弁天小僧を観て
待望の『弁天小僧』が雷蔵さん主演で映画化に、監督には伊藤大輔氏と決定した時、これは良い作品が出来ると密かに期待致しました。それから封切になる迄の何と待ち遠しかった事か・・・。
最近の雷蔵さんの活躍には目ざましいものがあります。『炎上』『日蓮と蒙古大襲来』の時宗等、そして『弁天小僧』が期待通り好評を博したのですから、こんなにうれしい事はありません。
寺小姓の初々しさ、クライマックスの浜松屋のシーンで初めて女形姿を拝見致しましたが、あまりの美しさで、溜息が出る位でした。素晴しい声で、胸のすくような啖呵を切った雷蔵さんの『弁天小僧』は正に日本一だったと思います。これでは、一度ならず再三観たくなるのも無理はないでしょう。
青山京子さんとの共演はフレッシュコンビと云う名がぴったりするように新鮮で感じの良いものでした。伊藤監督が(歌舞伎の白浪弁天小僧でなく、今で云うグレン隊の様なチンピラヤクザを描きたい)と云っておられたが、その点、この映画はリアリティーな『弁天小僧』が実によく描写されてありました。
頽廃的な生活をして、悪事を働いていた菊之助が初めて真実の恋を知り、やがて真の親があったと知った時の心理状態の移り変りを雷蔵さんは見事に演じています。
印象に乗ったのはラストシーンでした。恋しい父や妹や恋人を目の前にしながら、自分の身分を明かす事が出来ず、苦しい思いを胸に秘めたまま自害して果てた菊之助・・・。スクリーン一杯にクローズアップされたあの絶望にくもった眼差しや、悲痛な程の痛々しい雷蔵さんの姿が、今でも私の目の前にありありと浮んでなりません。これらは皆、人間の厳しい宿命を物語っているのでしょうか。
『弁天小僧』が悪の肯定になってはいけないし、観客の夢をこわしてもいけないと云われた通り、最後にはやっぱり親孝行で暖かい人間だったのだ、と云う事を観客に印象づけています。最初から最後迄退屈せず、楽しく、且つ緊張と迫力で観る人々をひきつけていたのは、さすがにベテラン伊藤監督の手腕に依るものでしょう。パーソナリティーをいかされて、リアルな演技をされた雷蔵さんは、ここで又新境地を開かれたと云えるのではないでしょうか。
新しい年を迎え、今後の御活躍を期待すると共に、昨年にもまして良いお年である事を切に祈るものです。(登坂八重子) |