、宿怨の豪剣異国船上に鞘走る」の宣伝はまだ見ぬうちから我が男性ファンの血を沸せた。

 期待していた大作だけにカラー(総天然色)作品でなかったのが誠に残念であった。だが有馬晴信に扮した雷蔵兄の闘志は、見事な熱演・クライマックスのデイオ号襲撃シーンはスケールがやや小さいが迫力はまずまずと言ったところ。伊藤大輔監督の秘蔵と言われた作品だけに、製作意欲は監督はじめスタッフ及びキャスト一同極めて旺盛。当時の資料収集、エスペラント語研究熱が高まったと聞くが、スクリーン上ではイベリヤ国人と二、三の脇役を除いて、主役の晴信(雷蔵兄)達がほとんどエスペラント語を使用しないのが聊か物足りない(もっとも映画では使用する場面がなかったが・・・)。

 尚、大阪冬の陣を控え、国内情勢はかなり切迫していた時代と思われるが、登場人物が多彩なわりに時代的背景が漠然としていて、一度見ただけでは物語の筋がはっきりつかめない。もっと時代のバックと登場人物を生かしてほしかった。クリスチャン晴信の映像、所謂人間性も希薄な感がある。本多忠純(家康の重臣)にデイオ号襲撃を訴願した際、「天に聞け」との一言に返す言葉のなかった晴信が、祖国・同胞愛に燃えつつも家康の禁令を破り、襲撃による大量殺傷の罪を、神の子として犯さなければならぬ苦悩が深刻に描かなければ、クリスチャン大名としては無意味となる。雷蔵兄の名演技をもっと深く描けたのではないかと私は思う。

 さて何時も問題(気にかかる)となる殺陣だが、軽妙迅速、突刺自在の洋剣と一刀必殺の日本刀の立まわりは、狭い船内故どちらに分があるとも言えないが、骨を切らせて肉を斬る捨身の剣法でなくては、異敵を倒すことは出来ない。その点晴信の奮戦は実感がよく出ていた。シネスコは縦の画面では人物全身(特に殺陣のシーン)のアップがきかぬ難点があるが、今回は晴信の上半身をクローズアップさせてカメラアングルは雷蔵兄の泣き所、腰の弱さを巧みカバーし迫力十分、あえて云々することもない。

 この他に印象に残ったシーンはミランド士官と晴信の馬術くらべがある。スピーディーとスリルにとむ競技は東宝の黒沢流に劣らぬ迫力があった。部分的に気付いた点では、襲撃の戦場で陣頭に立った晴信が、甲冑を身につけず、軽装で斬込むのは一寸無謀過ぎる(そこが映画と言われるかも知れぬが、敵の銃口が晴信を見逃す筈がない)、又ラストシーンで晴信は「私の行く処、山あり、海あり」とかなり落着きを見せているが、異国船上の大乱闘を終えて帰城したばかりの晴信は、返り血をあび興奮さめやらぬものがあってもよかった。何時に変らぬ清楚な扮装も、落着いた態度もいささかナンセンスである。 晴信以外の脇役は、山村聰を除いていずれも役不足。これと言う見るべき演技はない。

 以上、賛否混合の私見を書いてみたが、作品そのものに対しては批評の余地はあるが、我が親愛なる雷蔵兄の有馬晴信はまさに適役なることは過言ではない。彼の優れた器量あればこそジャン有馬も力作に値すると言えよう。 (雷太郎)

?@