映画界恒例のブルー・リボン賞がきまった。こうしたことには、衆目の見るところ十指の指差すところとかいって、みんなの目のつけるところは、ほぼ同じところへ集まるもののようである。
まず男優主演賞の市川雷蔵は、他に「キネマ旬報」でも主演男優賞に彼を選出したときいているし、私自身も実は「映画の友」で昨年度日本映画のベスト・ワンに彼を推したのであった。昨年度の男優演技について他の俳優を考えた人たちにしても、『炎上』『弁天小僧』などの雷蔵の仕事について大勢の支持のあったことに対しては、あまり異存はあるまいと思われるが、どうであろうか。
彼が豊富な演技力の芽を見せたのは、吉村公三郎監督の『大阪物語』の中番頭の役にふんした時であったと私は思っている。そして、『炎上』に至ってそれが開花したのであろう。しかも彼の実力はまだまだのびる余裕を残していると思われる。つまり彼の演技の面白さは、いつも役を割切ってしまわない“何か”を残している点で、それが彼にあってはどこまでも育って行きそうな“プラス・アルファ”の役割を果していると思われるのである。
山本富士子の女優主演賞も、彼女としてはその肉体的条件でも演技力の上でも一応油がのりきったという意味で結構なことである。ただ彼女のために惜しみたいのは、彼女の好演記録がいつも得意の京言葉をあやつる役柄に多いことで、何となくハンデキャップつきの勝負をしているように見えることである。今度は『白鷺』もその候補作品にあげられているが、私はむしろ普通作品で彼女が劇中劇的な日本舞踊を踊ったとき、その演技実力の成長を如実に感じたものだった。
今後は、その美貌と京言葉のうしろにあるものを見せて行くべきだろう。そのためには、従来の大映企画でない骨のある作品に出る機会を作らなければならない。これから先の飛躍が、実は彼女の生涯で一番の難事業ではあるまいか。
男優助演賞の中村鴈治郎。数日前の某紙に“モスクワの芸術座の教えるもの”という一文があり、そのなかに
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舞台に登場することは、身分証明書を出すこととおなじですよ
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と演出家のラエフスキー氏が日本の演劇研究生に講義したなかでいっていたとあったが、あに新劇ばかりの問題ではなく、その新劇俳優の演技に感心し教えられることの多い映画俳優に、スクリーンの上で、自分の役の身分を明らかにできる演技のできるスターが幾人あるかだろうかということになりそうだ。
しかし、鴈治郎の『鰯雲』と『炎上』の演技はラエフスキー氏にもちょっと見てもらいたかったと思う。この二つの作品で、彼は中村鴈治郎という役者の表看板を真正面にぶらさげながらも、しかも『鰯雲』では老農夫になりきり、『炎上』では人間くさい僧正以外何ものでもないという演技をして見せた。彼などから見ると、他の大方の映画俳優は、自分自身から役柄への転身の途中のどっちつかずの演技をいつも見せつけられているようなもので、悪くいえば化けそこないのキツネ的演技とでもいおうか。鴈治郎あって日本映画もたのしいとさえ私は思っている。
女優助演賞の渡辺美佐子は、なるほど『果てしなき欲望』では体当り的熱演を見せている。その他の作品の場合も悪くないし、いささか先ものを買われた感がないでもない。しかし、有望な可能性を発見、これを育てるのも賞の役割の一つとして認めたい。渡辺嬢よ、大いにのびて下さい。
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『炎上』の市川雷蔵 |
『彼岸花』の山本富士子 |
『鰯雲』の中村鴈治郎 |
『果てしなき欲望』の渡辺美佐子 |
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